第24話 初バイトの生意気な生徒(愛花1泊目)
今日はアルバイト初日だ。俺は大学の授業を終えて一度アパートへ戻り、スーツに着替えた。毎度スーツをこうやって身に着けると、気が引き締まる感じがする。
筆記用具などアルバイトで使うものをリュックに入れて、俺は個別塾へと向かった。
個別塾が入っている雑居ビルの前には、相変わらず道路にあふれるほどの大量の自転車が止まっていた。
俺は雑居ビルの階段を登って、個別塾の入り口前に到着する。
入り口の前で一息深呼吸をしてから、俺は顔を引き締めてドアを開けた。
「おはようございます」
俺が挨拶をすると、事務所から大宮さんが出てきた。
「おう、南くん。待ってたよ!」
大宮さんはにこやかな笑顔で出迎えてくれた。
「おはようございます。今日からよろしくお願いします」
「うん、こちらこそ。よろしくね!」
お互いに挨拶を交わして、大宮さんに連れられて事務室へ案内される。
アルバイトの前に契約書などにサインしたり、給料の振り込み先の口座番号などの事務手続きを行った。
「よし、とりあえず事務的なことはこれで終わりだね。じゃあ、次は校舎の中を一通り案内するね」
「はい」
大宮さんと事務室を後にして、校舎内を一通り案内され、今日の業務の内容について話をしていると、1人の講師と思われる眼鏡の男の人が入ってきた。
「おはようございます」
「おはよう川口くん。ちょうどよかった、紹介するね。今日から新しく入った南くん」
「南大地です。よろしくお願いします」
「初めまして、アルバイトの川口です、よろしく」
川口さんはにこやかな笑顔で、挨拶を交わしてくれた。
「今日はもう一人の桜井先生の方についてもらうけど。川口先生も優秀だからわからないことがあれば教えてもらってね」
「はい、わかりました」
すると、大宮さんの携帯の着信が鳴った。
「ちょっと、ごめんね!」
大宮さんは電話に出て、そのまま事務所の方へ入っていき、俺と川口さんの二人が残された。
「えっと、南くんだよね? よろしく。まあ、大宮さんもあんな感じだし、気負いせずに、軽い感じだからここの塾。適当にやってれば問題ないよ」
「はい、わかりました」
川口さんがとても優しそうな人で一安心する。
その後も、川口さんが丁寧にこの塾についての説明をしてくれていると、電話を終えた大宮さんが慌てた様子で事務所から出てきた。
「ごめん、南くん。申し訳ないんだけど、桜井先生が熱出してこれなくなっちゃったんだって。いきなり急で申し訳ないんだけど、授業やってもらえないかな?」
「え? いきなりですか?!」
「ごめんね、僕もこの後会議が入ってて席を外さないと行けなくて……あ!桜井先生から伝言は伝えてもらってるから、これを見てやってもらえればいいから!」
俺は大宮さんからメモ用紙を渡された、そのメモに目を通し内容を確認する。メモには、『英語の前回の復習のテストと27ページから章題を随時進めていってほしい』という伝言が手書きで書かれていた。
「これ、桜井先生の名簿。多分、今日の1時間目だから……
すると、川口先生が、桜井先生の講師ファイルを持ってきてくれた。
中身を確認しながら丁寧に説明してくれる。ファイル中には、水曜日用と書かれたクリアファイルにプリントが入っており、
『1時間目小倉愛花ちゃん』
と書かれていた。
どうやら、この用意されているプリントをやってもらえばいいみたいだ。
「俺もこの時間は2人受け持っちゃってて、2時間目以降は他の先生が来るはずだから。とりあえず1時間目だけ授業を頼む。分からないことがあれば俺に質問しに来てもらって構わないから。あと、これ。教科書と解答ね。生徒にはコピー機で印刷して渡してもらえばいいから」
コピー機を指さしながら、手早く川口さんが口頭で申し訳なさそうに謝っていた。俺は頭の理解が追い付かないまま、必死に川口さんが言ってくれた内容をメモに取っていく。
メモを取り終わった時には、授業開始5分前となっていた。
「4番の机使っていいよ」
「はい、分かりました」
俺は右往左往しながらも4番の机に向かい、教科書などの教材を置いた。そして、桜井先生のファイルを確認して、内容を確認する。
すると、入口の方に誰かが入ってくる音が聞こえた。
「おはよ。今日は4番でお願い」
川口先生の声が入口の方から聞こえた。どうやら小倉愛花ちゃんという女の子が来たらしい。
俺は緊張をほぐすために一息ついて、椅子から立ち上がり振り返った。
すると、そこにいたのはサクランボのゴムでサイドテールに結んだ、あどけなさが残る、ドラックストアにいたあの女子高生の女の子だった。
「えっと……小倉愛花ちゃん?」
俺がポカンとした感じで尋ねると、愛花ちゃんも驚いた表情を見せていたが、はっとなってからコクリと頷いた。
「桜井先生が風邪でお休みなので、急遽講師を務めることになりました。南大地です。よろしく」
俺が緊張気味に挨拶をすると、愛花ちゃんは俺をまじまじと観察する。
「先生だったの?」
ぼそっと彼女がそんなことを口にした。
「あ、いやぁ。今日が初出勤なんだよね」
「そうなんだ」
彼女は興味なさそうに受け答えをすると、そそくさと4番の反対側の席へ荷物を置いて準備を始めた。
一通り勉強用具を出し終えたところで、俺の方を向きニコっと軽く笑みを浮かべた。
「よろしく、南先生」
その表情はどこかからかうようでもあり、どんなものかお手並み拝見と行こうじゃないのというような顔だった。だが、俺はそれよりも、彼女のそのあどけない表情に、どこか既視感を覚えていることに、違和感を感じたことの方が、俺の頭の中に大きく残った。
◇
授業開始のチャイムが鳴り、初めての講師としての授業が始まった。まずは桜井先生のメモにも書いてあった通り、前回の復習テストを行うことにした。
「桜井先生から前回の復習テストをやってくださいって頼まれたので、まずはそれからやります」
「ねぇ、大地」
いきなり名前で呼び捨てされ、俺は律儀に訂正する。
「南先生だ。なんだ?」
少しムッとした表情を見せながらも、愛花ちゃんは話を続ける。
「大地先生は彼女いるの?」
「は?」
いきなり突拍子もないことを聞かれたので、間抜けな声が出てしまった。
「彼女いるの?」
愛花ちゃんはもう一度真剣な表情で質問をしてくる。
「いきなり、どうした?」
「気になるから」
「いやいや、初対面の人に言うわけないでしょ」
「ケチ」
「ケチじゃない!」
「はい、じゃあとりあえず。このテスト解いて、終わったら声かけて」
俺は愛花ちゃんの机の上に、1枚の復習テストの用紙を渡した。
「面倒くさい」
「ブツブツ言わないでやる」
「桜井休みだしいいじゃん別に。大地先生も授業面倒でしょ?」
「いや、ここ勉強する場所だから。それにこっちはちゃんと仕事でやってんの」
「初めてのくせに」
「悪かったな」
愛花ちゃんは、全く復習テストに手を付けようとしてくれない。それどころか机に突っ伏して全くやる気を感じられない態度を取っている。
なるほど、どうやら愛花ちゃんは普段からこんな感じで真面目に授業を受けてくれない生徒のようだ。俺はやれやれとため息をついた。
「はぁ……愛花ちゃんは、どうしたらやる気だしてくれるのかな?」
「愛花」
「はい?」
「ちゃん付けは嫌い。愛花って呼んで」
「いや、流石に呼び捨ては……」
「いいから」
愛花ちゃんのガツガツとした物応じしない態度に、俺は思わず眉をひそめイラッとする。そして、怒りを抑えながら反撃した。
「じゃあ、そのテストで満点取ったら、呼んでやっても構わないぜ」
俺が反抗的な強い口調で言うと、ムクっと姿勢を正して、愛花ちゃんが起き上がる。
「ホントだね?」
「あぁ、いいぜ。なんなら俺のことも呼び捨てでも構わない」
俺は挑発的に言って見せた。おそらく毎回こんな感じの授業態度なら復習なんてしているわけがないだろう。この時はそう思っていた。
愛花ちゃんはペンケースからシャーペンを1本取りだして、復習テストに向き合った。そして、始める前に俺の方をくるっと向いて。
「覚悟してね」
そう言い放って、復習テストを解き始めたのだった。
◇
20分後、俺は採点を終え、唖然とする。
50問あった復習テストの問題を見事宣言通り満点を取ってみせたのだ。
俺は信じられないといったような目で愛花ちゃんの方を向いた。愛花ちゃんはニヤリと笑みを浮かべつつ俺に言った。
「約束、守ってくれるよね?」
「……」
俺は認めたくはなかったものの、根負けして大きなため息を一息ついた。
「はぁ……わかったよ。じゃあ、授業始めるぞ……愛花」
「よろしい、大地」
こうして俺は、初日から生徒に名前呼びを強制させられ、自分の名前を
呼び捨てされるという、屈辱を味わうことになったのだった。
◇
この後も愛花は、雑談や、俺にちょっかいを出しながらマイペースに授業を進めていた。だが、授業はちゃんと聞いているようで、教えた部分の練習問題を解かせて採点すると、すべて満点を取っていた。この子、本当は天才なんじゃないかと思えてきた。
授業時間も残り時間が15分となり、章題の最後にある確認問題を解いてもらうことにした。
「じゃあ、これを解き終わったら今日は終わりね」
「わかった」
そう言いながら、問題に目をやる。俺は自分の机においてある解答集に目を向けていると、愛花に声を掛けられた。
「ねぇ、もしこれも満点だったら、ご褒美ちょうだい」
「ご褒美?」
「うん、ご褒美」
「何がいいのさ?」
俺が聞き返すと、しばし口元に指を置きながら考えていた愛花は、ふと思い出したように質問してきた。
「大地って大学生?」
「そうだけど」
「一人暮らし?」
「え? まあ……」
「へぇ~」
興味深そうに俺の顔を覗き込み、再び机に目線を戻したかと思った瞬間、とんでもない爆弾発言をしてきた。
「じゃあ、今日家に泊めて」
「は?」
俺はまた目を丸くして立ち尽くすしかなかった。
今なんつった、このJK!?
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