友人の知人に聞いたような曖昧なオカルト談義
野島製粉
第1話 都市伝説 日本に投下された原爆は3発あった
私が大学生の頃、講義で聞いた話である。
今となっては何の講義だったかはっきりと覚えていないのだが、日本の歴史や文化関連の講義だったと思う。その講義は、教官の雑談からスタートすることが多かった。ある日、教官の口から語られたのが、タイトルにあるように「第二次世界大戦で日本に投下された原子爆弾は、実は3発あった。そのうち一発は不発で、軍部が極秘裏に回収していた」という話である。
この衝撃的な内容に、ぼんやりと講義を聞いていた学生たちは、教官の話に引き込まれていったと思う。教官が語ったのは、以下のような内容である。
第二次世界大戦末期、広島と長崎に原子爆弾が投下されたのだが、被害状況を調べるために現地調査に赴いた軍部が奇妙な物体を発見したらしい。場所は、確か長崎の方だっと思う。発見されたのは、巨大な円筒形の物体でパラシュートのようなものがついていたそうだ。これを見た軍部は色めきたった。もしかしたら、これは原子爆弾の不発弾なのではないかと。
当時の戦況は絶望的で、原子爆弾の不発弾を手に入れたところで、どうにかなるものではない。だが、軍のある幹部が驚くべき提案をしたという。
それは、ソビエト連邦に不発弾を引き渡すというものだったそうだ。ソビエト連邦とアメリカは同じく連合軍側に属しているが、戦争が終われば対立しだすのは目に見えている。だから、原子爆弾を渡せば和平交渉を有利に運べるだろう、というもくろみだったそうだ。
だが、この提案が実現することはなかった。調査の結果、原子爆弾の不発弾と思われていたものは、単なる気象観測用の装置だったことがわかったからである。
以上が、講義前に教官が、雑談として語った内容である。
この話は、私にとってものすごく印象的だった。だが、インパクトが強すぎたせいか、肝心の講義内容については全く覚えていない。試験の成績も今ひとつだった気がする。もっとも、それは私の責任なのだが。
この原子爆弾の話については、後に本を読んでいくつかわかったことがあった。
不発だった原子爆弾を回収する、という話はありえそうに思えるが、実際にはその可能性は小さかったようだ。
米軍の記録によると、原子爆弾の投下には極めて周到な準備がなされていた。投下予定地点を事前に飛行して、爆弾の起爆に影響がないか電波状況を調査したり、原子爆弾と同一寸法の通常爆弾を用いて訓練を行ったりしていたのである。
この原子爆弾を模した通常爆弾は、日本側に意図を悟られないように、本来の投下予定地とは別の場所に投下されたそうだ。ちなみに、通常爆弾といっても長崎に投下されたファットマンと同じ大きさなので約5トンという凄まじいものだったらしい。
1945年8月15日以降も、原子爆弾の投下にあたった部隊は、日本占領がうまくいかなかった場合に備えて待機していたそうだが、そこに3発目が用意されていたのかは不明である。
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