第1話 俺が好きなのは妹だけど妹がいない




【シスコン】

シスターコンプレックスは、女姉妹に対して強い愛着・執着を持つ状態をいう。俗に「シスコン」と略され、この場合は、女姉妹に対して強い愛着・執着を持つ兄弟姉妹自体についても使われる。





「じゃあ、俺今日こっちだから」


 そう言って濃野のうのは丁字路の反対側を指さした。


「また見舞いかよ。本当に善人だなお前」


「知り合いがいるんだから善人も何もないだろ」


「そりゃごもっとも。んじゃあまた明日な」


「おう」


 濃野は軽く手を振ってから背を向けて歩いて行った。

 一見、俺らのことを傍から見たら仲良さげに見えるかもしれないが、俺は濃野こいつに殺意を抱いている。

 決して冗談などではない。

 本当に殺したいと思ってるんだ。

 こいつは俺に持っていないものを持っている。俺はそれを如何に努力しても手に入れることは出来なかった。

 ただただこいつが憎たらしい。そう思ってしまう自分にも嫌気がさしてしまう。


 この世界は狂っている。


 作られた身体を動かして、作られた思想で行動して、作られた家から歩き出す。作られた道路を踏み、作られた風景を眺めながら、作られたイヤホンで作られた曲を聴く。作られた学校につき、作られた教室に入る。作られた椅子に座り、作られた机に両手を乗せる。作られた友達に軽く挨拶をして、作られた先生から作られた授業を聞いて、作られた帰路を行く。作られた家につき、作られた夕食を食べ、作られたバスタブで作られた湯に浸かる。作られたタオルで身体を拭き、作られた服を着る。作られたスマホを片手に作られた床に就く。


 作られたルーチンワーク。

 作られた環境。


 作られた世界。


 この世界には何一つ、自分の作りあげたものがない。


 俺はこの世界の、だ。

 被害者という表現に何一つ語弊はない。

 俺は世界から被害を受けている。

 世界によって植え付けられた思想。

 作られた俺は本当の俺と言っても良いのだろうか。世界が存在していない、まっさらな状態で生まれたのなら、それが本当の俺と言えるのではないだろうか。

 周りの環境が俺を俺ではなくしているのではないだろうか。

 世界が本当の俺を殺してしまったんだ。

 本当の俺は幾重にも重なった平行世界のどこかに存在するまっさらな世界にいて、その俺こそが本当の俺なのだ。

 生まれた環境で人間の人生はその九割が決まる、俺はそう思っている。裕福な家庭で育った人間は裕福な人生を送るだろうし、その逆もまた然りだ。もちろん、貧乏な家、不幸な家に生まれ、幸福な人生を辿ることもあるだろう。

 しかし、それもまた確率の話だ。そういうこともそりゃあるに違いない。

 ゼロじゃない、それだけのことだ。そう、九割は生まれた環境で決まる。生まれた環境を変えたいなら来世にしか望みはない。

 生まれる場所をリセットするしかないんだ。


 気付けば、時計は深夜零時を回っていた。

 その夜も俺は枕を濡らして、世界を憎んでいた。

 どうして俺がこんな目にあっているのか。前世でどんな大罪を犯したらこんなことになるのか。俺は自分の生まれた環境をただ忌み嫌っていた。

 くそ。なんでだよ。なんで。

 ベッドから立ち上がり、天井からぶら下がる麻縄の輪に首を突っ込もうとした、そんな時だ。


(……………ゴール)


 ふと、頭に声が響いた。

 今までにない感覚だった。


「誰だ……っ!?」


(……ルフェゴール……)


 女性の声だ。それもかなり若い。


「なんだこれ……。頭の中で直接……っ!?」


(ベルフェゴール………)


「な、なんだ……!? 誰が呼んでるんだ……!?」


(ベルフェゴールベルフェゴールベルフェゴールベルフェゴール)


「いや、もう分かったから!! 恥ずかしいから名前連呼するのやめて!!」


 そう、俺の名前はベルフェゴール。姓は七宮ななみや。フルネームで言うと七宮ベルフェゴール。

 言わなくても分かるだろう。所謂、キラキラネームってやつだ。

 これが俺が世界を憎んでいる、一つ目の理由。

 親のことは一切憎んでいない。当て字じゃないだけまだマシだ。鈴歩恵業琉ベルフェゴール、とかだったらもう人生終了。

 まぁ、当て字じゃなくともベルフェゴールだけで人生終わってるみたいなもんですけどね。

 もう一度言うが、親のことは一切合切恨んでない。そんな親にこの名前をつけるアイディアを与えた世界をただひたすら憎んでいる。

 子供に悪魔の名前付けますか? 普通。おかしいでしょ。なんでこれ市役所の人もOK出したの。

 そんな市役所を作り上げた今までの歴史、つまり世界を憎んでいる。


 俺が大きな声を出したからだろう。予定調和のようにドンッッッ!! と壁が叩かれる音がすると同時に怒号が部屋に鳴り響いた。


「おいこらベルうるせェよ!!!」


「ご、ごめん」


 これが俺が世界を憎んでいる二つ目の理由。いや、この問題は大きすぎてキラキラネームのことなんて酷く霞んで見える。

 ああ、なんてこの世界は残酷なんだ。

 その叩かれた壁と反対に薄く朧気に光る半透明の女性が立っていた。

 仄かな光を放っているため、はっきりとその顔を拝むことは出来なかったがその相貌は見とれるほど美しく、透き通るように真っ白でその背中には驚くべきか翼が生えていた。


(………ベルフェゴール。私は運命の女神)


「……運命の神が俺に何の用だ?」


 俺はまた壁ドンされないようになるたけ小声で話した。

 絶望に伏した俺にとって女神が現れた所ではなんら動揺はしない。さっきは名前を連呼されて少しイラッとしただけだ。

 名前なんてもう呼ばれ慣れているしな。世界を憎んでいる俺にはもう感情なんて存在しない。


(私はあなたを救いに来たのです)


 女神は俺に向かって手を差し伸べてみせた。


「……俺を救いに………?」


 女神は差し伸べた手をぷるぷると震わせながら、自分の口元に持っていき、


(そうです。あなたのぷっ、名前、そして、生活環境に、私も……)


「おい女神が笑うな!!」


 ドンッッッ!! とまた同じ壁が叩かれる。この壁の耐久度はお墨付きだ。壊れることはないだろう。………ない、よな?

 そしてこの女神、人のことめっちゃ笑いやがった。口元抑えてるけどバレバレなんだよ。何が女神だよ、くそが。


(申し訳ございません。取り乱してしまいました。......私は悲しみ絶望に暮れたあなたに慈悲を与えようと、そう思ったのです)


「慈悲……? ………女神様が俺という一個人だけに分け与えていいものなのかそれ」


(もちろんです。人には幸福度というパラメーターが存在しています。これは神にしか可視できません。人の人生は故事を用いるならば塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し。山あり谷ありなのです。いいこともあれば悪いこともある。結局はプラスマイナスゼロになるように出来ています)


「……そんなことないんじゃないか? ずっと不幸な人も中にはいるはずだと思うが」


(それはあなたが決めることではないでしょう、七宮ベルフェゴール。自分の幸せは自分で決めるものです)


「……それもそうだけど………いちいち名前呼ぶのやめてくれない?」


(七宮ベルフェゴール、あなたは心が貧しい)


「いやうるせぇよ」


(顔は幸い恵まれ、世間一般でいうイケメンと言ってもいいレベルではありますが、それ以外が終わっています。コミュ障でやばい名前にやばい家族。恋人も無し友達も少ないてかいない)


「………こいつほんとに女神か? 悪魔の間違いだろ………」


(わ、私は女神ですよ! 悪魔はあなたです、ベルフェゴール!)


「だから名前呼ぶなって! それに俺悪魔じゃないからね! 悪魔の名前してるけど!」


(それはそれとして)


 うん、こいつ女神じゃないな。イメージと違い過ぎる。

 感情を失った俺だが、少しだけ殺意が湧いてきた。


(あなたのような心の貧しい人間の幸福度のパラメーターを底上げするために、私があなたに一つ異能力を授けます)


「い、異能力だって……!?」


 こんな名前に生まれたから、ということもあるが一時期俺は超がつくほどの厨二病だった頃があった。

 自分が悪魔の生まれ変わり、魔王だと信じていたんだ。

 そんな頃は当然異能力にもめちゃくちゃ憧れていた。

 いつか使えるんじゃないかと能力名を沢山書き連ねて、詠唱も数え切れないほど考えた。

 しかし、それも今は過去の事実だ。

 もうすぐで17歳にもなろうとしているのに異能力が欲しいなんて流石に痛すぎるし、恥ずかしいにも程がある。


(異能力欲しくないんですか。じゃあもう帰りますねさよならー)


 女神は徐々にその身体の透明度を上げていく。


「ちょちょちょまってまってまって欲しいです女神様異能力めちゃくちゃ欲しいです!!」


 俺は消えゆく女神の身体に抱きつくように飛び込んだ。

 しかし、いややはりと言ったところか女神の身体を通り抜けてその先の本棚に頭からダイブしてしまう。頭の上に文庫本が3冊ほど落ちる。


「いててて…………」


 振り返ると幸いなことに女神は不透明度を上げていき、元来の存在感を取り戻してくれた。助かった。

 異能力なんて男の子で欲しくないやつなんていないよな。

 せっかくだし貰えるものは貰っておこう。


(ふふふ。そう言うと思いましたよベルフェゴール)


 もういちいち突っ込まないからな。


(ベルフェゴール、あなたにひとつ神の如き技、〈神技スキル〉を授けます)


「スキル………」


 でも、そうは言ってもどんな能力を用いても俺の絶望が無くなることはないだろう。

 異能力、ないよりは人生豊かになるだろうけど。そんな、ね。

 炎を操れるとか、水を操れるとかか?

 そんなもので俺の人生が明るくなるわけないだろ。

 この先ずっと真っ暗なままだ。

 何せ、俺は世界を憎んでいるのだから。


(さぁ、あなたにはもう〈神技スキル〉を授けました)


「えっ? もう? 何か光がヴワァア、みたいなそんな儀式的なのないの?」


(そんなものはないですほんとに厨二病ですねあなたは)


 ほんと口悪ぃなこいつ。もう悪魔だろここまで来たら。やっぱりこいつ女神じゃない。


(ではベルフェゴールよ…………いや、七宮ベルフェゴールよ)


 「なんで言い直したんだ、おい」


(どうか幸せになってくださいね。………………私はあなたを応援していますよ)


 女神はそう言って身体の透明度を増していき、完全に消え去った。

 俺は自分でもわからないけど、何故か自分の両手に視線を下ろして見つめた。


 ……………夢、じゃないよな……。


 頭にぶつかった本の痛みは微かだけど未だ健在だ。本棚から落っこちた文庫本を元の定位置に戻しながら、頭の中で今あったことを整理する。

 スキルだなんだと言っていたけれど、それが何かは言ってなかったよな。

 というか本当にそんな力くれたのか?

 絶望に伏した俺が見たただの幻覚&幻聴だったのでは? それこそ夢だったのではないのか。

 

 そうだ、こんな非現実的なことはありえない。俺の人生はもう終わってるんだ。そんな運命なんだ。

 涙で潤む瞳を袖で拭い、ベッドに向かおうと振り向いた。その時だった。

 信じられない光景がそこにはあったんだ。俺は驚いて腰を抜かしてしまう。女神が現れた時以上に動揺し驚いてしまった。


 俺のベッドの上でが横になって眠っていたのだ。

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