第25話 ご褒美(愛花1泊目)
3時間目の授業が終わり、ふと窓から外を眺める。
外は真っ暗になり、商店街の街頭とお店から漏れている明かりが辺りを照らしている。
俺はあの後、無事に初の授業を終えた。2時間目以降は、代行の先生のところで授業の風景などを観察させてもらったので、直接生徒を教えることはなかった。だが、改めて今日は、色々なことがありすぎてバタバタとしたアルバイト初日になったなとしみじみ思う。
生徒たちが全員塾の校舎から出ていき、講師たちが後片づけなどをして、アルバイト初日は無事終了した。
会議から帰って来た大宮さんや、川口さんに「お疲れ様でした。」と挨拶を交わして、塾校舎の出口を出て、雑居ビルの階段を下りた。
「大地」
階段を降りたところで誰かに声を掛けられた。声の方へ顔を向けると、そこには制服姿の愛花が、大きな紺色のリュックを背負って待っていた。
「本当に準備してきたのかよ……」
「だって、ご褒美だもん」
愛花は嬉しそうな表情を浮かべながら、今にも飛び跳ねそうな勢いで、体を揺らしていた。
「よく見知らぬ人の家に泊まる気になれるよな、親にはなんて説明したんだよ」
「大地なら別に構わない。親の許可は取ってない」
「は? 無断で家から出てきたの?」
「親忙しい、いつも夜は帰らない。だから、平気」
「いや……何かあった時それはまずいだろ」
「何か?」
キョトンとしながら首をかしげる。
「事故にあったりとか、変な事件に巻き込まれたりとか……」
「大丈夫、お姉ちゃんいる」
「なんだ、姉ちゃんにちゃんと言ってきたのか、ならよかった」
俺はほっと胸を撫でおろす。
「いや、言ってない」
「は?」
安心したのもつかの間、愛花が再び怖いことを言った。
「お姉ちゃん近くに住んでる。だから、何かあったらすぐ連絡できる」
「いや、連絡しろ!」
「別にいい」
「いや、俺が許さん。姉ちゃんの許可取ってこないとうちには泊めさせん」
「え……」
俺が厳しく言うと、愛花は取り残された子犬のような表情になった。少し不貞腐れていたが、気を取り直して、スマホを取りだし誰かに連絡をし始めた。
どうやらお姉ちゃんに連絡をしているらしい。
しばらくすると、愛花は電話を切り、こちらへくるっと体を向けた。
「おっけーだって」
「あ……そう」
許可を貰い、愛花はニヤニヤと勝ち誇った笑みを浮かべていた。
これで、俺は断る術をなくしてしまったというわけだ。
「じゃあ、ついてこいよ」
「うん」
俺はトコトコと肩を丸めながら、アパートへと重い足取りで向かった。
◇
アパートに到着し、部屋の施錠を解除してドアを開ける。
「ほれ」
「おじゃまします」
部屋の明かりを付けると、一歩後ろから付いてきた愛花は、キョロキョロと部屋を見渡した。
「結構キレイ」
「まあ、一応掃除はちゃんとしてるからな」
昨日、春香が来た時に掃除をしたおかげで、他人に見られても問題ない程度には片付いていた。
「とりあえず、俺は着替えるから。シャワー先に浴びとけ」
俺は洗面所の方向へ顎を向けて、指示を出した。
「ん、わかった」
荷物を置いてから愛花は素直にお風呂へ入る用意を始める。
俺はその間に、スーツから部屋着へと着替えるため、衣服が置いてある部屋の奥へ向かった。
部屋着に着替え、机の前に座りやっと一息ついた。しかしながら、今の状況を考えると色々とヤバい気がする。今日がほぼ初対面ともいえる女子高生の女の子を家に泊めている。しかも、アルバイト先の教え子だ。一歩間違えば警察沙汰間違いなしの危ない状況だろう。
俺はなんで『ご褒美』なんていうことで許してしまったのだろうか。授業時の自分の言動を後悔していると、洗面所の方から声を掛けられた。
「大地。ボディーソープ切れてる」
「ん? あぁ、洗面所の下の引き出しに入って……ぶっ!」
そこには、シャワーの途中で丸裸のまま出てきた愛花が立っていた。白いすべすべの肌に、結んでいた髪をほどいたことでさらにあどけなさが目立つ表情が、より鮮明になっていた。
そして、見事なぺったんこの……。って俺は何マジマジと観察してるんだ!
俺は慌てて目をそらした。
「なっ、なんで裸なんだよ。タオルくらい巻け!」
「別に裸気にしない。大地も喜ぶ、一石二鳥」
「何が一石二鳥だよ。とにかく、洗面所の引き出しに入ってるから早く戻れ!」
俺が手で顔を抑えながら言うと、
「はーい」
と、ちょっと残念そうな口調で愛花は風呂へと戻っていった。
「はぁ……」
俺は大きなため息をついて顔を引きつらせた。
やめよう……今日限りであの子を家に上げるのは絶対にやめよう。
俺はそう誓ったのだった。
◇
シャワーを浴びて、歯を磨き、寝る準備が整ったところで、敷布団を敷く準備に取り掛かる。
納戸から来客用の敷布団を取りだそうとすると、愛花に声を掛けられた。
「大地」
「なんだよ?」
「布団二ついらない」
「は?」
突然愛花はわけのわからないことを言いだした。
「俺、地べたで寝るのは嫌だぞ?」
「何言ってんの?」
愛花はジトっとした目で、あきれた表情をしていた。
「いいから自分の布団敷いて」
「?」
俺は疑問を抱きながらも、愛花に命令された通りに自分の敷布団を敷いた。
「敷いたぞ」
俺が愛花の方に体を向けた瞬間、体に大きな衝撃が走った。何かがぶつかり、俺はそれを受け止めながら、布団の上に倒れ込んだ。
ドスンという音と共に、体が敷布団の中に吸収された。俺は目を開けると、愛花が俺の胸の辺りに頭をうずめて、満足そうな表情を見せていた。
「はぁ……いい匂い、落ち着く」
愛花が俺にいきなり抱き付いてきて、今は胸の辺りに顔を埋め、うっとりとした表情で覆いかぶさっていた。
「何してんのお前?」
俺がこの状況に説明を要求する。
「何って? 一緒に寝る」
「はぁ!?」
また、愛花がわけのわからないことを言いだした。
「くっついて寝る、これ男と女の常識」
「いやいや、意味わかんないから」
俺が愛花を引き剥がそうとするが、背中にぴったりと腕を巻き付けており、全く離れそうな気配がない。
「ちょ、ホント何が目的なの?」
すると、顔をうずめていた愛花が、怪訝そうな表情で俺の方へ顔を向けた。
「え? そんなの簡単、私大地好き。だから、一緒に寝る」
「は? いやいや、冗談はよせ」
「冗談じゃない。ドラックストアで初めてあった時、好みの顔、一目ぼれ。大地が塾の先生になった、チャンス」
口調一つ変えずに、淡々と話す愛花。
ってか、今こいつなんて言った? 俺のことを好きって言ったよな? しかもドラックストアで合った時からって……ほぼ最初からじゃねーか……
あまりの突然のカミングアウトに、俺の頭が追い付いていけない。
「え? いや、好きといわれましても……」
俺が困っていると、愛花はさらに畳みかける。
「大地は、私のこと……嫌い?」
目をウルウルとさせながら、トロンとした上目づかいで見つめてくる愛花。
その表情は反則だろ……
「いや、嫌いというか、会ったばっかりで好きとか嫌いとか言うのは俺にはまだ分からないというか……」
俺が目をそらしながら、苦し紛れにそう言った。愛花はしばらく俺の方を見つめていたが、ふぅっと一息ついて再び俺の胸の辺りに顔を埋めた。
「じゃあ、私とこうやって一緒に寝て、好きかどうか決めて」
「はえ?」
「私のことが好きなどうか分かるまで、こうして一緒に寝てもらう。拒否権はない」
「いやいや、俺にも権利はあるだろ……」
俺の人権どうした?
すると、愛花はもう一度俺の方へ顔を向けて、にやりと口角を釣り上げる。
「私JK、大地逆らったら犯罪。合法的に私が許可。何も問題ない」
「もういいのか悪いのか、何言ってるかもよく分からん」
「とにかく、大地は私の頭を撫でて一緒の布団で寝る。それで好きかどうか決める。それだけでいい」
簡潔にまとめて言い切ったと言わんばかりに、愛花は再び俺の胸の辺りに顔をうずめてしまう。
どうしたものか……というか、色々と行動速すぎだろコイツ。
俺は愛花に苦笑の表情を浮かべながら、どうしようかと考える。正直これ以上何か抵抗したら、何をされるかたまったもんじゃない。災い事を起こさないためには、愛花の言うことを聞くのがベストなのかもしれない。俺は結局愛花の指示に強制的に従う形で、一緒の布団で寝ることを決意した。
「わかった」
俺はそう言って、一息ため息をついた後、頭の上の方に置いてあった毛布を引っ張ってきて体に掛ける。タイマーをセットして部屋の明かりを消した。
枕に頭を置いて仰向けの体制になると、愛花の重みが感じられた。丁度心地よい感じの重さに、脚と脚の間にすっぽりと小さな体が埋まってしまっていた。
「はぁ~」
俺は意を決して、恐る恐る愛花の頭を撫で始めた。
俺が頭に触れると愛花の体がピクっと反応した。しかし、徐々に力が抜けていきリラックスした状態になる。
「ふぅ……むにゃ……」
しばらくすると気の抜けた可愛らしい吐息と声を出し始めた。全くこの子はそうやって勘違いさせるようなことを……
だが、次第にそんな気持ちよさそうにして、俺の胸に顔を埋めている愛花を見ていると、ふと北の大地に置いてきた妹のことを思い出した。
泣き虫な妹は、よく俺のところにやって来て、こうやって俺の胸に顔を埋めて頭を撫でて慰めていたっけな……そんな記憶がよみがえる。
そんなことを思いだしながら、再び愛花へ顔を向けて見る。
妹よりも年上ではあるが、こうやって甘えてくる仕草や表情は妹そっくりであった。そして、そんなことを懐かしみながらひたすらに愛花の頭を撫で続けた。
俺は思わず頬が緩んでしまっているように感じられた。そうしているうちに、お互いに気づかぬうちに、眠りについていった。
◇
翌朝、タイマーが鳴り目を覚ました。タイマーを止めて目をこする。体が軽いことに気が付いて布団の下を見た。
そこには愛花の姿は既になく、部屋には俺一人だけ。
俺は体を起こすと、机の上にルーズリーフが一枚置いてあった。
ルーズリーフを手に取って目を凝らす、そこには、
『おはよう、お兄ちゃん。私学校だから先に行くね。愛花より』
と書かれていた。
「いつからお前のお兄ちゃんになったんだ俺は……」
俺は苦笑いを浮かべながらも、どこか懐かしいような気持ちにさせられた。
こうして、小倉愛花との衝撃的な出会いは、最初から最後までドタバタの連続で、幕を閉じた。
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