第41話 これは──俺と妹だけが知っている、世界の秘密についての物語だ。



「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」─レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(1828 - 1910)










 ふと考える。



 もし、世界を救う役目を負った勇者になれたなら。

 もし、歴史に残る稀代の天才に生まれたのなら。

 もし、ラブコメみたいな生活を送れたのなら。

 もし、憎い奴を殺せる暗殺者になれたなら。

 もし、転生して異世界で無双出来たなら。

 もし、世界を創造する神になれたなら。

 もし、剣と魔法の世界に行けたなら。

 もし、物語の主人公になれたなら。

 もし、運命の人と結ばれたなら。

 もし、コミュ力があったなら。

 もし、異能力を持てたなら。



 もし、俺に妹がいたのなら。



 どれもこれも、到底叶うことのない、実現不可能な願いだと、そう思っていた。

 結局は敷かれたレールを歩むだけの、それだけの存在だと思っていた。

 残酷な運命に弄ばれるつまらない人生だと思っていた。

 そんなくだらない世界に俺は必要ないと、そう思っていた。




「───そう、思ってたんだ」


「どうしたんですかいきなり」


「七罪は可愛いって、そう思ったんだ」


「あのー、お兄さん?」


「七罪が可愛いって、そう思ったんだ───」


「病院行きます?」


「七罪、ここが病院だ」


「ツッコミはちゃんとするんですね」


「はぁ〜〜七罪めちゃくそ可愛いなぁ〜可愛すぎてため息出るわこれマジではぁ〜〜」


「1分前も同じこと言ってましたけど」


「悪い。本当なら毎秒言うところだったよな。可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いかわい───」


「いやいやいやちょっと……! 静かにしてください……! 周りの視線が………」


 愛する妹、七罪が頬を染めながら周りを見渡した。病院の待合室にいる方々が俺らの方を凝視している。どこか微笑ましそうだ。


「悪い、待たせた」


 ふと、声がした方を見ると、濃野綾都がそこには立っていた。


「ホントだよ。俺の可愛い妹を待たせるんじゃないよ全く」


「ごめんなぁ、七罪」


「いえいえ全く気にしてないですよ」


「おまえ、前から思ってたけど七罪って呼び方なんだよ。さんをつけろよデコスケ野郎」


 俺が濃野を睨みつける。


「悪かったって。七罪さん、ね」


「すみません、濃野先輩。うちの愚兄のわがままに付き合ってもらっちゃって。普通に七罪でいいですよ」


「やめろ七罪!! 『濃野綾都には厳しく接せよ』が七宮家の家訓だぞ忘れたのか!?」


「聞いた覚えも見た覚えもありませんよそんな愚かな家訓」


 その様子を見ていた濃野がむかつくがやけに爽やかな笑顔で笑った。


「ほんと仲良いよな、きみら」


「仲良いって……。ほ、褒めたって何も出ねーぞこの野郎!!」


「お前は変わないなー。なんか安心するわ」


 濃野が笑いながら言った。そして俺は椅子に座ったまま歯切れ悪く口火を切った。


「──………それで」


「ん?」


「……大丈夫なのか?」


「えっと、何の話?」


「何って、……お前がいつもお見舞してる子だよ」


「あ、ああ。そのことな」


 濃野は泡を食った顔をした。


「そんなに俺が心配するのが意外だったのかよ」


「そりゃ、今まで触れられたことなかったしな」


「さすがに聞かない訳にはいかない流れじゃん?」


「それもそうか」


 濃野は俺の隣に座った。


「……容態はあんまり良くはなくなってないんだけど、悪くもなってなくてさ。退院日は分からないけど、……いつか治るとは思うんだ、俺」


 これは、想像していたよりも重い話かもしれない。もしかしたら聞くべきではなかったか、と頭の中を後悔が支配する。だが、一瞬だけ七罪と目を合わせたことで、気持ちを切り替えられた。


「すまん、ベルが気にすることじゃないよな。気負わせちゃったら、悪い」


「………濃野」


「ん?」


「なんか困ったことあったらすぐ言えよ」


「お、おう。なんかやけに優しいな今日のベル」


 と濃野が言い終わる前に俺は待合室の椅子から立ち上がり、その場を去った。


「ちょ、ちょっと。置いてっちゃうんですか」


「このノリで一緒に帰れるかよ」


「ベル」


 濃野の声がして、その声に振り返った。


「またな」


 俺はその言葉に声は返さずに手を振るだけで応えてみせた。お大事に、という看護師さんの声を耳にしながら病院をあとにした。


 俺はあいつの事が嫌いだった。

 殺したいとすら思っていた。

 それは、あいつに妹がいたからだ。


 ……──いや、本当にそうなのだろうか。


 思えば、妹だけじゃない。

 あいつは、俺に持っていないものを何でも持っている。


 例えば、優しさ。

 例えば、仲間。

 例えば、勇気。

 例えば、自信。

 例えば、協調性。

 例えば、環境。

 例えば、………─────


 ああ、俺は、濃野になりたかったのかもしれない。何もかもを持っているあいつに。

 だから、俺は濃野を呪ったんだ。

 忌み嫌ったんだ。

 憎んだんだ。

 殺したいと思ったんだ。

 でも、七罪と会ってから、変われた気がする。何が、かは自分のことだから殊更分からない。だけど、とにかく、七罪と会えて変われたのは確かだ。それがどんな意味だとしても、俺は俺だ。俺を形成するのは俺自身だ。

 たとえこの世界が他の誰かによってつくられたものだとしても。

 たとえ俺が世界の被害者だとしても。

 たとえ運命に翻弄されるだけの哀れな存在だとしても。

 俺が俺なことには変わりはない。

 この物語の主人公は俺だ。


「───俺自身だ」






      ◇◇◇






(………ゴール)


 ふと、頭に声が響いた。

 聞いたことがある。愛しい声音だ。


「…………」


(……ルフェゴール………)


 女の子の声だ。それもかなり可愛い。


「…………」


(………ベルフェゴール……いさん……)


「……んむにゃ」


「ベルフェゴールお兄さんベルフェゴールお兄さん起きてください!!」


「どんだけ名前呼んでんねん……」


 そう、俺の名前はベルフェゴール。姓は七宮。フルネームで言うと七宮ベルフェゴール。もはや言わなくても分かるだろう。いわゆる、シスコンってやつだ。妹である七罪を溺愛するために存在するしがない高校生である。

 さっき口から出た言葉がなぜかエセ関西弁みたいになってしまったのはご容赦願いたい。

 俺は布団を頭まで被ってから、一言。


「…………あと五分だけ」


「だめですって。あーもう学校遅刻しちゃいますよー」


 七罪の声がめちゃくちゃに近くなった。囁きボイスが脳髄を掻き乱して、ああ、やばいな。だめだ、これ。くっそかわいい。

 そして可愛いとは別次元の何かが襲ってくる。まずい、このままでは悶死する。さすがに七罪を残しては死ねないので俺は跳ねるように飛び起きた。


「負けてないんだが!?」


「いや何がですか発作ですか」


「あ、ああすまん、寝る前に生意気幼女の催眠音声聴いてたからさ」


「一応言っておきますけどなんの言い訳にもなってませんよそれ」


 七罪の華麗で冷酷なるツッコミが発動したところで俺は七罪の姿を今一度再確認する。

 透き通るような髪、触れたら壊れてしまいそうなほどの柔肌。もしこの世界に天使がいるなら、きっと彼女に違いない、あらためてそう思った。


「ん? どうかしました?」


 七罪はきょとんした顔で俺の方を見ていた。


「いやぁ〜〜七罪かわいすぎおはようかわいすぎかよ〜〜」


「も、もう。いろいろ混ざりすぎてよくわからないことになってますから。……おはようございます」


 七罪は頬を朱色に染めながらそっぽを向いた。なんだこの妹はかわいいにも程があるが? かわいすぎてもはやキレそうなんだが?


「というかほら、無駄口叩いてないで着替えてください。学校行きますよ」


「七罪の命令を逆らうわけにも行かないしなぁっと」


 俺はそう言いながら制服へと着替えていった。

 七罪が小声で「起こした時思いっきり逆らってましたよね……」と言っていたが聞かなかったことにした。今度からちゃんと起きるようにしよ、と自分に言い聞かせたのち、七罪と共に手短に朝食を済ませてから、家を出る。


「……雨降ってんなぁ」


「もう梅雨ですしね。ほら止まってないで行きましょ?」


 七罪は鞄から折りたたみ傘を取り出して、それを開いた。これも俺の《創妹ソロル》でつくりだされた代物だ。

 さて、《創妹ソロル》のおさらいをここらへんでしておこうか。

 《創妹ソロル》は女神である七罪が俺に与えた神のごとき力〈神技スキル〉だ。まぁ、漫画とかその他フィクションでよくある異能力だと思ってもらえれば手っ取り早いと思う。

 《創妹ソロル》は俺の願いを具現化した〈神技スキル〉だ。

 《創妹ソロル》のルール、それは『妹である七罪を妹とみなされる範囲で自由な姿に変えることが出来る』、ただそれだけ。初めて聞いた人は絶対に頭に入ってこないような、カオスな異能力。妹のいない俺にとってこれは最良で最適で最高な力だ。

 詳しく説明すると、文字通りの効果で七罪を小学生にも高校生にも、はたまた猫耳メイドにも変化させることができるのだ。

 これを応用させれば『傘を持った妹』を想像することで七罪に傘を与えることもできる。


「ふふふ……」


「えぇ……いきなりなんて顔で笑うんです……?」


 七罪は困惑顔でこちらの方を覗くように見ている。


「妹、最高だな」


「それは、まぁ、良かったです」


 七罪は照れくさそうに笑った。

 七罪は女神だ。その使命はどうやら俺を幸せにすることらしい。

 俺は七罪にそんな役目ほっぽりだせ、なんて言ったけど、七罪はまだ心のどこかで俺の幸せを願ってるんだろうな。

 ………ん? 七罪が俺の幸せを願ってちゃダメなのか? よく考えてみたらそれはそれで良くないか? むしろお互いの幸せを願うってもはや夫婦なんじゃないか?


「なるほどな………」


 新たな真理に辿り着いてしまったかもしれない。

 俺はひとつの真理に到達したと同時に玄関に立て掛けてある傘を拾い上げてそれを広げて七罪と共に歩き出した。


「それにしても」


 横を歩く七罪が口を開いた。


「いろいろ大変でしたね〜」


「ほんとだよなぁ」


 あの日のことを思い出す。

 学校に突如として現れた怪物。

 それを討伐する俺達。

 改めて思うと本当にフィクションみたいだ。

 でも、これは現実で、嘘なんかじゃない。全部、なにもかもが本当の話だ。俺に妹ができたんだ。もう何も驚くことはないだろ、俺。


「七罪、入院中はありがとな」


「いえいえ、妹として当然のことをしたまでですよ」


 七罪は控えめに、でもどこか誇らしげに笑った。

 俺は結局ふた晩だけ入院して、それから病院をった。一日だけ平日と被ってしまって、七罪には「俺のことはおいて学校に行け!」と決めゼリフのように言ったが───割と真面目に説得した────俺の看病をすると言って聞かなかったので、昨日は俺のそばに付きっきりだった。


「学校とかどうなってんだろな……」


「半壊しちゃいましたからね〜……」


 七罪と二人目を細めて学校の様子を思い出す。突如として現れた巨躯のドラゴンによって新校舎の方はほぼ廃墟のようになってしまっていた。もはや学校として機能してるのか分からないよな……。完全に修復されてたらいいけど、あれからそんなに日にちも経ってないし、ないだろうなぁ。


「というか濃野先輩に聞かなかったんですか?」


「お前は俺と濃野をどういう関係だと思ってるんだ」


「えっ、友達同士、じゃないんですか?」


「何言ってるんだ七罪、あいつと俺はそんな生易しい関係じゃないぞ」


「生易しい関係じゃ、……ない?」


 七罪はごくりと息を飲んだ。何か変な方向に勘違いしてそうなので一応言葉を付け足しておく。


「お互いの命を狙ってる敵同士だ」


「……なんか世界観おかしくないですか?」


「俺に妹がいるのにもはや世界観とかどうでもいいね、ハッ」


 俺は鼻で笑ってみせた。


「っていうか七罪こそ誰かに学校のこと聞かなかったのか?」


「私はお兄さんに付きっきりだったので、聞くことすら放棄してましたよ」


「ブラコンか」


「はぁ!? なんですかそれ絶対に違いますけどぉ!?」


 七罪が今までになく慌てふためいたものだから、俺は目を丸くしてわかりやすく驚いてしまった。

 そういえば……、七罪、俺のこと好きだって言ってたよな。マジで恥ずいから話に出せないけど、実質もはや両想いの夫婦だよな。兄妹兼夫婦って最高か?

 傘を持って歩く七罪の姿を目の端に収める。


「…………あっ」


 ひとつ、気づいてしまった。

 あのイベントだ。そう、フィクションじゃありがちな、雨の日の例のイベント。賢明な諸君ならば言わずともわかるだろう。『相合あいあい傘イベント』のことだ。


「どうかしたんですか?」


 七罪が心配げにこちらの顔を見ている。


「いや、なんでもないぜ」


「絶対なんかある顔してましたけど……」


「気にすんな。今は関係ないことだから」


「それなら、いいですけど」


 七罪はどこか不服そうに目線を進行方向へと戻した。

 そう、は今ではない。

 やるなら帰りかな。

 今は俺も七罪も傘を持っている。この状況で相合傘になるのはいささか不自然といえる。相合傘になるためにはそれ相応の理由が必要なのだ。「あっ、やべぇ傘ねぇわ」「じゃ、じゃあお兄ちゃん、あの……わたしの傘、一緒に使う?」みたいな。うん。いいな。それ。やっぱいいよな相合傘イベント。ゾーニングされた傘の下のみで顕現する聖域サンクチュアリ。その聖域内で生まれる温もり。いいな、これ。袖すりあうも他生の縁って言うしな。なんか違うかそれ。

 よし。

 …………あとで俺の傘ぶっ壊すか。

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