境界都市の半蛮族

碧野氷

第一部

リヒト編 その1 境界都市の新世代 大陸新暦308年6月

1-1 境界都市の新世代(1)

「そろそろ、リヒトにも冒険をさせたいと思うの」

 テルミナ市評議会議長のネリス・ヘルシェルは、単刀直入に言った。

 黒髪の、いかにもやり手という感じの美人である。髪の間から除く小さな角が、彼女がナイトメアであることを示していた。

「まだ早いと思いますが……」

 秘隠神クスに仕える若い神官、エディン・ティレルは穏やかな笑みを浮かべたまま、やんわりと抗議した。

 エディンは伸ばした髪を後ろでまとめている中肉中背の青年である。ネリスは、彼にとっては育ての親でもあった。

「彼は15歳になったばかりですよ」

 エディンはリヒト・ヘルシェルの顔を思い浮かべた。赤毛の、儚げな美少年である。左眼が右目に比べて異様に大きいことを除けば。

 彼はバジリスクの虚弱子ウィークリングだった。父親については、「不真面目なひとだった」とだけしかネリスは語らない。

「早すぎる事は無いわ。私だって、いつまで生きていられるかわからない」

 一見すると、ネリスはエディンと同年代か、さらに若くさえ見える。不老のナイトメアであるためだ。

 ナイトメアに明確な寿命は無い。何事も無ければ、彼女はエディンや息子のリヒトよりも遙かに長生きするに違いなかった。そう、

「事態は、そこまで切迫しているのですか?」

 エディンは眉をひそめた。


 “人蛮の境界都市”テルミナはザクソン海南東部、ユーゼド=ボリン諸島のユーゼド島に存在する。漆黒の砂漠の沖合にある二つの島の内、東側の大きい島がそれだ。

 テルミナがネリスたちによって建設されてから、わずかに二十年しか経っていない。その存在意義は異名の通り、『人蛮の境界』にある。この街はナイトメア、ウィークリング、ラルヴァはもちろんのこと、ラミアやライカンスロープ、生まれつき、もしくは何かの事情で魔剣を失ったドレイクや『咎者』のバルカンに至るまで、人族社会でも蛮族社会でも生き辛い者たちを積極的に受け入れてきた。エディン本人は人間として生まれたが、彼の場合は生みの親にかなり特殊な事情があった。

 その国是から、テルミナの立ち位置は微妙なものがある。周辺の人族国家からは敵視とまでは行かないが、決して好意的な視線は向けられていない。


「今すぐに、というわけではないの。けれど、ダーレスブルグは近い将来に必ず動くでしょう」

 かつて北のレーゼルドーン大陸エイギア地方に支配を及ぼしていたダーレスブルグ公国にとって、霧の街ジーズドルフの奪回、もとい『解放』は悲願である。

 大破局以来、初めてのエイギア地方遠征が行われたのが、ちょうどテルミナが建設された頃だった。ジーズドルフ解放には至らなかったものの、ダーレスブルグ公国は広大な土地を奪還し、入植が進んでいる。第一次遠征から二十年が過ぎ、第二次遠征を叫ぶ声は高まりつつある。ザルツ地方の盟主国ルキスラ帝国の皇帝ユリウスも、遠征に乗り気であるという話だ。

「テルミナも傍観はできないということですか……」

「兵を出せ、ぐらいならまだしも。最悪の場合、行きがけの駄賃に踏み潰そうという意見も出るかもしれない」

 口実ならある。テルミナはザルツ諸国と霧の街の豪商ザバールとの交易を中継している。ジーズドルフに囚われた数万の人族が生きて行くにはザバールの仕入れる食糧が不可欠なのだ。テルミナができる前には、ザルツ諸国からの密輸や北方蛮族圏からの輸入で賄われていたものである。

 ザルツ諸国も霧の街への密偵を潜入させる中継拠点として、黙認している気配があった。だが、ジーズドルフを解放できれば、それも不要になる。

「だからね、あの子にも早く生きる術を学んで欲しい」

「何があっても、生き延びられるように……ですね」

 どのみち、自分たちの身は自分たちで守る他無い。それが境界都市テルミナの民の宿命だ。

「わかりました。なんとかしましょう」



「さてはて……」

 エディンは街の訓練場に来ていた。種族、年齢、性別を問わない多種多様の人々が日々汗を流している。テルミナの国是には市民皆兵もあり、いざというときには市民が総動員されることとなる。幸いにも、この二十年でそのような事態は起きていない。

 冒険者にはいくつかの役割ロールがある。前衛、癒やし手、斥候スカウト賢者セージあたりが必要最小限な役割になる。前衛が敵の攻撃を受け止め、あるいは引きつけ、癒やし手が傷を癒やす。斥候と賢者はさらに重要だ。賢者が敵の強さと弱点を見抜き、斥候は機先を制する。この先制に失敗し、敵に先手を取られるとかなり不利になる。この二つそのものは他の技能でも担えなくもないが、賢者の見識や斥候の探索能力、罠の解除技術などを考えれば、斥候と賢者は不可欠に近い技能だ。

 別に、1人でも冒険はできなくはない。だが、前衛、癒やし手、斥候、賢者を一人ですべて兼ねるよりも複数人で分担したほうが安全度は高まる。3人居ればひとまず安定し、4人から5人ぐらいが一つの一党パーティとして適正と言われる。6人以上は依頼側の観点から人が多すぎる(報酬が重い)と見なされる。もちろん、困難な依頼に際しては複数のパーティが同盟を組む場合もあるが。

「前衛と後衛をあと1人ずつ、でしょうか?」

 癒やし手と賢者はすでに自分がいる。当然、前衛をリヒトだけに負わせるわけにはいかない。自分と同じくらいの力量の戦士がよいだろうか。

「あ、やっぱりここに居たんだ。ティレル先生」

 エディンが振り向くと、背の高い黒髪の少女が立っていた。

 レヴィア・シューマッハ。ラルヴァの女性である。

 高位の吸血鬼ーノスフェラトゥは蛮族の中でも異質な存在である。彼らは『血の接吻』によって一族となるにふさわしい能力や容姿を備える者だけを同胞に加える。そのため、通常の人族や蛮族が男女の交わりによって子を成すことを、獣と同じと軽蔑していた。ところが、彼らも戯れに人族と子を成すことがあり、そうして生まれるのがラルヴァである。ノスフェラトゥ側からしてみれば一族の恥であり、人族から見ても蛮族として扱われるため、彼らもまたこの世界では生き辛い存在である。

 レヴィアは生まれてまもなく、母方の親族から冒険者の店経由でテルミナに送られてきた。薄情な話ではあるが、ラルヴァに対する人族の視線を考えればやむを得ない事である。


「聞いたわよー、リヒト、冒険に出るんでしょ?」

 彼女はリヒトより3歳年上で、姉と言ってもいいほどに仲のよい幼なじみである。

「耳がお早いですね。議長閣下からですか」

 もっちろん!と、レヴィアは豊かな胸を反らして言った。

「だったらー」

「ええ、お願いします」

「あれっ?」

 レヴィアは目を丸くした。

「あなたを拒む事は困難ですし。それに実際、適任でもあります」

 レヴィアは俗にマギシューと呼ばれる銃士で、斥候も兼ねている。銃士の銃撃は防御力を貫通することができる。他の魔法なら強い精神力を持つ相手には抵抗され軽減されてしまう事もあるので、その点は優れている。もちろん、命中すればの話だが。

 それに、大人3人に囲まれるよりも、姉貴分がいたほうがリヒトの心理的負担も少ないだろう。

「議長閣下から話があったのも、あなたがそう動くと見越してでしょう」

「なーる……ま、いっか。他の人は決まってるの?」

「今、探しているところでして」

 訓練風景を眺めていると、見知った顔を見つける。

「ゴードンさん」

「うん?」

 銀髪に立派な髭を蓄えたドワーフ……もとい、ダークドワーフはエディンの方を向いた。


 ダークドワーフは本来ドワーフの一氏族だったが、神々の戦いの際に戦神ダルクレムと蛮族の陣営に寝返ったという理由で人族から裏切り者と見なされ、以来、地下に隠れ住んできた。もっとも、彼らの主張によれば蛮族に寝返ったというのはドワーフに押しつけられた冤罪にすぎないと言うが。

 ゴードン・ゴーティエは両親とネリスとの縁でテルミナに移ってきた。エディンの一つ年上で、実地訓練を共にしたこともある。

「どうしたエディン」

「実は、斯くの如しで」

「なるほどなァ。坊ちゃんも大変だな、議長閣下の息子とあれば、いずれは率先して戦わにゃならんか」

 テルミナの成り立ちからして、街の存続を保証しているのはきれい事抜きで『力』、これのみである。力が無ければ人族側、蛮族側のどちらかに早急に潰されていただろう。

「まあ、ウィークリングですから。どこに生まれても同じです」

 蛮族社会に生まれたウィークリングは生まれてすぐ殺されるか、殺されなくとも幼くして自分より力に勝る蛮族の中で戦っていかなければならない。温厚なマーマンはそうでもないが。人族社会に生まれれば、ウィークリングとは言え蛮族は受け入れられにくく、せいぜい冒険者ぐらいしかない。

「ま、あたしもよ」

 ラルヴァも立場は似たようなものである。

「そうさな、俺たちもな」

 ダークドワーフは人族、特にドワーフからは裏切り者と憎悪され、逆に蛮族社会においても基本的に下に見られる立場を強いられている。

「いやはや、お気の毒です」

 エディン自身は、人族社会に紛れても問題なく生きていけるかもしれない。両親のことさえ露見しなければ。

「ようし、それなら俺も一肌脱ごうじゃ無いか」

「ありがとうございます。ゴードンさんは『かばう』技をお持ちですし、助かりますよ」


(つづく)

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