第5話 俺が聖女
「ほうほう、これが噂の聖女のおまけか」
鑑定の儀式は城にある塔で行われるということで、俺と糸は沙亜羅より一足早く案内された。塔の最上階はガラス張りになった空間で、城下町がよく見える。円形のそこに描かれた巨大な魔法陣に俺がはしゃいでいると、不意にすぐ傍でそんな声がした。
驚いて見下ろすと――そこには、一人の男の子がいた。ショタと認定していいような年頃だろう。しかも短パンにサスペンダー、レースのついたブラウスという完璧な服装。青みがかったように見える黒髪に、苺みたいに真っ赤な眼をしていて肌の色はまさしく雪のよう。漆黒に金の模様が入ったローブをジャージみたいに肩にかけているその子は、まさに絵に描いたような美少年だった。……本当に存在するんだ、美少年。
「む……というか、神官の教育が必要みたいじゃのう」
「えっと、あの」
だけど、その美しさに圧倒されつつ古めかしい口調にまさかと俺のオタク心が疼く。このローブはいかにも魔法使いがゲームとかで着ているものに近く、現に彼は自分の身の丈より大きな木の杖を持っている。ということは、もしかしてこれが噂の。
「……もしかして、貴方が大鑑定士さんですか?」
そう聞けば、紅色の瞳が嬉しそうに細まる。近寄ってきた糸が俺の問いに目を丸くするのを見ると、ぱちんと指を鳴らしてほほ笑んだ。
「正解じゃ、向こうの世界ではしょたじじいとかいうんじゃったか?」
本当にいたーーーーーー!!ショタZZIーーーーーー!!!
「正確な年は伏せるがまあ、そなたらの何倍も生きておる。改めて儂の名はノア。この世界では大鑑定士と呼ばれておる」
「お、俺は央です。そっちは糸」
「央に糸か、よろしゅうな」
ヒエエエ、本当にいたよチートキャラ。しかも多分こっちの音がわかるらしい。名前の発音が普通だ。感激する俺とは対照的に糸は本当に驚いているみたいで、じっとノア様を見下ろしてガン見していた。
「……見た目は子供にしか見えないけど」
ノア様は別に機嫌を損ねるわけでもなく、ただ俺と糸の反応を楽しむようにけらけらと笑う。一見クールで高潔そうなイメージだけど、わりと性格はフランクのようだ。
「とある事情でな、魔法で体の時間を止めておるのじゃよ。……それよりも、儀式を始める前に会議が先になるかもしれん」
「へ?」
「鑑定など、格好をつけるのためのものじゃ。実際儂はその人物を一目視ればステータスも称号もわかる、だからこそじゃ。これは面白い事になったのう」
「どういう……」
その時、ふとノア様の眉が跳ねた。同時に何故か寒気のようなものが体を走った。周りも糸も普通だったけれど、ノア様と同時に視線をやったのは――沙亜羅が控えている天幕の中。
「央、どうし――」
糸の言葉は最後まで聞こえなかった。正しくは、突如響いた爆音にかき消されたのだ。
白い煙で天幕の方向が見えなくなるが、火が爆ぜるような音に全身の血の気が引いて行く。上がる悲鳴と動揺の声の中に、確かに妹の声があった。
「沙亜羅!!」
「これ、下がっておれ!」
静止する声も、冷静な自分が逃げるべきだと訴えていても、足は止まらなかった。
すぐに煙は吹き飛んだが――目の前にあった光景に俺は凍り付く。
「大鑑定士も鈍ったものだ、人間の魔力を纏えば我らに気付かないのだから」
呆れるような、あざけるような、でもどこか失望のような音を感じさせる声。
その主は――沙亜羅の身支度を手伝っていたメイドの一人だった。けれど、明らかにさっき見かけた姿ではない。顔はそのままだし服もメイド服だが、空気が違っていた。それは感覚でものを視るような不確かなものだったが、わかる。
あれは、人間ではない。きっと、魔族ってやつだ。目的は言うまでもなく、きっと聖女である沙亜羅を浚いにきたのだろう。
女の指先には怪しい紫色の炎が揺らめいてる。が、肝心の沙亜羅は無事だった。でも。
「アレシスさん……っ!」
沙亜羅の護衛として男性だが一人だけ天幕の傍まで付いていたアレシスさんの背に庇われたのか、白いドレスに身を包んだ沙亜羅は無事だった。だけど、アレシスさんがまずい。
あの炎は特殊なものだったんだろう、身を包んでいた鋼の鎧はあちこちが溶けていて、攻撃が直撃したらしい右腕は鎧が欠片も無く溶け落ち、むき出しになった肌は血を流し爛れていた。じゅう、と肉が焼ける音がこちらからでも聞こえて、その壮絶な痛みを想像させる。
「……すり替わっていたか、警備を怠ったこちらの失態だな」
「まあそう落ち込む出ない。かの大鑑定士を騙すために精度を上げていたのだ、魔術に疎い騎士が気付かなくても当然だ。……さて、我らにも我らの事情がある。聖女はこちらで預からせてもらおう」
「罪なき民を次々浚っていて何を言う!させるものか!」
それでも騎士としての務めを果たそうとしているんだろう、彼は痛みに顔を歪めながらも魔族の女をまっすぐに見据え震えるその腕で剣を向けていた。
「兄さん!逃げてください!」
アレシスさんに庇われながらも、沙亜羅は近寄ってきた俺をみるなり顔を真っ青にして叫んだ。その声の切羽詰まった感じと、沙亜羅らしくない大声に今度は俺が逆に驚く。危険な相手だから逃げろというのはわかるが――なんだろう、焦っているように思える。
「沙亜羅……?」
「早く!!大鑑定士様、お願いします!兄さんを連れてここから逃げてください!!」
「……聖女様?」
これにはアレシスさんも不思議に思ったらしいが、沙亜羅の声に魔族の方が反応した。その目がゆうるりと俺に向けられたかと思うと、表情が曇る。
「央、下がっておれ」
「ノア様?」
「央!沙亜羅ちゃん!!おい!これどうにかしろって!」
ひょい、と目の前に杖が現れる。ノア様は俺を一歩下がらせ、後方にいる糸の方へ行けと顎で指した。結界が張られているのか、見えない壁を叩いて糸がこちらに向かって何かを叫んでいる。
「でも、沙亜羅も、アレシスさんだって早く手当てをしないと……」
「で?其方には【なにもできん】のだろう」
「――」
「ならば、此処は儂とそこな騎士に任せるがいい。銀と銅の騎士も足止めを退ければすぐに来るだろう、【其方】に下手に動かれた方が困るのじゃ。じゃから――」
ノア様が言葉を止めて、手をかざす。突然の爆風に何が起こったのかまたわからなかった。気が付けば、ノア様の周りにはアレシスさんと同じいばらがうごめいていて、そして。
「……まさかとは思ったが、そういうことか。ごまかしは効かんぞ、ならばこちらだってこういう手も考えられるのだから」
魔族の女の声にはっと顔を上げると――彼女の片腕にはどこにそんな力があるのか沙亜羅がいた。アレシスさんは怪我だけじゃなく、何かの拘束魔法を受けているのかその足に黒いいばらのようなものが這って動きを止めている。その隙のうちに沙亜羅が奪われたことは明白だった。
「あ、」
力なくだらりと下がる沙亜羅の腕と、額から伝うのは赤い血で。
それは重度の怪我ではない。気絶しているだけだ。
そう、わかっている。いや、わかった筈だった。
でも、そんな判断すらできなくなる。沙亜羅の怪我が――正確に言えば血が、俺のトラウマを呼び起こす。思い出したくないけれど、忘れてもいけない記憶。
『兄さん、わたし、どうすればいいかわからないの』
ああ、そうだ沙亜羅が中学に入ったばかりの時だ。理由はなんでもよかったんだろう、美人だとかなんでも理由はあったかもしれないが、ただ偶然沙亜羅が目についたんだろう。学年の違う俺の目の届かないところでされていた最低な行為。消えて行く沙亜羅の私物。買い替えられる文房具。近所のお姉さんから制服のお古を貰おうとしていた時まで気付かなかった俺を責める人なんかいなかった。【あの時】も、俺は悪くないと糸も言ってくれた。
だけど、だけど、ちがう。もっと早く判断できれば、両親には言わないでくれと訴える沙亜羅を説得できるほどに俺が強ければ結果的に沙亜羅は泣かなかった。あの日、あの手を離さなかったら、思い詰めて一人で自分に酷い事をする奴らのところに出向いて――あんな目に遭わなかった。
『にい、さん』
あの時の――逆上したクラスメイトに顔を切りつけられた時の沙亜羅の光景がフラッシュバックする。気絶し、どんなに少量でも血を流すその姿が重なった。
「――さ、あ、おれは、また……」
嗚呼、俺はまた。また守れなかったのか?
傷痕が残らなかったなんてただの幸運だ。そんな問題じゃない。
だから、もう沙亜羅が傷つかないようにって決めたのに――なのに。
「央!!しっかりしろ!!央!?」
糸の声が遠くから聞こえる。魔族の女が何かを言っている。ノア様の声も口の動きしかわからない。音が全部水の中にいるかのように変に聞こえる。
『さあ、嘆かず祈りなさい。わたしたちの愛し子。運命に愛された、聖なる神子よ』
瞬間――身体がぶわりと熱くなって、悔しさと怖さ……膨らんだ全部の感情が、俺の心の中でぶつんと弾けた。そこから、俺の世界が変わる。
「……ナカバ、様?」
ゆらり、と足が動いていた。自分が何をしたいのか、何をしてるのかわからない。
ただ、【治さないと】と思っていたからか、アレシスさんの傍に行ってその腕に触れていた。指先が近づいた瞬間に彼を拘束していたいばらが消える。驚く声も遠くに聞こえていた。そしてまだ厭な音を出す傷口に触れると、俺が思っていた通りにその怪我が痕も残らず綺麗に消えてしまう。
「これは……貴方が……!」
わからない。どうしてできたのかも、自分の思考もまとまらない。ふわふわして、別の人間に体を動かされているのをぼんやりと寝ぼけながら見ているような感覚だった。
「央……?」
そう、俺は央だよ糸。なのに、体が変なんだ。体が熱くて、頭がぼうっとしてて。
視界の端に見える自分の髪が、何故か銀色に見えるんだ。たじろぐ悪魔の目に映る俺の目が、血の色みたいに真っ赤なんだ。
「……、を、はなせ」
手を上げる。それが当然のように。
魔族の女が沙亜羅の方を見ながら叫んでいる。でも断片的にしかわからない。動くなとか、これは人質とか、そんなことだろう。でもそんなの認めない。沙亜羅は利用させたりしない。
冷静な判断が下せない。ただただ、俺のしたいことが優先される。
「――妹を、離せ」
それが自分の声だとはわからなかった。喉から滑り出した筈の声はあまりにも静かで、自分じゃないみたいだったから。
掲げた手の先に集まって来た光が、一気に辺り一面を包むように広がる。
「っ!?」
だがそれは魔族を傷つけはしない。光を喰らって目が眩んだのか彼女はあっさりと沙亜羅を取り落とし、アレシスさんが姫抱きに受け止めたのが見えた。女は自分の手を見つめて、光り輝く自分の姿に驚愕からか目を見開いた。
「強制転移だと?!転移魔法も使えるのか……!」
よくわからない。でも確かに、【魔界に戻れ】とは願った。
そう、俺はまだなにも知らない。だからこそ、この敵だという女性を捕らえるという選択も考えられなかった。ただ、ひたすらに沙亜羅の身の安全を優先した。だから【どこかに行ってくれ】と願った。
だってそうだろう。敵だって、味方だって、本当は傷つけたくない。あまったれだとしても、護りたい。それだけなんだ。
さっきまでは視えなかったが、ずっと魔族が放っていたらしい瘴気のようなものが不思議と目に映る。黒く澱んだガスみたいなそれはみるみるうちに辺りに充満していき、このままでは魔族自身も周りの人間も蝕むだろうと、知識などないのに何故か頭にそう浮かんでいた。なら、願おう。そう思う事もあまりにも自然だった。
両手を天に向け、俺は口を開く。
「天に眠る神々よ、命を支える大地のすべてよ、この祈りをお聞き届けください」
すらすらと並ぶこの言葉も、まるで昔から知っていたかのように口から滑り出た。
「――どうか、この世界すべてに優しき祝福を!」
敵だとしても、味方だとしても、なんだっていい。これが矛盾を孕む願いでも、願わないよりずっといい。
大切なひとたちが傷つかずにいれますように、【隔てなく】幸福をお与えください。
* * *
「――あ、え?」
目を開けて飛び込んできた光景に、俺は言葉にならない声を漏らす。
辺り一面に、きらきら光る半透明の花が舞っていたのだ。しかも空はすっかり暗くなり星が見えていた筈なのに、こちらの塔に向かって夜空に穴を空けたように光が降り注いでいる。まるでスポットライトみたいに。
「魔族、は?」
状況が読めない。まだ体が熱いけれど、あの自分の体が自分の願いだけで動いていたような感覚は消えていた。光り続ける花々に見惚れてしまいそうになるが、首を振って気を逸らす。すると、すぐ隣にノア様がいるのがわかった。
彼はやれやれと肩を竦めて見せると、こつんと杖の先で俺の頭を軽く小突く。
「あだっ」
「其方が魔界に強制転移させてしまったんじゃろがい。おまけにあやつが纏っていた病原……瘴気じゃな。それもぜえええんぶ国内まるごと【神子の祈り】で浄化しおって。おかげで城下町も城内もパニックじゃ。普通は聖女の儀式として入念に準備をして臨まんといけない大魔法じゃというのに」
「え、あ、なに?」
周りの視線が俺に集中していることにやっと気付くが、不思議なことにそれは予想したような否定的なものじゃなかった。無事だったらしい沙亜羅についてたメイドさんたちも、気絶させられてたらしい兵士さんたちも、みんな困惑を顔に出しながらも信じられないような目で俺を見ていた。まるで、神様でも見たみたいに。
「なか、ば。お前……髪の毛……目も……」
呆然と、何かに見惚れるようにそう言う糸の言葉でさっき見えた自分の姿が本当なのだとわかる。慌てて前髪を確認すれば、やっぱり銀色になっていた。若干光っているようにも見えるのは気のせいだろうか。
「……ナカバ様」
その声にはっと視線をやれば、アレシスさんも唖然とした表情でこちらを見つめて立ち尽くしていた。鎧は溶けたままだったが、さっき治した腕以外の小さな傷も全部消えているのがわかる。……俺がやったのか?全部?
「兄さん……」
「っ、沙亜羅!」
アレシスさんの後ろから顔を出した沙亜羅の怪我ひとつない姿に、俺はほっと胸を撫で下ろす。無事で本当によかった。助けられてよかった。
そこまで考えて、俺の思考が一瞬停止する。
助けた?誰が?俺が?
「……ちょっと待て、今の、普通沙亜羅のやることじゃなかった?!何故に俺?!」
敵が襲撃してきて、主人公の秘められた力が目覚めるなんて王道といえる覚醒イベントだった。その筈なのに、今起こったのはなんだ。
力を覚醒させたのは誰だ?
祈りで全てを浄化し、治癒の力を持ち、この光り輝く空間に立つ聖なる人間。それは俺じゃない筈だ。
なのに、髪の色も目の色も変わってるし、力使っちゃうし……そんな馬鹿な。
「浄化ついでに怪我人も全員擦り傷ひとつ残さず治しておいて、まあーだそんなこと言うてるのか央、あの娘は魔族が襲ってきてすぐに気付いておったぞ。【自分じゃない】とな」
ノア様の言葉が決定的なものとなり、俺の全身からさあっと血の気が引く。
冷静になってしまった今、この聖女作品オタクの俺にはこの状況が自然に理解できてしまう。信じたくなくても、予想はすぐに頭に浮かんでしまう。
「嘘だろ……?」
そう、これはつまり。
「……もしかして、俺が聖女?」
ノア様がにっこりと笑って頷かれた瞬間、俺の目の前は真っ暗になった。
そんな馬鹿な。俺は何よりも王道を好むというのに、どうしてこんなことに。
嗚呼、母さん、皆、聞いてくれよ。
――妹と異世界召喚されたら、何故か俺が聖女だったようです。
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