【8】 好みのメイドに目を付けた少年主人

【シチュエーション】

屋敷のメイドに関係を迫る少年主人


【舞台設定】

19世紀末・英国。ハルの部屋。


【二人の関係と親密度】

同年代の主人と使用人。エチカはハルを恐れている。


【個人データ】

・ハル──男、10代。強気な性格。

・エチカ──女、身売りされてきたメイド、10代。気弱な性格。


───────────────────

『 好みのメイドに目を付けた少年主人 』





 呼び出されるなり抱きしめられた。


「いけません……坊ちゃま、いけません……」


 正面から抱きすくめられると、少女・エチカは弱々しく諫める。しかしながらそれが通じないことは百も承知していた。

 何故ならその相手は、


「少しだけ我慢しろ……少しだけ、少しだけだから……」


 エチカを抱きしめては夢中に彼女の首筋に鼻を埋めている少年・ハルは、この屋敷の一人息子であった。


 どんなに理不尽な要求であろうともエチカに拒否権は無い。

 身売り同然に家を放逐されたエチカに帰る場所などは無く、冬も近い昨今ここを追い出されることは即ちの死と同義である。

 だかしかし拒絶の理由はそれだけではなかった。


 エチカは純粋にハルが恐ろしいのだ。


 だから今も、肉欲の発散を求められている状況にもかかわらずエチカは強く抵抗が出来ずにいた。


 この屋敷へ着いた初日早々に、エチカは彼専属の給仕を命ぜられた。

 周囲からは「坊ちゃんは気難しい人」・「寡黙で大人しい」と聞かされており、事実エチカが感じた初対面の感想も「暗そうな人」というのが第一印象であった。


 しかしながらいざ付き合い始めると、ハルがエチカへと向ける要求と感情は実に能動的であった。


 一切の遠慮もなく食事や着替えの世話をさせ、二日目には既に尻を触られた。

 さらに翌日には胸をつかまれ、その翌日にはうなじの匂いをかがれ、そして一週間目となる今日──エチカは朝一番に入室をするなり抱きすくめられたのである。


「坊ちゃま……いけません、いけないのです」

「……それしか言えないのか?」


 依然として言葉だけのか弱い抵抗を続けるエチカに、ハルは背に抱いていた手を尻へ下ろしながら語り掛ける。


「だって……それしか言えません。……あぁ!」


 一方でエチカは涙声を震わせた。

 使用人として余所を渡り歩くこと数年──今のように感情の発露を向けられたことなどは一度としてなかった。


 けっして優遇されていたわけではない。その扱いはむしろ『物』以外の何物でもなかった。

 掃除をするにおいてはホウキと一緒の扱いを受け、台所の仕事を任されれば彼女の役割はクロスであり料理を運ぶキャリーであった。


 過度に虐げられなかった理由は彼女の人格が尊重されたというよりはむしろ、道具に対する無関心さゆえの扱いを受けてきたからに他ならない。

 エチカ自身もその扱いに不服は無かった。


 だから彼女もまた、他人への執着は微塵として覚えたこともなかったし、そんな今日までの数年を長いとも短いとも感じたことはなかった。

『物(エチカ)』には、他者や己を省みる感傷や感情は存在しなかったからだ。


 しかしながら此処は……ハルの部屋だけは違った。


 まだ知り合って一週間だというのに、エチカはもうハルの『だいたい』を知っている。

 母親が死産と引き換えにハルを生んだこと、父は多忙で年に数回しか顔を会わさず、その数回ですらロクな会話も無いこと……読書と演劇が好きでいつか自分をどこかの劇場へ連れて行くと約束してくれたこと、好きな食べ物、好きな色、好きな匂い……


 そして昨日は、エチカのことを好きだと言った。


「坊ちゃま……お許しください、お許しくださいまし……」


 互いの身を練り合わせるようにくんずほぐれつしていると、自然とエチカの両手もハルの背に回り、そしてしがみ付いた。


 毎日、朝にハルと顔を会わせるまでの時間をエチカは長く感じるようになった。しかし共に過ごす時間はあっというまに過ぎ去るのだ。

 ハルの声の調子や表情の一挙手一投足に反応してエチカの気持ちはざわつく……そんな胸の内で起こる感情のさざ波をエチカは不安に感じた。恐ろしく思った。


 ハルといると自分が自分でなくなってしまう感覚に囚われるからだ。


 一日の奉仕を終えて部屋に戻る時、眠るまでの僅かばかりの時間をハルとの今日を思い出すことに費やしている自分が居る。

 それだけではない。

 エチカには、まだ迎えていない『明日』すらもが浮かんでくるのだ。


 彼の着替えを手伝う時に触れる肌の感触を思い、はたまた献立の好き嫌いを講じる彼を食事の傍らで見守る……果てには、いつか約束してくれた劇場へ二人で赴いている姿までを妄想した。


 その像が夢うつつに眠りゆく脳裏に浮かぶ時──決まってエチカは泣いた。

 なぜ涙が溢れるのかまったくもって分からない。


 だからこそエチカはハルが恐ろしい。

 いつか自分の中身の全てが、ハルとの思い出や記憶で満たされてしまうようで不安なのだ。


「坊ちゃま、坊ちゃま……あぁ、ハル様ぁ」


 いつしか強くエチカもまたハルを抱き返していた。


「エチカ……もっと名を。僕の名を呼んでくれ」

 なおさらにハルはエチカを抱きしめる。


「ハル様……ハル様……」

「もっと……」

「ハル様……あぁ、ハル……!」


 いつしかベッドへとたどり着き、ハルはその上へ広げるようにしてエチカを寝かせる。


「抱くぞ」


 組み敷きながらぶっきらぼうにそう告げるとエチカは小刻みに首を左右に振る。

 しかし伸ばされた両腕は迎え入れるかのようハルの首に回された。

 それに誘われ、ハルは飛び込むようにエチカの胸元へ顔を埋める。


 スプリングの高価なベッドが強く波打った。

 もはや二人は、自分たち以外の何事も考えられなくなっていた。




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