第14話 伊瀬茜の気持ち

 「……私ですか?」


 伊瀬が土下座をしている黒柿から俺の方へ驚いた視線を向けるが、当たり前だろう。

 今回の依頼主は『お悩み相談部』のメンバーでも無ければ、萩先生でも俺でもなく伊瀬なのだから。


 「ああ。お前に対する虐め。今回の俺に対する暴力行為を学校に訴えれば、停学、もしくは退学も在り得ますよね?」


 もう一度確認の為に萩先生へと目線を向ければ、溜息を吐き出しながら肯定の意味と捉えられる首肯が返ってくる。


 「確かに、二つを合わせれば停学は間違いない。もしくは退学もあり得る」


 「ちょ、ちょっと流石に退学はやり過ぎなんじゃ」


 「南澤。これを決めるのは伊瀬だ」


 南澤が止めようとするが、口を挟むのは駄目だ。

 伊瀬は平穏な生活を望んでいると言った。

 本当に叶えたい願いならばここで黒柿を退学に持ち込めば平穏な生活は送れる可能性が増える。

 また、黒柿が何かをしないとも限らない可能性も考慮すれば一番適切なのは黒柿に退学という引導を渡すべきだ。


 「え、でも私が決めるって」


 選択権を委ねられ動揺して考えが纏まらないのか、伊瀬は泣いている黒柿をチラチラと見ている。


 「今回に関して悪いのは間違いなく黒柿本人だ。こいつが泣こうが喚こうが、犯した罪は消えない。ここで、お前が訴えても誰も文句は言わない。お前は傷付けられた被害者だからな。裁く権利は当然ある」


 「あ、茜」


 泉が動揺している伊瀬へと駆け寄ろうとするが、腕を出して制す。

 友達を虐めていた黒柿を泉は許す事は出来ない。

 だが、泣いて反省している黒柿を見て、もう良いのではないかという概念が泉だけではなく、他の全員にも頭の片隅には存在するのかもしれない。


 だが、俺はそれが許せない。

 泣けば許していいのか?

 反省した証とも呼べる悲痛な涙を見せれば全てが許されるのか?

 断言できるが、犯した罪は消えないのだ。

 だからこそ、この場では張本人である伊瀬が決めなければならない。

 正解、不正解ではなく絶対条件だ。


 「……私は、涼君を許すことは出来ません。私がどれだけ辛い思いをしたのか知らないでしょうから」


 伊瀬は少し怒りが混じった声で黒柿に対して呟く。

 黒柿に対する物言いは憎しみが籠もっているとも言えるだろう。泉もまた感じ取ったのか、俺の裾を震える手で掴んでいる。

 彼女のこんな姿は友達として見たくは無いのかもしれない。

 だが、これが現実だ。

 誰だって憎しみ、悲しみは残り自分を陥れた人間は罰を与えられず、何事も無かったかのように幸せな日常を過ごすのは殆どの人間は許容できない。

 しかし――――まだ終わりではない筈だ。


 「泉。目を背けずに見ろ。友達が頑張ってるんだ」


 密かに邪魔にならない程度にか細い声で泉にだけ聞こえるように呟くと、泉は視線を下から前へと向け二人の行く末を目を背けずに見つめる。


 「本当に憎いです。どうしたら人を陥れる考えが生まれるんだって思います。だけど、最悪な気持ちと同じほど――――涼君には楽しい時間も過ごさせて貰えたんです」


 眼鏡の下に涙を浮かべながら、伊瀬は黒柿の背中を擦る。


 「私はあまり引っ込み思案で話す方じゃなかった。あんまり友達も多くない方だけど人と話すのは結構好きだったんです。楽しいし、面白いから。あんまり自分から話せる方じゃ無かったから、親友である愛華と話すのは楽しかった。だけど、愛華と話すときと同じくらい涼君と話す時間も楽しかったんです。偶然出会って、少しずつ話すようになって、面白くて、楽しくて、いつの間にか好きになって本当に……楽しかったんです」


 「……茜」


 黒柿が涙で塗れた顔を伊瀬へと向けると、伊瀬もまた先程までとは変わり、優し気な笑みを浮かべていた。

 

 「涼君が女に裏切られた何て知らなかったんです。なにも事情を知らないで怖がって逃げて別れた私にも非があるんだと思います。だから、今回やってしまったのは私は許せないですけど、今後に私だけでは無くて他の人達にも絶対にしないって誓ってください」


 「――――」


 伊勢の言葉に涙がまた溢れ始めてしまった黒柿は言葉が発せないのか、大きく、何度も頷く。


 「こういうことなので、今回は許してもらえませんか?吉条先輩」


 「さっきも言ったが、俺は何の恨みもこいつには無いからな。伊瀬が決めろ」


 「なら、今回はお咎めなしでお願いします」


 「安心しろ。お前が言うよりも先にもうこいつらは証拠隠滅の為か録音も動画も消してるよ」


 「え、あ、うん」


 「そうだね!」


 「私もあんな動画は消してあるわ」


 南澤が一瞬鈍い反応をするが、俺の言葉の意図に気付いたのか、三人はそれぞれスマホを動かす。


 「ほれ、泉も」


 一番最初に回収したスマホを泉へと返せば茫然と伊瀬の方を見ていた泉はハッとした表情をし、慌てた様子でスマホを動かし始める。


 「……ハア。それじゃあ、私も見なかったということで伊瀬さんは黒柿君を連れて教室に帰りなさい」


 「はい。すみません。ご足労いただきありがとうございました」


 「あ…ありがとう…ございました」


 黒柿は涙で顔を濡らし、伊瀬もまた目頭に涙が浮かびながら二人は音楽室を出る。


 「さてと、俺も帰るか」


 「吉条君は待ちなさい」


 全てが一件落着で帰ろうとしたが、そうは問屋が許さないらしい。

 萩先生に引き留められる。


 「貴方達は教室に戻りなさい」


 「良いですよ。どうせ、後で話すんですから二度手間になりそうですし」


 萩先生が他の全員に退出を命じるが、萩先生の要件は既に分かっている。

 『お悩み相談部』のメンバーには放課後の部活で同じことを話す必要性を考えれば全員が揃っている場面で話した方が楽だ。


 「なんのこと?」


 寺垣が分からないのか、俺と萩先生の間を視線を動かすが、


 「泉言ったよな?どうしてあんなにも見事に成功したのかって」

 

 「……は、はい。とても気になりましたし」


 「その事ですよね?萩先生」


 「そうよ。どうして貴方は――――あんな方法が出来るのかしら」


 「さあ、俺からすれば出来るからやっているとしか言いようがないですね」


 「ねえ、あんな方法って何?」


 南澤が尋ねてくるので、仕方なく話そうかと思ったが、俺よりも先に清水が答えた。

 

 「心理的操作マインドコントロール。吉条君が使ったのはそれよ」


 清水が分かるのは予想済みだが、ここに来て初めて名前を呼んだことに俺は感心してしまう。

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