第一章 ちょっとそこに座りなさい!4


 サヤカはもがくのをやめ、冷静な目でジルを見る。すると彼も気付いて頭から手を放した。

「――ジル。無礼ぶれいが過ぎるわよ」

 サヤカが精一杯せいいっぱいの厳しい口調くちょうでそう言うと、ジルは目を伏せ、うやうやしく頭を下げる。

「失礼しました。ですがおじょうさまが、いつまでもこいつで遊んでおられるようでしたので」

(ほ、本当に執事しつじみたい……っ! やばいやばい顔がゆるむ……!)

 思わずニヤけてしまいそうになる口元に、力を込めて無表情をたもつ。

(私は今、この顔がいいだけの悪徳執事に命令する、わがままお嬢さま!)

 自分にそう言い聞かせ、サヤカは精一杯せいいっぱい不機嫌ふきげんそうにジルを見遣みやる。

「遊んでないわ。ただ、こいつはこんなことじゃ、絶対に星の力を渡さない。今日は挨拶あいさつだけだと言ったじゃない。彼らにも猶予ゆうよを与えないと、可哀想かわいそうでしょう?」

「――では、今後は必ず彼の力を奪う、ということですね?」

 やばい。「はい」か「いいえ」のどちらかでしか答えられない質問で言質げんちを取りにきている。にこにこと微笑ほほえむ顔から、圧力あつりょくしか感じなかった。

「……ええ、そうよ」

(いつ、とは言ってないからセーフ! ギリギリセーフ! ……たぶん)

 たぶん、アウトだ。少なくとも、こちらを肉食獣にくしょくじゅうのようににらみつけてくるレオにとっては、サヤカは完全に敵として認定された気がする。

 ジルは納得はしていないようだったが、小さくため息をいてうなずいた。

「わかりました。……では、聖騎士せいきしレオ。お前とは違う形でまた戦うことにしよう。そしてお前が負けたら、いさぎよくお嬢さまに忠誠ちゅうせいちかってもらう」

(それ私に勝ち目なくない!?)

 そう思ったが、必死で顔には出さず、ジルに調子を合わせる。とにかく早くこの場からげたい。レオの正座やらキスのことやらで、彼に説教しようとした勢いは完全にせていた。

「今日のところはこれで帰るわ。ジル、これは命令よ」

「お嬢さまは甘いですね。わかりました」

(ひいいい、怖い……っ!)

 一見納得した笑顔だが、ジルの目は笑っていない。

「では、今宵こよいはここまでということで」

 ジルにかたを持たれて引き寄せられる。その行為にサヤカは赤くなり、思わずジルを見上げる。

 サヤカがジルを見上げた瞬間しゅんかん、レオの身体からだは動くようになったらしい。すぐさま立ち上がろうとしたレオだったが――

「おい! 待ちやが――ああぁあぁぁぁ……っ!」

 立ち上がろうとした瞬間、うめき声を上げながら再び地面にひざを突いた。そんなレオの姿を見るのは初めてだったのだろう、彼の部下達は驚いて一斉いっせいにレオを振り向く。

「隊長!? どうされたんですか隊長!?」

「まさかあの小娘こむすめに何かされ――あぁあああぁぁぁ……!」

 部下達がレオにけ寄ろうと立ち上がったが、彼と同じような呻き声を上げて地面に転がる。

 サヤカはレオ達にれてすらいない。だが、彼らがどうしてああなったのかは、サヤカにはわかった。自分自身でも経験があるからだ。

(足しびれてる……。ごめん。それつらいよね、わかるわかる。でもちょっと可愛かわいい……)

 つらいのは痛いほど理解できる。だが、どうしても笑いがこみ上げてくる。ふとジルを見ると、口元を押さえ、そしてその肩がふるえていた。

「おい、このぐらいで、何転がってやがる……! あいつらを、追――」

 レオが言い切る前に、ジルが彼らに微笑ほほえんだ。

「その術は足をむと早く治る。早くしたほうがいい」

(何てこと提案してんのこの男!?)

 痺れた足を他人にさわられるとどうなるか。そのきつさはサヤカもよく知っている。

 レオや地面に転がった騎士達の足に、座ったままの騎士達が手を伸ばす。

「おい触んなやめ――」

 再びレオ達の呻き声――というより、唸り声というほうが正しいかもしれない、何人かの苦悶くもんさけびが背後から聞こえ、サヤカの脳裏のうりに軽い地獄じごく絵図が浮かんだ。それを確認する前に、サヤカはジルに手を引かれてその場を後にした。



◆◆◆


「あいつら……ぶっ殺す……っ!」

 足の痺れが治まったレオが立ち上がり、殺意と共にそうつぶやいた時、甲高かんだかい笑い声が辺りにひびき渡った。その声はレオがよく知る人物のものだった。

「あっはははははは! まさか聖騎士最強のレオの部隊が、あーんな女の子にこーんな屈辱的くつじょくてきな姿にされるなんてね! こんな面白おもしろいものが見られるなんて思わなかったー!」

 笑い声がした方向――屋根の上を、レオは殺意の目のまま睨みつける。ほとんど影になっているが、フードを目深まぶかかぶった少年の姿がそこにあった。

「てめえ……降りてこい。ぶっ殺してやる」

「そんなおどかないよ。それよりあの子、何なの? あんな術見たこともないよ?」

「わからん。だが何もないところから突然現れた。……怪物と同じだ」

 屋根の上の少年もその言葉にはぴくりと反応した。やはりそこはレオと同じ聖騎士だ。

「ちょうどいい。てめえがあいつらを調べてこい」

いやだって言ったら?」

つぶす」

 その言葉が彼の地雷じらいだとレオは知っていた。以前の少年なら冗談じょうだんでも震え上がっていたが、今の彼は違った。

 一瞬、ぴりりとした苛立いらだちが少年から伝わってきたが、すぐに小さな笑い声が聞こえた。

「仕方ないなぁ。……でも、もしも殺しちゃったら、ごめんね?」

「殺せるもんなら殺してみろクソ雑魚ざこ。返りちにされたらそれこそ踏み潰すぞ」

 少年の声はふざけていたが、レオは昔から彼が万が一の事態を口にすると知っている。その可能性もあるからこそ、少年は「殺しちゃったら」と言った。

「バカが。……今のてめえは、前よりよえぇだろうが、クソ雑魚」

 レオのくやしげな舌打したうちは、風にまぎれて消えた。


◆◆◆


 追っ手をきながら町のはずれまでげ、止めてあった馬車に乗せられた。ジルが馬車を駆り、サヤカは中に入るよう言われたが、ジルに言いたいこともあって、御者台ぎょしゃだいとなりに座った。

「何なのさっきのは!」

「面白かったですね」

 本当に面白かったのか、キラキラとかがやくような笑顔で言われ、ちょっと見とれてしまう。

「レオじゃなくて! ていうか、面白がるな! 星の力を奪うなんて、しないってば!」

「いいえ。あなたは今後必ず、彼らから星の力を奪うと、そう約束してくださいました」

 ジルは誠実せいじつな目でサヤカを見つめ、自分のむねに手を置いて言った。

「俺はあなたを信じます」

(この人、本っ当に性格悪い……!)

 ジルの笑顔に輝きが増す。その笑顔は暗に「言質は取った」と言っているだけだったが、誠実さと信頼のこめられた目線が、サヤカの反論をふうじてくる。

 目映まばゆい笑顔で良心をちくちくと攻撃こうげきされていたが、サヤカは話題をらそうと口を開く。

「そ、そうだ! 力を奪えって言うけど、その方法も教えてもらってないじゃん!」

「ああ、言ってませんでしたか。聖騎士があなたにキスをすればいいんです。だから忠誠を誓わせようと思ったんですよ。奴らは何かを誓わせておけば簡単にキスしますから」

 ジルの言った単語を聞き留め、サヤカは一瞬固まり、そして一気に顔を赤くする。

「キ……キス!? ダメでしょ、聖騎士のキスよ!? 好感度八十パーセント以上にしてイベント条件たさないと発生しない重要イベントじゃん!」

「何をおっしゃってるのかまったくわかりませんが、そんなに抵抗ていこうがあるんですか? 口ではなく手の甲に、ですよ?」

「いや無理、興奮こうふんで死ぬ! だいたい、騎士が軽々しく誓いのキスなんてしないでしょ!」

「騎士なんて、忠誠だの誓いだの愛だのとささやき、簡単にキスする生物ですよ」

「聖騎士はそんなことしーなーいーのー!」

 何たって、彼らは乙女おとめの理想を形にした乙女ゲームの攻略キャラクターなのだから、一途いちずであるはずなのだ。サヤカはそう信じている。

「あのレオを見ても、まだそんなことを言うんですか?」

 サヤカの胸中きょうちゅう見透みすかしたように、ジルは笑った。

「それ、は……」

 そう信じている――はずだった。

(でも……さっきのレオは、ゲームと全然違った……)

 怪物を倒すのはもちろんだが、人々をまず一番に守る。それが彼の信条だった。だが先ほどのレオは、怪物をなかなか倒さず、人々の悲鳴を聞いてもまゆ一つ動かさなかった。被害は出なかったが、人々の恐怖きょうふをそのまま放置するような人ではなかったはずだった。

「どうして、あんな風になっちゃってるの……?」

 夜の森を見つめながら、サヤカはひとごとのつもりでつぶやく。口に出している意識もなかったのだが、隣から声が聞こえてきた。

「……どうしてでしょうね」

 馬車の車輪の音にき消されてしまいそうな声だったが、その言葉は確かに聞こえた。

 まだ出会って数時間だが、余裕のある彼からは想像できない――悔しがるような声だった。

(ジル……?)

 彼もまた、口に出すつもりのない独り言だったのかもしれない。ジルはそんな声を出したとは思えない、標準装備の笑顔のまま、手綱たづなを握っていた。



 森の中の道を抜け、ゆっくりと馬車が速度を落としていく。

「そろそろ着きますよ」

「ん? え? 着く……って……」

 目の前には、歴史の重厚さが感じられる大きな屋敷やしきがあった。その玄関前に、馬車が止まる。

「今日からここがあなたの屋敷です。どうぞ、お手を」

 先に馬車から降りたジルが、手を差し出してくる。様になる行動にときめきと苛立いらだちを同時に感じつつ、その手を借りて馬車から降りる。

「な、何で私にここまでするの……?」

「もちろん、あなたは聖騎士から星の力を奪うという、大切な役目を負っている方ですから。丁重ていちょうにおもてなししないと。…………」

 ジルはサヤカを見ながら、何か言いたげな笑顔でだまった。サヤカはひたい青筋あおすじを立てる。

「たとえ私がバカでも――って思ってるのバレバレだから! ていうか私まだ納得してないし、いやだって言ってるじゃん!」

「ですが先ほど、レオに宣言せんげんしたじゃないですか。彼は宣戦布告と取ったと思いますよ」

「宣言したのあんたでしょー!?」

「俺の言葉はあなたの言葉も同然です」

 もうサヤカの反論を聞く気はないらしく、ジルはさっさと屋敷のほうへ歩いて行ってしまう。その背中についていきながら、ふとサヤカのむねに疑問が湧いた。正確には思い出した。

「っていうか、帰れるの、私?」

 あこがれていた聖騎士と、彼らの存在する世界。そんな聖騎士から力を奪えという極悪な強要をしてくる超絶美形。怒濤どとうの出来事で頭がいっぱいで、気にする余裕がなかった。

「それは最初に気にすべき問題だと思いましたが、気にされていないようなので俺も言及げんきゅうしませんでした」

「してよ! 忘れてた私も私だけど! で、帰れるの!?」

「わかりませんか?」

 ここまでのジルの言動を思い返し、サヤカは血の気が引いていくのを感じる。まさか――

「……もしかして、聖騎士の力を奪わなきゃ、帰さないっていうの……!?」

「よくおわかりで。召喚しょうかんしたのは俺です。当然、あなたを帰すかどうかも、俺次第しだい――ということですね。……申し訳ありません、認識を改めます。あなたはとてもかしこい方でした」

 あたたかみのない笑顔でバカにされ、サヤカはひたい青筋あおすじを立てたが、深呼吸して心を落ち着かせる。よく考えれば、いきなり異世界に来て、聖騎士と敵対するなんてありえない。

(ど、どうせ、夢だし。聖騎士好きが高じて、こんな夢見ちゃうんだよ、ね……?)

 自分がゲームの中に入って活躍かつやくする。そんな寝る前の妄想もうそうが、ちょっと曲解きょっかいされて夢になっている。それならありえない話ではない。しかし、夢にしては感覚がはっきりしすぎているのも事実だ。ほおつねれば確かに痛い。

「……ねえ。これって本当に、夢じゃないの?」

 そう問いかけると、ジルはサヤカに向き直った。

 ジル――この人がどういう人物なのかもわからない。この世界に来て、彼に助けられた。それは事実だ。今も住む場所を提供してくれている。だが、怪物が再出現している世界で、聖騎士から力を奪えなどというこの青年に、このままついていっていいのだろうか。

 戸惑とまどいながら彼を見つめていると、ジルはサヤカを真正面から見つめてきた。彼はサヤカの言葉を受け止めるように一度目を伏せ、まぶたを開く。銀のひとみがサヤカをしっかり映している。

 胸がドキドキするのは、顔の造作が綺麗きれいなだけだからではない。彼の瞳に、あまりに強い意志があったからだ。それは先ほどの、騎士達に向けた怒りと似ている気がした。

「――たとえばこれが夢だったとして、あなたは様子のおかしい聖騎士をこのまま放っておくんですか?」

 ドキドキする胸がどくんとね、一瞬動きを止めた気がした。

 様子のおかしい聖騎士を放っておくか、いなか。夢なら放っておいて、目が覚めるまで待っているのか。そんな選択肢せんたくしは、サヤカにはなかった。たとえ夢でも。

「夢、でも……放っておかないけど……ここは、本当に現実なの?」

「信じられないなら構いませんが、ただぼんやりしているだけでは、いつまでも目は覚めませんよ? それだけは保証します」

 その言葉が、妙に重くサヤカの胸にひびく。彼の声が、表情が、現実だと告げる。

 ジルはサヤカのあごすくい、自分のほうへ引き寄せる。いくら好みの美形でも、その強引さとこごえるような冷たい微笑みに、サヤカもおびえと怒りを覚えた。

「まだ自覚が足りないようですので、はっきり言いましょう。――今のあなたに、俺に従う以外の選択肢などないんですよ、サヤカさま」

「っ……! 何、それ……!」

 何か言い返したいが、確かに、彼がいなければサヤカはあまりに無力だった。先ほどレオにあれだけのことをしてしまった手前、助けを求めに行くわけにもいかない。

(っていうか……どっちが従者なのこれー!? 従者っていうか、私下僕げぼくじゃない!?)

「それに――」

 強引に引き寄せていた手をそっと放し、ジルは笑みに優しさを加えてサヤカに言った。

「他の聖騎士にも、会いたくないですか?」

 他の聖騎士。彼らに会える。――その言葉に、サヤカは反射的はんしゃてきに叫んでいた。

「会いたい会いたい超会いたい! ――あっ……!」

 やっちまった――そう思った時にはもう遅い。ジルの輝くような微笑が目の前にあった。

「では、聖騎士全員の星の力を奪っていただくということで。頼もしい限りです」

「あああ、待って待ってそういう意味じゃなくってぇぇぇ……!」

 サヤカが言葉を続けるが、ジルはすでに背を向け、屋敷の玄関げんかんに向かっていた。もう何を言っても、彼に届く気がしない。問答を続ける体力も気力も使いたしていることに気付き、サヤカはジルが開けた屋敷のドアをくぐっていた。



※次回:2019年2月19日(火)・17時更新予定

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る