白よりも白く光れ

笹熊美月

第一章

1.FLASH BACK

 天空を覆う黒雲と雷鳴。それら神の領域に届かんとする山を削り取るが如く、強烈な勢いで豪雨が滝のように流れる。


 地表を穿つ雨が降りしきる中、森を全力で疾走する複数名の影があった。


「絶対に逃がすな!」


 黒装束を纏った影集団の前方には、子供を脇に抱えながら走る青年の姿がある。その足取りは濡れた草の上を滑るように軽やかだ。


 それでも森の中では方向感覚が狂い、雨で視界は最悪の状態。また木々に跳ね返る雑音で聴覚も頼りにならない。今でこそ逃げ続けていられるが、重りを背負ったままでは体力を消耗し、ぬかるんだ地面に足を取られれば一貫の終わり。


 後方から迫り来る集団は、泥を蹴飛ばすような力強い足運びであり、疲労の様子が一向に見えない。着実に青年との距離が詰まる。このままでは逃げ切れない。そんな彼の不安を察したかのように、どこからともなく語りかける声が聞こえる。


(紫の末裔よ。我の名を呼べ。敵を一網打尽にしてやる)


「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!」


 幻聴を振り払うかのように、青年は一心不乱に大声で叫ぶ。しかし、それが致命的な仇となった。森を駆け抜けた先は崖であり、どこまでも黒い海が広がっている。


 急いで引き返そうとするも、もう既に黒装束達が近づいていた。崖下は何もかもを呑み込まんとする死の海。逃げ場は無い。どうせ体力の限界も時間の問題ならば、ここで追手を迎え撃った方が良い。そう覚悟した青年は咄嗟に子供を岩陰に隠し、堂々と敵を待ち構える。


「とうとう追い詰めたぞ。観念しろ!」


 敵の頭目らしき人物が怒鳴る。それに怯むことなく、青年は冷静に受け答えた。


「断る!」


「貴様、自分が何をしているのか理解しているのか⁉ それは紅の姫だ! 殺さなければ戦争は終わらぬ!」


「許容できん。オレは世界の管理者たる、紫の宿命を背負う!」


「ならば一緒に死ねぇい!」


 頭目の掛け声と同時に右、左、前の三方向から部下の黒装束が刃物で斬りかかる。その中心にいた青年は最小限の後退で躱し、鞘から刀を抜き出して横一線に薙ぎ払った。


 一撃必殺の居合斬り。この技を受けて立っていられた者など、彼の経験上では存在しなかったが、黒装束の三人共が何事も無かったかのように平気で戦闘を続行する。今度は上、真、下の同時攻撃。


 僅かに動揺した青年も瞬時に頭を切り替え、正面から突き出される武器の隙間を縫うように避けつつ、そのままの勢いで擦れ違いざまに敵一人の首を跳ねる。手応えはあっても敵に通用しないのであれば、体を動かす脊髄ごと切断すれば良い。戦闘において最短で正解を導き出す彼は天賦の才能を持っていた。


 しかし、実戦での経験不足が露呈する。多対一での中央突破は敵に囲まれるだけであり、青年は前後から挟み撃ちにされることを想定していなかった。


「隙有り!」


 距離を詰めた頭目の大剣と、背後から部下二人の刃が迫り来る。まず青年は返す刀で大剣を受け流そうとするが、重い一撃の衝撃を殺し切れない。かと言って受け止めようとすれば、硬直した体を部下の刃が貫く。


 それならば、いっそのこと弾かれてしまえばいい。脱力した青年は刀で受けつつ大剣に吹っ飛ばされ、体を岩に強く叩きつけられる。かろうじて致命傷は避けたものの、刀は折れ、背中の痛みは敏捷性を損なう。


 代償は払った。とにかく青年は敵との距離を取りたく、自ら崖先へと移動して相手を誘い込む。彼は脇差から最後である二本目の刀を抜き出し、背水の陣で敵を迎え撃つ。



 まず一人目。刃を交える暇も与えず、神速の居合切りで胴体を切断する。次に二人目。今まさに振り下ろされる刃と交差するように、下から刀を振り上げて両腕を切り落とす。そして相手を無力化してから、冷静沈着に素早く首を跳ねた。多対一なら勝算は低いが、一対一が三回なら勝てる。


 残るは頭目の一人だけ。相手の得物は見たことも無いほど巨大な黒刀だが、懐に入りさえすれば切り伏せられる。勝負は一瞬。青年は呼吸を整え、ただ単純に正面から突進する。敵の横薙ぎを掻い潜り勝ちを確信するも、相手との距離が詰まっていないことに気づく。


 頭目は後ろに下がりつつ攻撃を放ち、黒刀の遠心力を利用して二撃目を放とうとしていた。野生の勘が働いた青年は跳躍し、自分の体を独楽のように捻りつつ、刀を当てて黒刀の勢いを受け流す。


 しかし、凄まじい力で振り回された黒刀の勢いを殺し切れず、またも青年は刀を折られて吹っ飛ばされる。どこの流派とも知れぬ、間合いを操作する滅茶苦茶な太刀筋に翻弄され、彼は自分の未熟さに歯噛みした。


(まだ強いな。もっと弱くなれ。紫の子孫ともあろう者が嘆かわしい)


 幻聴の言う通り、青年の判断は正しい。まともに黒刀を受けていたら、刀ごと体を寸断されてしまうところだった。ただ惜しむらくは、背中の痛みで無意識に肩の力が余計に入り、彼の振る刀の扱いが超絶技巧に達していなかったことである。


「勝負あったな。だが案ずるな若人よ。一息で冥土に送ってやる」


 頭目が余裕綽々と青年に歩み寄る。生きながらにして敵に情けをかけられるなど、これ以上の恥辱を味わったことはないが、今は切腹するための小刀すら手元に残されていない。


(個人の感情よりも、紫の使命を全うしろ。我を抜かねば死ぬぞ)


 分かっている。ここへ来るまでに、何度も繰り返されたやり取り。脳味噌に穴が開きそうだ。自暴自棄になることも許されぬまま、ついに青年は本当の意味で一族の宿命を背負う覚悟を決めた。


「オレの名はライ! 次代の紫になる男だ!」


(よくぞ言った若き紫! 一騎当千の力を授けよう! 今こそ我の名を叫べ!)


 幻聴ではなく、紫の一族に伝わる守護神の声が脳内に響き渡る。雨も、風も、草木も、地面も関係なく無音が広がる。ただ相手を一点に見据え、時間が止まる様な極限の精神状態で、青年は三本目の刀を抜く。


「紫電一閃!」


 白よりも白い閃光が瞬いた。

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