はやく人間に戻りたい!

ナダテテ

前半

 七月の休日の朝、家から最寄り駅まで徒歩二十分、乗り換え二回分を含め電車の移動で六十分、そしてここから行き先まで十分、片道に合計一時間半も掛けて行く。


(まだ昼前にすらなってないのになんでこんな暑いんだよ)


 駅から出て少し空を仰ぐと、眩しくて一瞬目を瞑る。

 熱中症防止のために被ったキャップ。そのツバから漏れて見える太陽を睨み付ける。陽光が俺の眼を焼き付けてきた。


「目が…、目がぁぁぁぁああ!!」


 ……………………。

 この前、男友達と二人で会話した内容が脳裏に浮かぶ。


『お前はいつも唐突に“そんなこと”するからモテねえんだぞ。あと友達も出来ないんだ』

『最後の一言無くても知ってるから、なんなら最初の言葉も知ってるから。現実突き付けないで』


 あの時、アイツが見せた顔はかなり真剣だったな……。慎しむべきか…。

 しかし、仮にめたとしても、俺がモテたり、俺に友人が増えることはない。俺は奇行以外に関しては平々凡々だし、既にクラスどころか学校でも浮いてるし……。

 唯一と言っても過言ではない友人の忠告をなんとなく一応、胸に刻んで、目的の物を入手するために歩き始める。


(あっつ…)


 サンサンと照りつけてくる太陽を嫌がりながら、手の甲で額から出る汗を拭って進む。


 こんな遠くまで外出している理由は“どこにも売られていないゲームを買うため”である。

 自転車で行ける範囲でどこの店に行っても「取り扱っていない」と言われる。近くのゲーム店どころか、ネットで調べると住んでる所から半径百キロすらにも取扱店が無いときた。

 俺の住んでる所は田舎じゃないぞ…。

 高いビルこそ無くともマンションはあるし、最新刊だって当日には店に並んでいるし、小規模なショッピングモールだってある。

 近くのゲームを売っている店は大小含めて十件以上があるのだが。

 仮にも最新ゲーム機のソフトなのに置いてないって…。

 どっかのオカマタレントみたいにどんだけ~って言いたくなる。置いてねえ店共を背負い投げしてやろうか!

 その『どんだけコアなんだよ』と突っ込みたくなるゲームを知った経緯は割愛するが、購買意欲に駆られたのは実に明快。登場するキャラのなかに好きな女子とよく似ている子が居たから。我ながら単純過ぎる…。


 駅から少し歩いて到着したここは、様々な専門店が建ち並ぶ有名で大規模なショッピングストリート。

 ゲーム店があるのは二つある大通りの片方。フィギュア専門店、ゲーム店、漫画ラノベ専門店等が建ち並んでいる所謂オタク街というやつだ。

 俺はそこまで詳しくないが、例の唯一である友人とつるんでいると色々と聞かされて、有名な作品ならいくつか視聴した。友人に今度はマイナーなものを紹介するとか言われ『○とハサ○は使いよう』というアニメのブルーレイを貸してくれるそうだ。それは置いといて。

 目標の店に入って無事にゲームを購入して店から出る。

 俺はゲームを右手で突き挙げ、掲げた。


「ゲットだぜっ!」


 下らないことはこれくらいにしておいて、さっさと帰ってゲームをプレイしよう。

 きびすを返して駅の方向へと歩いていると、ふと横を見て隣の通りへと繋ぐ路地裏を覗く。


(あっちにはアクセサリー店とか洋服店、あとペットショップとかあったかな…)


 路地裏はまだ昼前の明るい時間帯なのに暗く、メイド喫茶の勝手口や、蹴れば安い音が鳴りそうなゴミ箱が置いてあるのが見える。みちの長さは二十メートル以上あり、人が二人並べば通れない程に狭長としている。

 その向こう側に見えたのは、学級委員を勤め、みんなに慕われていて、そして俺が片想いしている彼女の姿があった。


初瀬川ハセガワさんだ……」


 一瞬しか、小さくしか見えなかったけど、確実にあの雰囲気は初瀬川実果ミカさんだ! 彼女を見続けて二年弱の俺には判る。

 当人に知られたらキモがられて軽く死ねそう…。

 休日に初瀬川さんと会えるなんて滅多にない! 尾行もとい追いかけよう。

 すぐさま行動に起こして彼女に話しかける為の追跡を開始。別に俺から逃げてるなんてことは無いと思うけど。もしそうであれば軽く死ぬ。

 何度か死ねる俺は何機あるんだ? なんて阿呆思考をしながら進む。

 路地裏の半分を過ぎた辺りで、急ぐ余り、足で何かを蹴ってしまった。

 無視しようとしたが、何故か気になってしまい、よく見ると何か書いてある。


「『見えそうで見えない! ロウアングルの魅力を激写!』? なんだこれ……」


 拾って立ったまま中を拝見しようとすると、後ろからプスッと何かで刺された。


(ウソっ……、だろ…)


 そのまま意識が離れていく。


(せめてアノ子を攻略してから…)


 死に際に考えたことはまた下らないことだった。初瀬川さんに告白とかじゃなくてギャルゲーのヒロイン攻略というのが俺らしい。……俺のチキン!

 死ぬのか。さよなら、親父、母さん、クラスのみんな…。

 記憶身体記録が乖離していき浮遊感を覚えて意識は天界そら高くへと昇っていく……


 ――ということは起こらなかった。

 さっきのは「厨二乙」って言うんだっけ?

 刺された痛みは特になく、目を覚まして四肢で立ち上がる。


 ここはどこなんだ、連れ去られたのか? 陽の高さもあまり変わってないし、そんなに時間も経ってないよな。

 色々な考えを巡らせるがすぐに気付く。


(ここはさっきと同じ路地裏だ)


 ただ大きい。

 勝手口には申し訳程度の階段が一段あったがそれは異様に高く、近づくだけで自分の頭が段上に乗りそうだ。

 ナンデ? 某手品師の「ちっちゃくなっちゃった!」とかもう片方の芸よりマイナーで古すぎるし何が起きたのかわからん。ついでにこんなよくわからん時でもバカできる自分の脳に驚いた。

 いや、でも今はそんなことはどうでもいい。俺は死んでない。生きてる!


 ギャルゲーのパッケージに描かれたヒロインの一人を思い起こす。


(アノ子を――アヤちゃんを攻略出来るぞ! ゲームはどこ?!)


 血眼になって探す。意識を失う前まで持っていた雑誌は無いが、ソフトは即座に見つかった。

 良かった。特に傷もないし無事だ。

 嬉しさの余り尻尾をブンブンと振ってしまう。――えっ? 尻尾?

 俺の姿はどうなってんだ? 確認の為に自分の手を見ると……、これは足だ、黒くて毛むくじゃらの前足だ。じゃあ自分の足は……、足は足だが後ろ足だな、真っ黒で毛むくじゃらの。


(いや…、は? ホントに俺の身に何が起きたんだよ!)


 冷や汗が伝っていくような感覚だ。

 首を後ろに回そうとするが、あまり動かない。身体の大部分が麻痺しているようで自由に動かし辛い。動かせるのは尻尾と前足を少し。

 てかこれ犬だよな、嬉しくって尻尾振っちゃうんだもん絶対犬だよ。

 刺されて目が覚めたら犬になってました。なんてどこの漫画だよ、ラノベだよ?! アニメだよッ!!


 暫く時間が経過し、身体が自由に動かせるようになったら、すぐにゲームをビニール袋ごと取っ手部分を首に掛ける。このままだと引きずってしまうので、どうにかして背中に乗せる。


 路地裏から抜けて色んな人に助けを求めようとした。だけど――

 おかしい…、近寄った人の皆が俺を見た瞬間逃げやがる。何故だ……。


 追いかけて逃げられるか、すれ違ったら逃げられる。

 それの繰り返しだった。


 結局は元居た場所に戻ってどうすれば良いのか考えあぐねてる。

 それにしたって――


(そんな『化け物を見た』みたいに逃げなくてもいいだろ……?)


 涙出そう…。犬の姿になる前から冷ややかな目で視られることは多々あったが、あんな黒い感情のこもった視線は堪えるものがある。

 今の俺の心は出荷前の魚みたいに氷付けだよ…。反対にコンクリの道路は太陽に照りつけられてそりゃもうアッツアツだけどな。

 でも不思議と平気で歩けるんだよなぁ。肉球が熱を抑えてくれてるんだっけ。

 ネットで犬の記事を読んだことを回想しても事態は好転してくれない。


(ダレカタスケテ!)


 犬が苦手って人だけに救援を求めてるって訳はないだろうし……。

 不安だ。人間ってこんなに怖いのか…。顔を見ようとすると夏の強い日差しのせいで逆行があってよく見えない。

 こっちを視た瞬間、ある人は恐怖や畏怖を、ある人は嫌悪や憎悪を、ある人は憤怒や激怒を表した顔をして逃げられる。意味同じとか語彙力無さすぎて泣くわ。主に著者が。

 小さい子供には泣かれてそれで親の表情が……、すんごくコワい…。

 ここまで逃げられるって…、もしかして異形の姿なのか? 尻尾を振れる辺り人間にはない器官も動かせそうだけど…。

 俺は今の自分の体のどこかに存在するかもしれない何かを動かそうと試みる。


「…………………………」


 うん、わかんね。

 …………。ていうか自分の目で見て確認すればいいだけだろ。よく分からない痺れは無くなってるし、早く気付けよ俺…。

 おまわり、おすわり、おて――は手しか確認できないわバカ。

 犬の芸をいくつかやって気付いた事は俺がチワワ、プードル、ダックス、ポメラニアン等の有名な犬種ではないということ。何か変わった姿をしているとは思えなかった。


「どうしたってこのままじゃ帰れねえしゲームもできねえよ……。………………」


 オレ、シャベッタ?


「俺は普通の高校生、羽島ハシマ貴志タカシ。好きな子で同級生の初瀬川実果を街で見かけて尾行したんだ」


 俺は某推理漫画のあらすじのように語り始める。


「ただ初瀬川さんをつけるのに夢中になっていた俺は背後から近付いてくる人影に気付けなくて…。後ろから刺されてしまった。そして――」


 またやってる…。やっぱ馬鹿だな、犬だけど。姿


「目が覚めると犬になっていたっ!!」


 完全に声出てたわ、喋ってたな。喋れる犬とか気味悪いよな、無意識に声出してたんだろう。そりゃ逃げるわ。


「キミ…、羽島くんなの…?」


 この声は……

 声が聞こえた方を向いて誰なのか確認する。

 そこに立っていたのは紛れもない、童顔気味な輪郭、鎖骨まで伸びてウェイブのかかったやや赤みがある髪、黒く透き通った丸い目、慎ましい胸部と、ほどよく膨らんだ足と腕をした初瀬川さんでした。

 終わったっぽくない?


(マズい、非常にマズい)


 何がマズいかと言うとさっきのあらすじを聞かれてた可能性があるのがマズい。『尾行』って言っちゃってたし……。

 俺今、苦笑した顔になってる気がする…。犬だからあり得ないけど。


「ワ、ワン! ワンワン! ワンワ――」


 咄嗟に口から出た犬の鳴き真似は彼女の活発そうな声によって遮断される。


「羽島くんが人面犬になったの?」

(……ん…? 人面犬………だと…ッ?!)


 何を言ってるのん? 初瀬川さんはそんな不思議キャラじゃないよね? あと『人面犬』ってフレーズがそんなパッと出てくるもの?

 色んな疑問で頭がフリーズする。いや俺の脳のスペック低すぎないっ?!


「…………」

「これを見たら分かるかな」


 初瀬川さんが手提げバックに手を入れて、固まっている俺の眼前に出したのは、彼女が携帯しているであろう手鏡だ。

 縁部分がちょっとデコられててかわいい。こういうこともするんだ。

 そして鏡に反射して映っているのは人間の俺の顔が犬に貼っ付けられたような『異形』そのものだった。

 顔変わってなかったアアァァァァ!!!


「気持ち悪っ!!!! なんだよコレ!!」


 額の半分までは確かに犬で、耳も犬。だけど頬やアゴ部分――顔のつらの部分だけが見事に俺の顔になってる。


(…ナニコノバケモノ……)


 深呼吸をして落ち着こう。

 冷静になると彼女のスカートの中が見えそうなのがわかった。

 しかしすぐに手でスカートが抑えられ確認することは叶わない。


(今の仕草がすごくかわいいですありがとうございます)


 やっぱ見えたらダメなんだよ。スカートの中に隠れてるからこそ、その聖域はそんな簡単に見られてはならないんだ。パンチラ等という言葉は即刻に廃するべきである!

 また馬鹿やってる場合じゃない。今の俺は馬でも鹿でもない、犬なんだぞ。

 確認しなければ……。

 恐る恐る彼女に訊ねる。


「聞いてた? その…、さっきの語りというかなんというか……」

「何を? なにか聞かれて困るような事でも言ってたの?」

「滅相も御座いません!」


 そうして、彼女にどうしてこうなったのか経緯いきさつを話した。もちろんストーカー行為は伏せた。罪悪感がぁ…。

 すると彼女は悩むように俯き、暫し経って口を開く。


「羽島くんを刺したその人が何か知ってるかもだけど……、心当たりはないの?」


 流石に刺されるような事をした覚えは……


「ないかな…」

「そうよね。羽島くんイイ人だもの」


 イイ人ってのは褒め言葉? それともどうでもいい人ってこと?


「私の家は神社なんだけど」

「な、なんでしょう? 唐突に……」

「犬の神様を祭ってるのよ。それでうちでは犬には優しくしなさいって教えられてるの」


 だから助けてくれるってこと?

 彼女は言葉を続ける。


「……犬…なのかな…?」

「犬ということにしてください! お願いします! なんでもしますからっ!」

「例えば?」

「命令してくだされば今すぐにでも…」


 一呼吸置いて笑みを溢される初瀬川様。


「ふふっ」


 菩薩ぼさつのような笑みを溢され、続いて仰せられる。


「そんな体じゃなんでもはできないでしょ? 無事に戻ったときにお願いするね」


 何をお願いしようかな。なんて独り言ちている彼女に俺は「出来ないこともあるのでそこは大目に見てください…」と声をかけると、彼女が不思議そうな顔で問い掛けてきた。


「ところでさっきから敬語だけどどうしたの?」

「そ、そうだよね。クラスメイトなんだからおかしいよね。ははははは……」


 俺の空笑いが路地裏で虚しく響いただけだった。

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