暁の乙女(#暁の乙女)

伽藍 @garanran

(1)「だから、あなたはわたしに協力するのよ」

「わたし以外の誰かになりたかったの」

 あたしの前に突然現れた少女は、堂々とした口調でそう言った。



「ごめんくださいな」

 覚えのない少女の呼び声が聞こえた。

 すぐ手を伸ばせる位置に木の棒があることを確認してから、ガタガタと音を立ててようやく家の戸を開けた。あたしの家の前には、王都の中心街には及びもつかない、ぼろぼろに崩れかけた石畳が広がっている。

 夜の薄闇の中で、家から漏れた明かりに浮かび上がった少女の姿を見て、あたしは息を飲んだ。

 驚くほど似ていた。誰にって、あたしにだ。本当に、驚くほどそっくりな少女だった。

 鏡で写したように。

 長い髪に、海の色めいた瞳。歳も同じくらいだろう。

 ふと不安になって、自分の存在を確かめたくなった。彼女とあたしが、あまりに似ていたから。

 そろりと手を上げて、自分の頬に触れる。かさりと乾いた肌触りが手に返る。目尻に、睫毛。逆の方向に指を滑らせて、唇に触れる。柔らかさとは無縁の唇。

 そんなあたしの行動をどう思ったのだろう。眼の前の少女に、動じる様子はなかった。

「なん……」

「わたしはね、わたし以外の誰かになりたかったわ」

 何を言えば良いか迷って、結局ろくに言葉を返せないあたしを遮るように、少女は言った。

「あなたはわたしに協力するのよ」


 凛とした、迷いのない、よく通る声だった。

 まるで舞台で演じる幼い女優のような、多くの誰かに聞かせるための声で。

 少女は自信に溢れた足取りで、口振りで、顔つきで、佇まいで、だから、と顎を上げた。

 まるでそれが、当然のことのように。


「だから、よろしくね」

「え、……えっ?」

 何が『だから』なのだろう。

 困惑することしかできないあたしに、少女はやはり舞台の上で女優がそうするように、にっこりと笑った。


 美しい少女だった。顔立ちはあたしと全く同じはずなのに、あたしとは比べられないほど美しい少女だった。

 あたしと全く同じ顔をした、あたしと全く違う顔の美しい少女。

 頭にちょこんと乗った赤い頭巾と、布をたっぷりと使ったドレスに、色とりどりの装飾。一際美しい金の耳飾りが、強烈にあたしの眼を惹いた。

 一目で、彼女が特別な立場にいる少女だと判った。あまりにあたしや、普段関わるひとたちとは空気が違った。

 それこそ、東の王宮街に住まう貴族のような。

 うら寂れた路地の奥に彼女の存在はあまりに場違いで、あたしはそこでようやく我に返って少女を家に引っ張り込んだのだった。


「きゃっ」

「家に入って、危ないから!」

 細い体を家に押し込んで、そこにいてね、と一言かけて外に出る。誰かが彼女に眼をつけたかも知れないと思ったのだ。貧しい者ばかりが住むこの地域で、豪奢な服を着たいかにも育ちの良さそうな少女は良い獲物でしかない。

 ひとの気配を探るが、誰かがこちらを見ている様子はない。念のためと足を進めた。

 路地を抜けた先まで確かめたが、誰の姿も見えなかった。締め切られた窓から零れたわずかな明かりが辛うじて照らすばかりの、薄暗い夜の道が広がっている。

 ほうと安堵の息を吐いて、あたしは踵を返した。


 家に戻ると、少女はあたしの家のあちこちを見て回っていたようだ。勝手な子だと思ったけれど怒る気にもなれなかったのは、彼女があまりに無邪気な様子だったからだろう。

 木でできたあばら屋が珍しいのかも知れない。彼女のような身分の少女は、きっと煉瓦で出来た豪邸か、下手をするとお城にでも住んでいるのかも知れなかった。

 気づいたときに掃除はしているつもりだけれど、あんなドレスに身を包んで家探しをしていては汚れてしまうのでは、とそれが少々気にかかった。

「これはなに?」

 ぴら、と葦の籠から引っ張りだした布切れを広げてみせてくる。それはあたしのワンピースだ、なんて想像もしていないらしい。

 答える気力もなく、あたしは粗末な椅子に座り込んだ。座るたびにぎしりと音がする、外に置かれていればゴミにでも間違われそうな古びた椅子だ。

 焦りが過ぎ去ってしまえば、どっと疲れが押し寄せてくる。あたしが一息つく間に、少女は奥の部屋に向かっていた。

 そちらは炊事場だ。あたしから答えが返ってこなくても気にしないらしい。

 ひらひらとドレスを靡かせて動き回っている少女をしばらく眺めて、あたしはようやく声をかけることにした。


「あなた、何をしにきたの? というか、お迎えはいつくるの?」

「迎え?」

 くるりと、少女は振り返った。思いも寄らない問いかけをされたと言いたげな顔だった。

 その無防備な表情を見ただけで嫌な予感に頭が痛くなってくる。

「こないわよ。わたし、家出してきたの」

「……」

 もう、言葉もなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る