第9話 オレと女神と野良猫パート
今日一日は授業中も妹のことしか考えられなくて全く集中出来なかった。
帰りのホームルームが終わった瞬間に俺は鞄を持って席を立った。いち早く妹の教室に行かなくてはという焦燥感が俺の足を動かす。
しかし、教室の出口まであと二メートルと言ったところで濃野に声をかけられた。
「悪いベル、今日は先帰っててくれ。ちょっと用事あってさ」
「いや全然いいよ。なんせ俺にはもう妹がいるからなっ」
「ああそうだった。改めて良かったな、ベル」
濃野は俺の肩に手を置いて、もう片方の手でサムズアップした。
「な、なんだよ。気持ちわりぃな」
「優しくしてやってんのにその言い分はなんだよ」
濃野は鞄を持ち上げて肩にかけて歩き出す。それに合わせるように俺も教室から出た。
教室の外には待ち伏せをしてたかのように
彼女の容姿は端麗過ぎてその佇まいには一種の神聖さをも感じる。ザ・美少女って感じ。
まぁ俺の妹の
「茉白、待っててくれたのか」
「隣のクラスだし、待ってたとかそんなんじゃないけどね。一応、私が呼んだ訳だし」
「まぁなんにせよサンキュ。んじゃ行くか。ベルじゃあな」
「七宮君バイバイ」
「おう、二人ともまたな」
三人で手を振りあったあと濃野と樗木は足並みを揃えて廊下を歩いて行った。
その二人の後ろ姿がどこか眩しいと感じざるを得なかった。青春してるなぁ、みたいな。羨ましいとかは特にないけどさ。
俺には妹がいるからどうでもいいし。
何より面倒くさい。部活とか委員会とか。コミュニティに属するってことがこの世の何より面倒だ。
妹がいればそれでいい。
教室からは同じクラスのクラスメイトがわらわらと出てくる。その誰もが笑顔で、楽しそうだった。俺は何だか馬鹿らしくなって早く妹のもとへ向かおうと早足で歩いた。
俺たち二年生の教室は三階で、妹のいる一年生の教室は一階にある。階段に向かおうと俺が廊下を歩いていると、
「どーーーん」
突然、背中の方から可愛い妹の声と質量のある何かが乗っかってきた。
「どうです? びっくりしました?」
振り返ると七罪が俺の方を見てニマニマとにやけていた。
「びっくりしたというか………ただ可愛いわ」
「何ですかそれー。つまんないですね、もう」
七罪は階段を降り始めたのでそれを追うように俺も歩いた。
「ところで濃野先輩と
「はぁ?」
「だってあんなに一緒にいるなんて怪しすぎますよ」
「付き合ってたとして俺にはなんも関係ないしどうだっていい。ていうか七罪お前女神なんだから何か知ってんじゃないか?」
「いやぁ、私は恋のキューピットでも愛の女神でもないですので。全く分からないですね」
「ふーん。でも俺のことは監視できてたってことはそれだけ俺は女神たちからして重要人物ってことになるな」
「まぁ当たらずとも遠からずといいますか、とりあえず貴方に今死なれたら困るんですよね、私」
「お前が生きてる限り死んでも死にきれないから心配すんな」
俺は七罪の頭にぽんっと手を置いた。
「その様子だとしばらくは大丈夫そうですね」
俺と七罪は靴に履き替えて、昇降口から出る。グラウンドで走るサッカー部かハンドボール部かの掛け声が聞こえた。授業とか諸々あったあとなのに元気だなぁ、としみじみ思う。
西陽が眩しいな。思わず目を細める。
「お兄さんは部活とか入らないんですか?」
「俺がめんどくさがりなの知ってるだろ?何かのコミュニティにいるのも面倒だし。お前がいれば俺はそれでいい」
「うわわなんとかして改心させないと、このままだとお兄さんダメ人間になりそうです。もうなりかけてますけど」
「うるさいな。ていうかお前は何か部活入らないのか? この学校部活入るのほぼ義務化されてるし」
「それ知っててお兄さんが部活入ってないのはもう尊敬に値しますよ。いやそれがですね、今日たくさん勧誘されまして」
「ま、まさかお兄ちゃんを置いてどこかへ行ってしまうのか、妹よ」
俺は涙目で七罪を見遣った。
「ま、まだ何も言ってないじゃないですか。一週間以内にどこかに入れって担任の先生には言われましたけど」
「ホッ………」
「わざとらしく安心しないでくださいよ。これを機に私と一緒にどこか部活入りません?」
「えー? 入るメリットが分からん。納得出来るまで俺はてこでも部活に入らないぞ」
「部活もしくは同好会、又は委員会のどれかに属しないとならないって校則で決まってるからです」
「正論だな。さすがに俺の妹、とてもかしこい」
「何か馬鹿にしてません?それ」
「してないしてない。しかしな七罪、俺に正論と校則は通じない」
「いや通じますよ! ダイレクトアタックですから!
「くっくっく。......ずいぶん弁の立つ賢妹のようだな。しかし俺の〈
「バックれ常習犯のことをかっこよく言うのやめてください。厨二病で何とか誤魔化そうとしても無駄ですからね」
「……ちっ」
「あー舌打ちしたー! 今この人女神に向かって舌打ちしましたー! 誰か天罰呼んで〜!」
「天罰って呼ぶものなのか……」
俺と七罪は帰路の途中にある河川敷を歩いていた。夕日に照らされた川はどこか幻想的な雰囲気を醸し出している。
隣を歩く七罪の姿はいつもより一層輝いて見えた。
七罪は指を絡ませながらもじもじして、俺の方を見た。
「………お兄さん、ちょっといいですか?」
「ん? どうした? おしっこか?」
「女の子に向かってなんてこと言うんですかっ。違いますよ、とにかく着いてきてください」
七罪に連れられて橋の下の近くに行くと、そこにはダンボールに入った小さな猫がいた。三毛猫のようだ。俺らが近づくとその猫はにゃー、と細い声で鳴いた。
「………はぁやっぱり猫ちゃん可愛い……」
「はー、こんな所に捨て猫なんて居たのか。全然気が付かなかった」
「この子触っても、いいんでしょうか……?」
「別にいいんじゃないか? 優しくしてあげれば」
「で、では」
七罪は座り込んで、ゆっくりとその子猫の頭に手を伸ばし、頭を撫でた。
子猫もそれに呼応するように頭を七罪の手に擦り付ける。ずいぶん人なっつこいな。前の飼い主は泣く泣くこの子を手放したのだろう。
「はーっ………可愛いですねーよしよし」
七罪は頭を撫でるのに慣れたのかその子猫を抱きかかえて膝の上に乗せた。
「私、人の姿になったら猫ちゃんと遊ぶの夢だったんです」
「そうだったのか……。良かったな、夢が叶って」
「はい、お兄さんのおかげです」
七罪は笑った。
その笑顔が凄い眩しくて、俺には直視できなかった。
それは美しく、そして儚い。今にも消えてなくなりそうな透明感を秘めていた。
その時俺は一瞬だけ七罪を妹ではなく、一人の女の子として見てしまった。
可愛いんだ、ほんと。
嘘みたいに可愛い。
「えっと、どうしました?」
「い、いや何でもないよ」
「そうですか。いやそれにしてもほんと可愛いですはぁぁ可愛いはぁぁぁぁかわいいっていたっ」
七罪が興奮して三毛猫の身体中を撫でていると、その猫の逆鱗に触れてしまったのか猫は七罪の撫でた手を噛んでから、ぴょんと膝の上から降りてしまった。
「あ……ま、待って」
七罪のその声は当然猫には届くことは無く、茂みに隠れていなくなってしまう。七罪は明らかに落ち込んだ様子だ。
「七罪大丈夫か、手」
「……え? ………あ、ああ、大丈夫ですよ。痛くはないです」
「今は痛くなくても小さな傷とかあるかもしれないだろ。ちょっと見せてみろ」
俺は七罪の手を手に取って見る。
噛まれた箇所は傷にはなってないみたいだ。良かった。俺は七罪の手を離す。
「傷はないから大丈夫そうだな。そんなに落ち込むなよ、また会えるさ」
「そう、ですよね。………いやぁ猫ちゃん可愛かったなぁ」
なんて声をかければいいのか、この時の俺は何も分からなかった。
今の今まで妹なんていなかったから当然だろ?弟は三人いるけど、兄っぽいことをしたことなんて何一つない。
俺は結局気の利いたセリフを七罪に言うこともなく、その場を離れた。
猫を撫でた時の七罪の笑顔。
それだけが俺の脳裏にこびりついて、海馬を鮮明に彩っていた。
この時に見せた七罪のあの笑顔を忘れることは一生ないだろう。
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