第12話 決戦前夜
模擬戦の本戦が終わり、土日があっという間に過ぎた月曜日の朝。緋那は青色から事情を聞いて、今日の朝早くから話があると言われたため、いつもよりも早めに寝て、朝5時に目覚ましをセットしていた。
いつもなら、うるさい目覚まし時計に嫌々手を伸ばして無理矢理起きるのだが、今日は目覚まし時計が鳴る前に起きることができた。
こう言った人との約束がある日や遠足、修学旅行がある日、休日に限って目覚まし時計よりも早く目が覚めてしまう。
「なんか目が冴えてる……」
だからこそ、今ある現実が幻などではなく、はっきりとしたものだと理解できる。
「…………氷雨??」
いつものように朝ごはんを作るためにキッチンへ行って冷蔵庫を覗くと、そこには信じがたいことに氷雨が綺麗にすっぽりと収まっていた。
「しゃ、しゃむい……」
「そりゃ、寒いでしょうね。というか、どうやってその中に入ったの?」
「気合いです」
「壊れたら弁償だからね」
「は、はい……」
この娘は普通に玄関から入って挨拶をするという常識が欠けているのかと緋那は思ったがーー
氷雨は身体をガクブル震わせながら冷蔵庫の中からゆっくりと脱出する。食料も手に抱えて持ったり、別の冷蔵庫の部屋に綺麗にしまっていたりと気は遣っているようだった。変なところで律儀である。
「それで、氷雨は何しに来たの?」
「お腹が空いたので、来ました」
「子供か」
氷雨には、事前に緋那の家の合鍵を渡しておいたのだが度々侵入してきては緋那を驚かしてくる。ある時は布団に忍び込み、ある時はタンスに忍び込み、またある時は先ほどのように冷蔵庫に忍び込む。小柄な彼女だからこそ、いつどこにいてもおかしくないので、余計な警戒心が芽生えてしまった。
あまりに仕掛けてくるせいで、今はもう慣れっこになってしまったが、心臓に悪いことに変わりはない。
などと思っていると、「ぐぅ〜」と腹の虫が鳴いていた。どうやら氷雨は本当にお腹が空いているらしかった。
「わかった。作るからちょっとテーブルで待ってて。急だからあり合わせのものしか作れないけど、そこは我慢してね?」
「はい!」
こういう時だけは元気がいい氷雨。よほど、緋那の作る手料理が楽しみらしい。緋那は特段、料理が上手いというわけではないが、毎日の栄養のバランスは考えて料理を作っている。
朝にしてもそうだ。時間がないときには本当に簡単に済ませてしまうが、今日は早起きができたので、多少手の込んだ料理を作ることができる。
「えーと、冷蔵庫には……」
卵が4個。プルーンヨーグルトが2個。ほうれん草が少々。ベーコンが数枚と昨日の残りのシチューが割とたくさんある。昨日の夜にちょっと張り切って作ってしまい、お隣の人にもおすそ分けしたのだが、まだまだある。
(うーん……あり合わせでも意外とボリューミーにはできそうだな)
パッと思いついたメニューは、まず、昨日のシチューを温め直す。そして、土曜日に買っておいたフランスパンを合わせて食べる。長く浸して、シチューとの味を楽しむもよし。少しだけ浸してフランスパン独特の食感を楽しむのもよしのメニューである。
次に、スクランブルエッグを作り、ケチャップやマヨネーズ、塩胡椒はお好みで。
あとは、ベーコンとほうれん草の炒め物。野菜とのバランスはすでにシチューでおよそ賄えているのだが、多いことに越したことはない。味付けはシンプルに塩だけだが、素の味が楽しめる一品だ。
最後に味のついていないプルーンヨーグルトに好きなジャムを混ざたデザート。ジャムは苺にブルーべリーや柑橘系のものもある。
「あ」
パッと思いついた中でどれか数品を作るつもりが気づいたら、全部作っていた。また緋那の悪癖が出てしまった。夢中になってしまうとついつい作りすぎてしまうという悪癖が。
「うわぁ……めっちゃ美味しそう……もう食べてもいいんですよね?」
「ん、ああ。いいよ、どうぞ召し上がれ」
「それでは、頂きます!」
氷雨はそういうと凄い勢いで緋那が作った料理を食べ進める。かなりお腹が空いていたのはわかっていたがまさかここまで食欲旺盛とは……作った側である緋那も悪い気はしない。
緋那が料理をついつい作りすぎてしまうのも、氷雨がこうやって美味しそうにたくさん食べてくれるから……なのかもしれない。
「朝は1日の資本……とはいうけど、流石に食べすぎじゃないの?」
「いいんです! 私は太らない体質なので!」
「いや、そういう問題じゃないと思うけど……」
そう言いながら、フランスパンやシチューのお代わりをバンバンしていく氷雨。一体どうやってこんな小さな身体に収まっているんだろうというレベルの食べっぷりに緋那は見ただけでちょっとお腹いっぱいになる。
「ご馳走さまでした! 美味しかったです!」
「まさか全部食べるとは……」
緋那としては少しくらい残るだろうなーと思っていたのだが、氷雨はきっちり平らげてしまった。おそるべし胃袋ブラックホール……
「それで、氷雨。本当にご飯を食べに来ただけなの?」
「ん……まあ、半分はそうですよ」
「半分……?」
「はい。私も青色先輩が開く作戦会議とやらに行きたいのです」
「…………聞いていたのね」
「はい。私と緋那が合流してすぐに青色先輩に緋那だけが呼び出されることに違和感を持ちまして。こっそりついて行ったら、その話を聞きました」
「……もし、ダメだって言ったら?」
「この場で緋那の胸を揉みしだきます」
「それは困るなぁ……私は別にいいよ。どうせ、青色先輩も分かっててその話をしただろうし、氷雨がついてくるのもきっと織り込み済みのはず」
「やったー!」
「って、ちょっ……うわ!?」
氷雨が緋那に不意打ちで飛びつくと氷雨はおもむろに緋那の胸を揉みしだき始める。
「ちょっ……やめ、 どの道、こうなるんじゃ、ない……ぃ」
「えへへ。緋那の胸の感触はいつ堪能しても飽きないなぁ……ってまた大きくなった??」
「知らない、よ、そんなの……ちょっと! どこ触ってるの!」
「ぐぬぬ……いつまで経っても私は大きくならないというのになんで緋那は現在進行形で大きくなっているのかな……??」
「痛い痛い痛い! 胸もげる! ちょ……そこはシャレにならないって!」
大きな胸に親を殺されたんじゃないかというレベルで氷雨は大きな胸に対して恨みをもっている。大きな胸を見ただけで頭に血が上るし、緋那がいないところで胸の大きな女性に無言でドロップキックをかましたことがあると風の噂で聞いたことがあるくらいだ。
「緋那、普段何を食べて飲んで暮らしていますか? 肉ですか? それとも牛乳ですか? 私は全て試したのですが、どぉぉぉしてぇぇもぉ効果が現れないんですよねぇ……なんででしょうねぇ……」
「ちょ……ギブギブ!! それ以上は良くない! というかいつからそんなヤンデレモードを会得したの!? ちょっ……胸がもげるぅぅぅぅっっ!!」
何をきっかけにしたのか、氷雨は正気に戻ったのかパッと攻撃をやめる。
「はっ! 私は一体何を……」
「痛たた……全く、ひどい目にあったよ……」
氷雨自身はあまり自覚がないらしく、「ご、ごめんなさい!」とすぐに謝ってくる。緋那もいつものことだと割り切って「別に大丈夫だよ」と答えて、食器を氷雨と一緒に片付けることにした。
食器を運び終わり、水で洗っていると緋那はふと思った。
(私の胸ってそんなに大きいのかな……?)
今までにも氷雨にはやられていたことがあったがそれは小学生や中学生になったばかりで実際はそこまで大きくもなかったため、あまり疑問に思っていなかった。
今になって少し疑問に思うようになったが、それらは水と一緒に流されてしまったのだった。
ーー某所ーー
彼女は、ある部屋で自らの手管を存分に発揮していた。そうとは知らず、男はただ本能に身を任せて腰を振るばかり。実に、滑稽だ。あんなに屈強で真面目そうな男も少し、気がある風に思わせるだけで威厳を保つことができずに崩れ堕ちる。
ああ、なんて、つまらないの。
ドスッと。
彼女は後ろからどこからともなく出現させたナイフを使って男を殺害する。今回は、イマイチだった。逸物も大した大きさではなかったし、満足度もかなり低めだ。飛び散った返り血を舐めずりながら不服そうに証拠隠滅を図る。
男の遺体、飛び散った鮮血、乱れきった後始末。すべて、全てが彼女ーー波風彩里の日常であった。
依頼にあった男を籠絡し、完全に信用させ切ってから隙を突いて殺す。リスクが高ければ高いほど高額で法外な金が渡され、もし、依頼だけ受けて対価を得られなかった場合は、徹底的に調べあげてからその人が大事にしている人間を目の前で殺し、対価を払わなかった依頼人も拷問と尋問にかけて殺す。
そうやって、身体と心、そして言葉によって巧みに仕事を今までにも数えきれないほどこなしてきたし、多くの男も見てきた。
愛人関係を持とうとした者、求婚をしてきた者、恋人関係を望んだ者。依頼とあれば、情報を引き出し、必要とあれば口封じのために何度でも殺してきた。
そんな彼女が受けた今回の依頼は非常に手緩いものであった。「殺す」と言っておきながら、今回の依頼で殺した人間は0人である。それだけでも手緩いというのに、しまいにはある少女を生け捕りにしろとの命令が下った。
実に手緩い。今までに数百人という男を抱いて、そのうちの半数を殺してきた彼女にとってこれほど手緩い依頼は初めてのことだった。今日抱いた男は別件の依頼だったわけだし、その男としている間にもその手緩い方法がどうしても解せなかった。生け捕りにするなら別の誰かに依頼すればいいものを。なぜわざわざ私なんかに依頼したのか。そんな疑問が頭から離れなかった。
『主』がいうには、こういうことも必要なのだというが彼女にはさっぱりわからない。いや、わかる必要がないと言った方が適切だろうか。
依頼主が何をどう考えていようと彩里にしてみれば、報奨金さえ貰えればどんな汚いことでもするつもりなのだ。元より、興味がないのは当然のことだ。
しかし、今回ばかりは何とも解せない点が多いのも事実。そう思った彼女は、『主』に電話で今回の依頼の真意を聞いてみることにした。
我ながら、らしくないことをしているなという自覚はあったが、心というものは正直なもので好奇心の方がポリシーよりも強かった。
「もしもし。『主』ですか? 今回の依頼の件についてなのですがーー」
そう尋ねると、『主』は惜しげもなく、依頼の真意を答えてくれたのであった。
ーー霧峰学園学園長室ーー
「さて、これでみんな揃ったかのぅ?」
そう源治が辺りを見回すと何人かの生徒が見受けられた。緋那や青色以外にも氷雨、悠星、蓮が学園長室には集まっており、学園の中でも一癖も二癖もある人物達でもあった。
以上が源治が青色に頼んで集めたメンバー……だったのだが、彼の希望通りのメンバーの数にはならなかったようで、若干不機嫌な様子だった。
「本当は『五英将』全員に来てもらいたかったんだけどのぅ……奴らは大きな戦力になるし、期待もしていたのじゃが、見事に期待を裏切られたわい」
ある者は留学し、ある者はプライドが高く、ある者は行方不明で連絡が取れず。理由も本当かどうか怪しいぐらいだが、捜索する余裕も時間もない。
「まぁ、彼らにもやることがやりますし。それにしても眠い……」
眠たい目を擦りながら蓮は話を進めるように促す。青色も「無い物ねだりしても仕方ないわね」と見切りをつけていた。
「君らに集まって貰ったのは他でもない。先日の侵入者を一網打尽にするための作戦を考えるために集まってもらったわけじゃが……」
ゴクリと皆が一様にして息を飲む。源治もそれっぽく咳払いをしてから、口を開いた。
「できるだけ手短に作戦会議を開く。まず、敵の戦力の分析と行こうかの。蓮君。鳶沢一歩について説明を頼むぞい」
「はい。鳶沢先輩の能力はシンプルでかつ強力な身体強化ですがーー」
霧峰学園の卒業生にして、元『五英将』序列第3位。自らの信義を絶対としている節があり、言葉での説得は不可能に近い。
その強さも桁違いであり、だった一撃の拳でアメリカに直撃するはずだった直径50メートルの隕石を成層圏まで押し返すほどの威力だ。まさに、『五英将』に恥じない実績である。
「ふむ……わしも彼奴の実力は知っておるが、2年前と現在ではどれだけ強くなっているか想像もつかん」
「となると、緋那ちゃんや氷雨ちゃん、悠星くんでは手に余ることになるわね……」
「うむ……ここにいるメンツの中じゃ、蓮君しか彼には太刀打ちできなさそうじゃの……任せても大丈夫そうかの?」
「まぁそれが妥当すっよね。『五英将』の相手は『五英将』しかできないわけですし。いいですよ、俺がやります」
「? そんなに強敵なら、学園長か青色先輩が相手をすればいいのでは?」
悠星がここで異議を唱える。彼の異議は最もで、確かに源治や青色ならば、一歩を倒すこともできるだろう。しかし、青色がここで反論する。
「まぁそれもそうね。でも、敵の切り札が一歩だけとは限らないわ。ここでうちの最高戦力である学園長をぶつけるわけにはいかないの。私にしても、他にやることがありますからね」
「そういうことでしたか……失礼しました」
「ふむ。まぁ、何か気になったことがあったら、今の悠星君のようにどんどんどん質問してくれて構わんぞい。別にそれを無碍にするつもりもないし、むしろ忌憚のない意見をわしらは聞きたいわけだからの」
源治がそう悠星をフォローすると、次の話に移るように話を進める。
「次に波風彩里についてじゃが……これはわしから説明しよう」
「あれ? なんで学園長は彼女の名前をご存知なので?」
緋那が疑問を口にすると、源治は今思い出したかのように、その経緯を説明した。
「うん? ああ、青色君が全校生徒の顔と能力を把握しているのは知っているじゃろ? じゃから、青色君に聞いたのじゃ」
「なるほど……」
「ほんじゃ、彼女について説明しようかの」
源治曰く。彼女の能力は生徒の中でも特出して強くはないーーという認識だった。しかし、先日ナイフを使った様々な能力を使うことから、強さ的には一歩には少し劣る程度だということがわかった。
「少し劣る程度、っすか」
「うむ。真正面からでは流石に彼女も勝てないが、やり方次第ではあの鳶沢ですら、足元を掬われかねないと言った感じじゃな。まぁ、勝負とは時の運。どうなるかは実際にやらんと分からんがの」
「……それで、そのナイフ女は誰が相手をするんですか?」
氷雨がそう質問すると、源治は少しためてから答えた。
「そうじゃのう……わしの見立てじゃと、ここは悠星君が妥当だと思うとるわい」
「え、俺ですか?」
「うむ。その不死身性を生かして、足止めをしていて欲しい。勝つ必要はない」
「え、勝つ必要がないってどういう……」
「ここからはわしの憶測なんじゃが……あの彩里とかいう小娘や鳶沢は依頼主に雇われてあのようなことをしていると考えておる。特に鳶沢は自分の信義が絶対としているような奴じゃ。大方、自分の信義と合った依頼主がいたもんだから、其奴の依頼を全うしようとしているのじゃろうな」
「つまり……?」
「あ……」
「そう。今緋那君が思った通りじゃ。要するに依頼主さえブッ殺せば、奴らは自分から勝手に手を引くという戦法じゃな。だから、勝つ必要がない。もし、それで手を引かなかったら、わしが全ての責任を取る」
学園長としての矜持なのか、源治はいつものおちゃらけた顔つきではなく、真面目な顔つきをしていた。
「いつになく真面目ですね、学園長。私はてっきりジョークの一つでも言ってくるのかとばかり思っていましたが……」
「ふぉっふぉっ。そう見えるかの? ま、学園内に侵入されたのは初めてじゃし、わしも重く受け止めているというだけじゃよ」
青色の軽口にも真摯に答えると、源治はコホンと咳払いをしてから作戦をまとめる。
「敵の居場所についてはわしと青色君で調べる。あとはさっき言ったメンツがそれぞれ足止めをする。その間にわしや青色君を始めとした残りメンツがボス及び残党を倒す、と言った方向で動く。氷雨君は必要になったら、敵の特定をしてもらうからあとで呼ぶ。それまでは各自、待機。良いな?」
「「「はい!」」」
こうして、緋那達は彼らの目論見を阻止すべく、動き出した。この時点では誰も知る由が無かったがーー彼らは一つ、決定的な見落としをしていたのであった。それが最悪の場合、こちら側が全滅しかねないほどの脅威になるとも知らずに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます