百鬼絢爛 異聞 「姉妹と鬼」
赤城 良
姉妹と鬼(上)
これは、とある姉妹と鬼の異聞である。
豪華絢爛な庭園の縁側に絶世の美女と都で謳われる女性が、赤子を抱きかかえていた。そこに駆け足で彼女に迫る少女がいた。
妹を抱いている母に駆け寄り、少女は妹の小さな手に恐る恐る手を近付けて握った。か弱い力で握り返してきた妹の小さな手の温かさを感じながら微笑んだ。
「妹、可愛いやろ?」
「そやな! めっさ可愛い!」
「もし、あちきがおらんようになっても守ってあげてぇな。あんたぁは、お姉ちゃんになったんやさかい」
「うん!」
それから暫しの時が流れた。
少女は数え年で九つ、凛とした顔立ちは絶世の美女の名を冠した女性を幼くした、まさに母娘だと一目で解る可愛さであった。
妹は数え年で五つであった。彼女もまた少女と同じく、母の面影を誰しもが思い浮かべることが容易な端正なものだった。
しかし、二人は今泥まみれの薄汚い着物を着て一目を避けながら、とある場所を目指し山道を歩いていた。異聞はここから始まる。
少女は妹の手を離さすことがないようにしていたはずだった。しかし、覚束ない足取りで走っていた山道が降り出した雨で崩れてしまった。そのせいで、妹が滑り落ちてしまい手を放してしまったのだった。
「待っときや! ねぇねが行くまでそこで待っときや!」
「あぁぁぁ! 姉上ぇー! 痛いよぉー! 姉上ぇー!」
泣きじゃくる妹の声が耳に入って来るたびに苦痛で心の臓が締め付けられた。少女は自分の足元を見た。履き慣れない草鞋にはべっとりと泥が引っ付き、少しばかり皮が剥けて血が出ていた。
「今行くから待っとき!」
少女は何度も後ろを振り返りながら八尺はある崖を飛び下りた。着地してすぐに妹は少女に抱きついた。
「姉上ぇー! はよのんのしょー! 屋敷にはよのんのしょー!」
「もう言うたやないか! ウチらは屋敷には帰られへん!」
妹は激流にも似た涙を流しながら少女の顔を覗き込むように見た。
「姉上ぇ……」
「何や?」
「母上にお会いしたいぃ!」
「もう母上はこの世にはおらへん! あんたも見てたやろ!」
「嫌やぁ! 母上に会いたい! 母上に会いたい! 母上に――」
「やかましい! もう会んもんは会えんのじゃ!」
「あああああぁぁぁ!」
泣き続ける妹に釣られて、少女も母のことを思うと涙があふれ出てきそうになっていたが、彼女は母に言われた言葉が頭の中で響き、ぐっと堪えた。
「もう泣くんはやめぇや。そないなことしちょると――」
「いたぞ!」
崖の上の方から聞こえた声に顔を向ければ、そこにいたのは刀を握った男衆だった。
「はよ、逃げんと!」
少女は泣き続ける妹の手を今度こそ離すことがないように強く握り、木々の枝を飛び越えながら追っ手から逃げよとしていた。
「殺せ! 殺せ!」
「皆殺しじゃ! 殺せ!」
追っ手はぬかるんだ山道を必死で二人を追いかけたが、結局その日は見失ってしまった。
夜になり、ひどく凍えそうな山の寒さに打ちひしがれた二人は濡れた着物を枝に干し、互いに抱き合いながら寒さをしのごうとしていた。
「姉上……寒い寒い」
「そやなぁ、ウチも寒い寒い」
震えながら火を起こすことも少しは考えた。しかし、それでは追っ手に見つかってしまう危険が伴う。今は耐え忍ぶことが大切なのだと少女は思った。
「管使うけ?」
「えぇの?」
「しゃあないやろ」
少女が風呂敷に入れていた管の蓋を開けると、中から夜の暗さよりも真黒で三尺はある長く細い管狐が三匹出てきた。
「ウチらを少しでもえぇから、ぬくくしておくれや」
三匹は二人の全身を覆ったが、結局は身体が感じる寒さを変えることはできなかった。結局は妹だけに管狐を終始身体を覆わせ、少しでも眠ってもらうために常に管狐を動かし続けた。
「姉上、ぬくい……姉上?」
「ん? 何や?」
「ウチらが何をしたん?」
「ウチにも解らん」
「ウチらはどうして人間に殺されなあかんの?」
「解らん」
「姉上、ずっと一緒にいてくれはる?」
「当たり前や。ねぇねは、ずっと一緒におるかんね」
「うん……母上は……どうしてウチらを……」
結局最後まで言えぬまま眠りに就いた妹の顔を見ながら、結局自分にできるのはこうやって見守るくらいしかできないと思ったのだった。
もっと自分に力があれば良かったなどと思っても、時はすでに過ぎ去り戻すことなどできない。遠くの方で陽が昇り始め、夜の暗闇がゆっくりと灯されていく頃に妹を起こした。
「ほら、起きぃや。もう行くで」
「ん、ん? おはようさん。姉上……母上は?」
「何を寝ぼけとんねん。母上は……おらん。今はねぇねとあんたの二人だけや」
まだ眠く重い瞼を擦りながら妹はゆっくりと起き上がった。妹の身体中を這いずっている管狐は妹が立ち上がると同時に管へと戻した。
歩いて数時間もしないうちに辺りは太陽の支配する世界へと変貌を遂げ、山に住む者達の声が聞こえてきた。囀る者もいれば、唸り声を上げる者もいた。
乾ききっていない濡れた着物を着たが、やはり体にへばりついてくる嫌な感触は好きになれない。そして妹の手を強く握って、少女はまた歩き出した。
二人が大きな石がまるで整頓されているような山の奥を歩いていると声を掛けられた。
「ここで何をしている?」
二人が声のした方を見ると、そこには朱色の二本の角を生やした、母に勝るとも劣らない美しき鬼の女が巨大な石の上で不気味な微笑みながらこちらを見ていたのだった――。
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