第1講 忘れられた財布
1
水色の絵の具をベタ塗りしたような十月の青空のもと、お昼休みを終えたサラリーマンたちが談笑しながら歩道を歩いている。会社に置いたままなのか、スーツの上着を羽織っているひとはほとんどいない。
片側二車線の大通りは渋滞というほどではないが、信号が赤に変わるたび、交差点に次々と車が溜まっていく。
そんな外の
音楽を聴くともなく聴きながら、
「……理子さん、聞いてます?」
ぼーっとしている理子に、正面に座る
「ああ、ごめんごめん……まだ秋学期が始まるって実感がなくて。なんか、ぼけーっとしちゃった」
「たしかに、全然『秋』って感じじゃないですもんね。今日なんて普通に暑いです」
そう言って友香は、ブラウスの袖をたくし上げてあらわになった白い手首に視線を落とす。ベージュのチュニック姿の理子は、マグカップに手を伸ばし、ストローでアイスコーヒーを口に含んだ。すっきりとした苦さを通りぬけて、ほどよい甘みがあとからじわりと広がる。
東雲理子は
学部と大学院という所属の違いはあるが、二人とも「哲学」を学んでいる。哲学専攻には女子が少ないこともあり、出会ってすぐ、学年の垣根を越えた親友になった。
城京大学は翌週から秋学期の授業が始まるところだ。学務課に春学期の成績表を受け取りに来るのに合わせて、二人は近所の喫茶店「クレール」にお茶を飲みに来ている。
「で、理子さん、授業どうします? せっかくならひとつくらい、一緒の授業出たいんですけど……」
友香はほんの少し気恥ずかしそうにうつむくと、理子から借りた大学院の授業時間割表を眺める。哲学専攻では、学部と大学院がたがいに互換性のある授業を開講していて、一定数の単位はそれぞれ自分の卒業単位に含めることができる。
四年生の友香は卒業に必要な単位は揃っていて、あとは卒業論文の単位を残すだけだが、同じ授業を履修することで定期的に理子と会う機会を持ちたいようだ。
「
「うーん……大道寺先生の授業は絶対に出るつもりなんだけど……」
理子がスマートフォンを手に、もう一度「う〜ん」と
「これじゃあ、なんの参考にもならないよね!」
理子は手にしたスマートフォンの画面を思い切り友香に向けて差し出す。
「……たしかに」
画面に映っている大道寺の授業「精読演習B」のシラバスには、理子の怒りもごもっともなほどの、わずかな情報しか載っていなかった。
『精読演習B 大道寺哲 開講曜限――未定 授業題目――未定
内容――開講時に指示する』
「……これって、そもそも載せる意味あるんですかね?」
「ほんとだよね……授業のこと、なにひとつわからないし」
「……あ、じゃあ、理子さん」
「ん、なに、
「どんな授業になるのか、私たちで推理してみません?」
(続く)
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