異世界の零
猫目 青
第1話
雫型の風防ガラスの向こう側には焦がれていた光景が広がっている。零戦に乗る前田 咲夜上等兵は、その光景を見て心躍らせていた。
沖縄の空の下。編隊を組んだ艦隊が、青い海を泳いでいる。黒い機影は青い海に不気味な暗がりを広げていた。
その艦隊に、落ちていく戦闘機がある。
翼に日の丸を抱いた零戦が米艦隊に急降下しては、海に飲み込まれていく。
神風特攻だ。
大東亜戦争において東南アジア・南方諸島を含む絶対防衛圏が破られた今、本土へと進行を進める米軍相手に編みだされた一撃必殺の反撃。四月に沖縄本土に米軍が上陸してから、日本軍はこの特攻隊を九州方面の航空基地から繰り出す作戦を続けていた。
国を守るために、命を捨てられるのなら本望だ。そのつもりで自分は戦ってきたし、心を鬼にして若い学鷲の青年たちを特攻隊員として見送ってきた。
そして今、自分にそのときが巡ってきたのだ。
咲夜は操縦桿を握りしめ、爆炎の轟く海上を見つめていた。敵戦闘機に爆撃され、落ちていく仲間の機体を睨みつけながら、操縦桿を引く。
機体を上昇させ、旋回しながら周囲の様子を窺う。幸い、高度六千メートルのこの場所に敵機のグラマンF6は見当たらなかった。
咲夜の乗る零戦は、長距離走行と格闘性能に優れている反面、急降下で劣るという欠点を持つ。その盲点をついて、敵は急降下しながら近づき攻撃を繰り出してくるのだ。
これで心おきなく逝けると、咲夜は微笑んでいた。
ラバウルでの激戦を生き抜き、飛行機乗りとして優れた腕も持つ咲夜は、若い学徒たちを特攻隊員として育ててきた。
闘志に燃える彼らの眼を咲夜は忘れることが出来ない。国を守りたい。その一心で、彼らは散華していった。
「ようやく、君たちのもとへ行ける……」
彼らに言葉を送る。機首を海面へと向け、咲夜は愛機を右旋回させながら風防の外を見つめる。
はるか上空に煌めくものがある。敵機の機影だ。その煌めくものの間から、火を噴いて落ちていく特攻機を見つめる。
短い飛行訓練しか受けていない特攻隊員たちは容赦なく、敵編隊に撃ち落されていく。咲夜がここまでこれたのも、死闘をくぐりぬいてきた自身の技量と、奄美黄島上空まで自分を護衛してくれた紫電改に乗る三四三航空隊の護衛のお陰だ。
「行ってくるよ。陽介……」
紫電改に乗り、自分をここまで導いてくれた戦友に想いを馳せる。ラバウルで死闘を共にした戦友は、別れるときに風防越しに敬礼もしてくれた。
——お前が、先に行くなんて信じられないよ。
そう、言っていた彼の言葉を思い出す。
——絶対に、無時に帰ってきてくださいね。
そう言って、別れた幼馴染の言葉も思い出す。
「それは出来ないよ、茜」
彼女の言葉を思い出し、咲夜は苦笑していた。
彼女の名は、茜。
まるで夕焼けにそまった茜色の空のように、鮮やかな印象を自分に与えてくれた女性。海に浮かぶ故郷の中で、彼女はいつも輝いて見えた。
「行こうか。レイ」
自身が乗る零戦に語り掛ける。咲夜は長年握り続けた操縦桿を優しくなで、敵の待つ海上へと急降下していった。
皇紀二六〇〇年に作られた戦闘機だから、零戦。ゼロと呼ぶ人もいるがなんだか味気なくて、咲夜は自身の愛機をレイと少女のような名前で呼ぶようになっていた。
丸みを帯びた翼をもつ零戦は、女性的な愛らしさすら持ち合わせている。そんな愛機を、咲夜はまるで妹のように思っていた。
咲夜の乗る零戦は、彼が台南航空隊にいたときから乗ってきた零戦二十一型だ。特攻に行けと命令されたとき、差し出されたかつての愛機を目の当たりにしてどんなに驚いただろうか。まるで、自分も戦地に向かいたいと彼女自身が訴えているようだった。
回想をやめ、咲夜は愛機と共に沖縄の海を走る。
目指すは、島のごとく海上に聳える軍艦の群れ。咲夜の接近に気づき、哨戒にあたっていたグラマンがこちらへと接近してくる。右旋回し高度を下げながら咲夜は海面すれすれを飛んでいく。
敵機が後ろから近づき、機銃を放ってくる。スロットルレバーを巧みに動かして、機体を滑らせ銃撃を巧みに躱す。機首を上げ、急上昇。左に機体を回し、そのまま咲夜は戦艦めがけて特攻する。
強力な重力が体にかかり、前のめりの姿勢になってしまう。愛機の翼がたわみ、風防越しに刺すような風音が聞こえてくる。
体が押しつぶされそうだ。それでも咲夜は操縦桿を押し、戦艦へと突っ込んでいく。
戦艦の回転銃が火を噴き、愛機を襲う。光る弾丸が風防に穴をあけ、咲夜の頬に傷をつけた。
——生きろ。咲夜……。
そういって、自分を送り届けてくれた陽介の言葉が脳裏をよぎった。だが、その言葉に応えることはできない。
「俺は、お前の中で生き続けるよ……」
彼に送った言葉を繰り返す。息をすって、咲夜は接近する戦艦を睨みつけていた。
「うぉぉぉおおお!」
叫ぶ。力の限り、叫ぶ。
後方に気配を感じる。敵戦闘機が、機銃を容赦なく打ち込んでくる。それでも咲夜は止まることなく、標的の戦艦に激突していた。
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