サッカークラブをつくろう~SC鹿児島物語~

ダヌ

20XX年

 拳を突き上げ、天に向かって叫んだ。

 終了間際の逆転ゴールによる歓喜が身体を動かした。


 このゴールで、悲願の昇格は決まっただろうか?

 競合クラブの結果も気になるが、まずはこの勝利を仲間達と喜び合おう。そう思い、仲間と手と手を合わせようとした瞬間であった。


 空を泳ぐ己の手。地面に投げ出され、急速に狭まっていく視界。いつしか視界はセピア色の走馬灯に包まれていった。





 1965年11月30日。宮原優太は鹿児島で生を受けた。


 厳しくも優しい両親の教育で、幼い頃から聡明で大人びた印象を与える少年であった。そんな宮原が唯一歳相応の表情を見せ、夢中になったものがサッカーだった。


 陽が暮れるまでボールを蹴り続ける日々。家の壁には宮原が毎日蹴りこんだボールの跡が今なおくっきりと残っている。愚直に努力続けることができる人間性と天性の才能が噛み合い、そのキック精度は国内屈指と評価され、年代別代表にも選ばれた。


 あと10年遅く生まれていれば、彼はプロサッカー選手となれていただろう。非凡なテクニック、的確な判断力、確かな戦術眼にはそれだけの価値があった。

 しかし、時代が悪かった。彼が高校、大学を卒業する時にプロリーグであるNリーグ(Nippon Soccer League)はなく、在ったのはアマチュアリーグのみ。

 プロリーグは海外にしかなく、そこに挑戦できる人間は神に選ばれた一握りであった時代。

 人生の岐路に立たされた宮原は現実的な決断を下した。


 宮原は大学を卒業すると大手都市銀行に入行。週末に少年サッカーのボランティアコーチを務める程度はサッカーとの関わりを残していたものの、社会人として多忙な日々を過ごした。

 日本中が沸いたバブル時代、失われた20年と呼ばれる過酷な金融再編時代を駆け抜け、それなりに出世もした。

 定年を迎えて故郷の鹿児島に戻り、気の合う仲間と地元のクラブを応援し、その勝敗に一喜一憂しながら楽しい余生を過ごす日々。

 そんな中、突然訪れた人生の終着点であった。


 環境や社会情勢、人間関係によって人の歩む道など容易く左右される。それでも歩んできた道は、自分の意思で選んできた道。


 宮原は思う。その選択の一つ一つに悔やむものなどなく、充実した人生だった。


 しかし、それでも。あぁ仮に人生をやり直せるのなら。


 あの時、世界へ一歩踏み出し、プロを目指していたら――どこまで通用したのか?


 踏み出すことができなかった。

 仮に踏み出していたとしても通用しなかった可能性の方が圧倒的に高い。

 それでも、確かに、微かに在った可能性を宮原は想った。


 今際の際に考えても仕方のないことであった。しかし、心の奥底に燻っていた想いは、己が思う以上に大切なものだったらしい。


 呼吸と呼吸の間隔は果てしなく長いものになっていた。


 無限に溺れ続けるような感覚の中、心の奥底に燻っていた想いの強さに当惑しつつ、宮原は緩やかにその思考を止めた。





 息苦しい。


 自分の胸が大きく上下しているのを感じ、その苦しさを感じた瞬間――宮原はその感覚に狼狽した。


 何故身体の動きを認識できるのか? 背中に感じる地面の感触は? 目の前に広がる空が何故こんなにも懐かしいのか?


 突然戻った感覚と有無を言わさず流れ込んでくる情報に戸惑う宮原の視界に1人の男が入ってくる。

 優しい笑顔を浮かべた男は言った。


「優太疲れたか? いっぱい走ったもんな」


 その男の顔を宮原は知っていた。

 よく知っている。いや、知っていたはずだ。最後にその顔を見たのはいつだっただろうか。しかし、彼に会えるはずがない。

 浮かんでは消える疑問符に混乱しながらも、無意識のまま男の名が唇からこぼれた。


「うん、とうさん。だいじょうぶだよ」


 そう。その男の顔は若かりし父のもの。最後に会った時はすでに90近い年齢であった父。5年前、肺炎をこじらせてこの世を去った父。

 大切な家族の若き姿であった。


 何一つ論理的な根拠はなく、非科学的で、オカルトチックでさえあった――にも関わらず、宮原は理解した。


 俺は今から人生をやり直すのだ、と。


 時は1968年。再び夢に挑むチャンスは唐突に現れた。

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