水平線でクラゲがダンス

@deko_boko

水平線でクラゲがダンス

 水平線でクラゲが踊っている。月と星たちの淡く儚い光に照らされながらゆらゆらと、穏やかな水面を飛ぶ波ウサギ相手にクラゲは踊る。

「水平線で踊るなんざ、生意気だな」

そう隣の亀は乾いた声でつぶやく。水平線で踊るのが生意気? 果たしてそうなのだろうか。水平線はボクたちから見た空と水との境界というだけであり、あの場所はボクたちにとっての水平線であって、クラゲにとってはただの波が少し踊る水面にしか過ぎないはずだ。実在と非実在の狭間にある虹の様なもの。それが水平線だ。純真無垢に踊っているクラゲにとっては生意気などと言うのは意味が分からないやっかみだろう。ただクラゲの心情を純真無垢に代替するボクも甚だ亀と同じ轍を踏んでいる。何を想い、何を感じ踊っているのか、踊っているのかさえ、それはあのクラゲにしかわからない事なのだから。

 そんなつまらない思考の迷路をうだうだと、いや、うとうと迷いながら、それでもやはりボクたちにとってあそこはまぎれもなく線であり境界であるのも変わりない。ボクたちがいくらあがいてもたどり着けない場所。境界、それは言いようもなくそれだけでこちらをくすぐってくる。そんな場所で踊っている姿を見れば亀ならずとも羨みを蓑で隠した生意気という発言も、それは愛おしさを含むつぶやきだろう。しかしそれならば、と、

「あなたはあの水平線に行かないのですか?」

ボクは亀に尋ねる。ボクと違って亀ならばあの水平線に行くことは可能だろう。生意気というならばあの水平線に向かい、生意気の仲間入りをすればいいのではないか。これは至極当然な疑問だ。

「そうさな。あの水平線までは行けるだろう。だが、水平線にたどり着いてしまえば、そこに水平線はない。俺はそこまでに純ではないんだよ」

「だとすると、さっきのはただのやっかみですか」

「ああ、やっかみさ。あのクラゲがあんまりにもきれいに水平線で踊っているもんだったんでな」

亀は若い自分を置き去りにしたような声でそう答える。そしてまなざしには郷愁の様な亀にしかわからない記憶が宿っている。もしかすると彼もまたかつては水平線で踊っていたのかもしれない。そこまでいかなくても境界のその先に行こうとしたのだろう。それすら、いや、そんな思考の種すらないボクにとっては、それだけで憧れの念を覚えてしまう。亀は、少なくとも行ったのだから。

「水平線の彼方はどうでしたか?」

「どうもこうもないさ。水平線が広がっているだけだ。広い広い水平線がな。そして気付いたら水平線に囲まれていたよ」

「水平線の牢獄ですか」

「牢獄か。ああ、たしかに牢獄だったのかもな。たどり着いてしまえば、たどり着いていないことと、オレが生意気だったということがわかっただけだった」

「ボクらは線の上には決してたどり着けないんですね」

「だろうな。所詮はどこまでいっても遠くから線の上にいるように見えるだけだ。彼方にまでは到底たどり着けんさ」

少しの沈黙の後、亀が目を閉じながら誰に言うでもなくつぶやく。

「夢が、ねえな」

 知ってしまえば夢は醒める。知らなければ亀の夢は醒めなかったのかもしれない。そして夢から醒めたから亀は乾いてしまったのかもしれない。夢はみずみずしさを与え、醒めた先の現実は乾いている、などという単純な比喩は好きではない。でも、亀は水平線という潤いを失ってしまったのもまた事実なのだろう。では、果たして水平線で踊るあのクラゲの夢ももう醒めているのだろうか。少なくとも今はそうは見えない。それくらいにクラゲのダンスには潤いがある。そしてボクはあの潤いがなくなるのは、少し嫌だ。

「あのクラゲもあなたの様に夢をすてるんでしょうか」

「かもな」

「だとしたら、少しもったいないですね」

「なら、そういってやればいい」

「ボクは水平線にはたどり着けませんよ」

「キミ自身があそこにたどり着くことが必要か」

「わかりません」

そこで会話が止まる。あとには波と砂浜のおしゃべりのみがあたりに響く。今、なんといえば正解だったのだろうか。ボクにとって、亀にとって、聞いてもいないクラゲにとって。そもそも正解を考えて会話をするべきだったのだろうか。本意ではない、正解を探す会話によって行動を縛られるのは好きじゃないのだから居直って沈黙に座すのもいいかもしれない。ただ、少し卑屈だ。

 星が流れ、月は遅々としながらも動く。そして亀もまた。ボクは隣人、いや隣亀というのが敬意だろう。たとえ今、彼と間にあるのは沈黙だけだとしても隣亀が行ってしまうのを寂しく思い、無思慮な言葉を喉から投げ出す。

「水平線に向かうのですか?」

口から出たのは、正解ではないであろう言葉。亀は考える隙間さえなくすぐに言葉を返す。

「オレにはもうあそこは牢獄だ。行くのは誰からも見えない海の下さ」

そう言葉を吐き捨て、亀は海の中へと消えていった。そして、ボクは一人になる。

 水平線では相も変わらずクラゲが踊っている。波ウサギたちと一緒に、とても美しく。ボクはしばしそのクラゲの踊りを見た後、何をすべきかもわからず、何をしたいかもわからず、でも何もしないままというのは嫌で。それは、ただ何となく嫌で。

 地平線でボクは踊ってみた。

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