第4話(5):魔女

 マルカは目を覚ました――というより、ずっと目は開いていた気がする。ただ目を開いたまま意識を失っていて、やっと我に返った、様な感じ。


 そこはキャンプ地だった。必死だったので覚えてないけれど、マルカが倒れた場所と同じ地点だったように思う。


 だけれどククルもジダもいないし、サイクロプスの存在も感じない。あきらかに以上だった。だけれども、マルカは不思議と落ち着いていた。少なくとも動揺と程遠いところにマルカはいた。


「うふふ」


 笑い声が聞こえた。おっとりとした、しかし芯のある声だった。それは前から聞こえた気がしたし、後ろから聞こえた気もする。右かもしれないし左の可能性もある、上でも下でもある。聞こえなかった可能性も拭えない。


「それはないですよ。私はこうして喋りました、ちゃんと、確実に。うふふ」


 そして、彼女はマルカの前に現れた。いや、最初からいた気もする。

 目元は緑色のケープに隠れてしまって窺えない。


「……誰ですか?」

「魔女です」


 即答、断言。

 魔女を自称した彼女はすかさず続ける。


「魔女、と呼ばれていた者、という表現が正しいですかね。マルカさんはそういう言葉の正しさに結構こだわる方でしょう?」


 うふふふふ。

 口元に手を当てて笑う。


 魔女――世界の害。

 魔女を見た人はこの世界に限られた人数しかいない。魔女を見た者は殆どの例外なく殺されているからだ。

 魔女に関する文献には、そのどれもに醜悪な容姿を持つと記されている。これには一つの例外も存在しない。


 だけれど、マルカの視界の先にいる彼女は、ごく普通の人間の容姿を持っていた。目元は見えないが、それ以外の顔のパーツは――例えば多少不細工であろうとも、少なくとも醜悪という表現からは程遠いように思われる、


 しかし、それが虚言だとは思わなかった。

 マルカの網膜に映っている彼女は間違いなく魔女なのだと――そう本能による直感で理解した。


「森の魔女…………ですか?」

「そうです」

「わたしに何の用ですか?」

「うふふ、もっと動揺してくださいよ。私はお喋りが好きなんです。ずっと一人で寂しかったから誰かと一緒に居たいんです。マルカさんみたいに、ね?」

「……そうですか」

「あら? これ言われても怒らない?」


 寂しいのは、別に恥ずかしい事じゃない。

 マルカはそれを知ったのだ。


「森の魔女はもう死んだと聞いていましたが」

「はい、死にましたよ。でもこうも聞いたと思います、この森は森の魔女が死んでから急激に広がった、と。この森は私自信なんですよ。だから、額をぱっくり割っちゃって脳震盪で失神してるマルカさんの意識に私が入り込む、なんてことも出来ちゃう訳です」

「……わざわざ丁寧にありがとうございます」

「いえいえ。これでも、親切丁寧で通ってたんですよ」

「あの一つ目の怪物を生み出したあなたが親切丁寧、ですか?」

「そうですよ。親切に獣の為に人間を殺し、丁寧に植物のために人間を殺す。何も間違ってないでしょう」


 魔女はぱちんと顔の前で指を鳴らした。すると最初からそこに有ったかのようにベンチが現れた。丸太に多少手を加えた程度の簡素なベンチ。それが二つ、向かい合わせで。この広場にあったのと同じものだった。


「立ち話は疲れます。疲れるから嫌いです。座りましょう?」

「わたしは立ったままで大丈夫です」

「座りましょう?」

「…………」


 マルカは言われるがまま、魔女の向かいに腰を下ろした。そしてそこで、マルカの背負っていた背嚢が無くなっていることに気付いた。


「どうも、人間たちは魔女のことを勘違いしているようですね」

「人間に損害を与えるだけの存在。絶対悪。醜悪の権化。わたしは魔女についてそう聞いてきましたが」

「違います。少なくとも私は違います」

「人を殺すのに?」

「人を殺すから、ですよ」

「……訳が分かりません」


 森の魔女は困った様に肩をすくめた。

 もう一度指を鳴らすと、ベンチの隣の席にワイングラスが現れた。「ここは意識世界だから、いくら飲んでも酔っ払わないですよ」と言いながら、いつの間にか手に持っていた同じグラスを傾けた。「酔っ払おうと思えば酔いますが」


「結構です」

「あらら。じゃあ後で私がいただきます」

「それよりも詳しく教えてください」

「そうですねえ……。じゃあ、スタートから離しましょうか。マルカさんは魔女がどういう存在なのかって知ってます?」


 どういう存在って……それは、人類に損害を与える――。


「もっと具体的に。まあ、そもそもそこからして間違っていますけれども」


 マルカはまだ何も口に出していなかったけれど、魔女はどうやら心が読めるらしかった。


「ここは私の空間ですからね、全部筒抜けですよ。……じゃあマルカさん、どうやって魔女が生まれるかはご存じ?」

「…………人の道から外れた外道が堕ちる、と」

「やっぱり違いますねえ。アカデミーなら留年確定ですよ」

「茶化さないで教えてください、魔女とはどういう存在で、どうして生まれるんですか?」

「茶化したつもりはありませんけどねえ。魔女というのは自然の意思の擬人化ですよ。自然――動物や植物の意識が神聖に触れて意思を持ったものです。あ、少なくとも私は、ですが」

「自然の……意思…………?」

「そうですよ。そこまで言えば何となく分かるんじゃないですかね?」


 魔女は人を壊す。

 人を殺し、文明を破壊する。人類が積み上げたもの全てを無に帰すのだ。

 魔女が生みだしたサイクロプスを初めとする害獣たちもそうだ。

 人に対して原因不明の異常な殺意を持つ。まるでそう生まれたかのように、殺意と暴力をぶつける為だけの存在。

 つまり、そういうことなのか――?


「そういうことですよ。自然が人間を壊す為に生まれたのが魔女です。だから魔女はいつだって優しくて正しいんですよ――自然にとっては」

「…………人を殺すのが正しいなんて訳、有りません」

「人は動物を殺すでしょう? 植物を殺すでしょう? 自然が築いてきた環境を壊すでしょう? それは間違ってはないのですか?」

「…………」

「分かってます、ええ分かってますよ。うふふ。マルカさんは優しい――心を失ってはいましたが、それでも今まで人ならざるものたちに向けていた愛情は確かなものです。例えそれが、過去の経験から無意識的に人を避けてその孤独を埋めるために向けた愛情だとしても――それでも優しいことには変わり無いですよ」

「過去まで――――!」


 言ったでしょう、思い通りだと。うふふ。

 マルカの心の中で、魔女の声が聞こえた。魔女がにやっと頬を歪めた。


「でも、それでもマルカさんは動物を殺すことがあります。食事の為、素材の為。それがしょうがないからです。生きるためにしょうがなく殺すのです。じゃあ動物が同じことをしてもいいじゃないですか。このままサイクロプスに殺されてもいいじゃないですか。彼らも自分の縄張りにあなた達が入って来たから自己防衛で殺すんですよ、しょうがないじゃないですか」

「それは……。それは…………」

「人間だけ被害者面するの、やめてくださいよ」


 その言葉は。

 変わらない表情で、変わらないトーンで放たれたその言葉は。

 あまりにも冷たくて、あまりにも鋭くて。

 そしてあまりにも正論だった。


「獣が人間に被害を及ぼした、だから駆除をする――それなら致し方ないと思いますよ。多少の狩猟も、共存するためならばある程度は目を瞑りましょう。だけれど――だけれど、冒険者だ? 腕試しのために殺すだ? 何の罪の無い動物を? おいおい、おいおいおいおい、ふざけんじゃねえよ」


 人は自分勝手で、勝手都合で自然を破壊する。

 動植物を殺し、環境を破壊する。

 でもそれは、人が生きていく上でしょうがないものだ。そう思って生きている。


 魔女は――自然の意思は、自分勝手で、勝手都合で人を破壊する。

 人間を殺し、文明を破壊する。

 でもそれは、自然が栄えるためにしょうがない事なのだと思って生きていた。


 なにも、違いなんて、ないじゃないか――。


「私がサイクロプスを作ったのは、私が殺される少し前です。人間がこの森に攻めてくることを知っていたので、私は冷酷な戦闘員としてのサイクロプスを生み出しました。私が生み出した他の生物は、多少なりとも感情だったりを持っていたんですけれど、サイクロプスはそれらを全て取り払って非情な殺人生物にしました。その結果として同族でも殺し合ってしまう冷酷な存在になってしまいましたが……」


 困ったものですね、と魔女は肩をすくめた。


「だけれど、サイクロプスは同族争いと殺人『しかしません』。決して他の動物を傷つけることはありません。人殺しも、自分から人里を襲うことはまずありません。もし見かけたら襲いに行くことはあるかもしれませんが、わざわざ自分からこの森を出て襲いに行くなんてことは無かったはずです。だって、サイクロプスはこの森を守るためにに私が生み出したんですから。他の場所で生まれたサイクロプスは分からないです、それは私が生み出したものではないので」


 害獣というのは、同じような生物でも地域によって習性が変わる生き物がいる。例えばここのサイクロプスは決して森から外に出ることはないけれど、西の鉱山国では自ら積極的に人里を襲うのだという。その見た目も、一つ目の巨躯だということは共通だけれどそれ以外が異なる点が多い。


「他の魔女もきっと自然が自我を持ったものなのでしょう。どの魔女もその元は『自然』という一つのものです、だから考えることは似ているのでしょうね」

「……他の魔女のことは知らないんですか?」

「知らないですね。だからあくまで私は、と言っているのです」


 ふう。魔女は喋りつかれたのか大きな仕草で息を吐くと、ワインを一気にあおった。立ち上がってマルカのベンチにあるグラスを手に取るとそれも一口に飲み干した。

 席に戻って、「さて」と閑話休題を示す。


「マルカさん。賢い賢いマルカさん。あなたならば、私がどうしてこんな話をしたのか分かりますよね。私はあなたに小言を言いに来たのではありません、そんな無意味なことは決してしません、頼みがあったのです。お願いがあったのです。それはどんなことか、分かりますか?」

「サイクロプスたちを――」


 マルカは言葉をいったん切る。どの表現を使えばいいのか適切なのか、分からなかったからだ。


「――開放すること、ですか?」

「その通りです。サイクロプスたちは、あの男によって感情と人間としての知識を与えられています。人造魔女計画――とかいうあまりにも愚かで言葉も出ない程的外れな計画の遺産を使って、感情と知識を与えられているのです」


『種』だ。サイクロプスは『種』を使われたのだ。

 あのカルトの連中が『御神体』と呼んでいた肉の塊に、植え付けた人間の感情を自動的に吸い上げて譲渡する忌まわしき『種』――それを植えたのではなくて、サイクロプスに受信させたのだ。

 感情と人の言葉とその意味を理解できる程度の知識を持ったサイクロプスは、そうやって生まれた。


「私がどうしてサイクロプスに感情を与えなかったかと思いますか?」

「非情な殺人兵器にしたかったから、とさっき……」

「そうです。サイクロプスは人への殺意を生まれながらにして持った殺人兵器です。そんな彼らに感情なんて持たせたら――それはあまりにも可哀そうです」

「可哀そう…………」


 その言葉の意味は、マルカにも分かった。

 意味も分からない、根拠もない、ただただ常に人間への憎悪を持って生きていくだなんて――あまりにも可哀そうだ。


 その上、あのサイクロプスは人間としての知識まで持っている。持たされている。『種』は人間の記憶まで吸い上げるのだ。だから彼らは、「人を傷つけてはいけない」とかいう人間の常識と、親に優しくされたという記憶を所有してしまっているのだろう。


 矛盾、している。

 人の良識はあるのに、人を殺さなければならない。

 そんな状況、そんな矛盾した心境、いつか壊れてしまうだろう――。


「私だってそんな存在、できることならば作りたくなかった。だけれど彼らが居なければ、私を殺そうと攻め込んできた人間に他の動植物が殺されていました。ですから、そうならないように人を殺すのに特化した存在が必要だったのです」


「…………よく、あれだけ散々貶しておいて、頼みなんて言えましたね」

「うふふ。人間に怒りをぶつけるのもやりたかったことですから」

「あなたが自分でどうにかすることはできないのですか?」

「無理ですね。私はこの森のことを全て把握できていますけれど、もうすでに死んでいるんですよ」

「こうやって心に入り込むことは?」

「これはマルカさんだからできていることなんですよ」


 魔女はマルカの胸の辺りを指さした。

 そして人差し指を曲げて親指と繋げて丸を作る。


「あなたのように、心の中に隙間がある人間じゃないと私は入り込めないのです。この森にあなた達がやって来た時から私は入り込んでいましたよ? 穴ぼこだらけだったのでちょっと記憶とかも覗かせていただきました。……それもさっき、あなたが泣いたくらいで追い出されてしまいましたけど」

「今はわたしが気絶してるから入り込めてる、ということですか?」

「はい、まあ、そう捉えてもらって問題ないかと。……それで、どうします? 引き受けてくれます?」

「あなた、わたしの心が読めるんですよね?」

「うふふ。はい。だってここはあなたの意思の中、なのですから」


 何もなかった広場に、床に倒れているククルの姿が現れた。彼女の頭の隣で伸びているジダも、幾つも降り注いだ樹や岩石も。


「夢が覚めます。現実に戻ります。では、頑張ってください。お礼は……何か考えておきます。それではまた、縁があれば会いましょう。では」


 魔女は一方的にさっさと告げると、顔の横で指を鳴らした。

 ぱっと一瞬視界が暗くなった。

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