お妃様は無事王様を暗殺できるか?

日崎アユム/丹羽夏子

お妃様は無事王様を暗殺できるか? 前編

 この国の王と妃は、比翼連理ひよくれんりの相思相愛で有名だ。






 ある日、王がある書簡を眺めて「おお、もうそんな季節か」と呟いた。

 王妃はそれを敏感に聞き取って耳をそばだてた。


 王の一挙手一投足を監視するのが王妃の務めだ。


 王は何らかの文を広げている。

 その文が誰からでどんな趣旨のことが書かれているのか、王の反応から推察しなければならない。手元を覗き込んで差出人の筆跡を確認するわけにはいかないのだ。そんな分かりやすい行動を取って自分が王の書簡をできれば読みたいと思っていることが見つかってはならない。


 もしも自分の正体が王の暗殺という使命を帯びた刺客であることが知られてしまった場合は、絞首刑どころではない。拷問の上市中引き回しという前菜がついてくる。


 王妃は、どこか呆けた顔で「はー」だの「へー」だのと呟いている間抜けな王に背を向け、聞き耳を立てていなければならなくなっている。侍女に習ったとおりに茶を淹れながら、だ。

 茶の湯気が指先に触れて火傷しそうだが指先の火傷など王のもとへ届いた書状の内容を知るという重大な務めの前では些細なことであり――


「……――はいつだったかな?」


 突如王が問うてきた。王妃は「はいっ」と返事をした――のまでは良かったが、声は裏返ってしまったし、茶器とティーカップがぶつかり音を立ててしまった。


 振り向くと、王と目が合った。いつの間にか王が背後に立っていた。

 しまった、背後を取られた。聞き耳を立てながら茶を淹れるのはさすがに集中力を分散し過ぎたか。


 血の気が引くのを感じつつ、ドレスの下の腿にくくりつけてある短剣に手を伸ばそうとした。今ここにいるのは王と自分の二人だけだ。もし王に自分の正体が知れても、すぐに殺せば口を封じられる。


 否、それはまずい。ここで無計画に殺せば、死体を始末できない。それにこの茶器を運んできた侍女たちがこの部屋で自分たちが二人きりであることを知っている。すぐに犯人が自分であると割れてしまうだろう。


 王が「危ない」と言った。大きな声に驚いた。短剣を隠し持っていることが見つかったのかと蒼白になったが――


「火傷をするぞ」


 王は素手で茶器を押さえた。沸騰した熱湯の温度に熱せられている茶器を、だ。


「いけませんっ、陛下が火傷をしてしまいますっ」


 心配するふりをしてそう叫ぶと、王は「本当だな」と苦笑して、震える手で茶器を台の上に置いた。指や手の平が真っ赤に腫れている。


「でも、お前がちゃんと手元を見ていなかったようだから――お前が火傷をすると思ったら、つい」


 王妃は衝撃を受けた。自分が彼の反応にばかり集中していて茶の方に気を払えていなかったことを知り、自らの未熟さを恥じた。


 けれど、うつむいた王妃に、王は「大丈夫だ、このくらい」と囁いた。王妃が自分の落ち度のために王を負傷させたことで落ち込んだとでも解釈したのであろう。王は「冷やしておけば問題ない」と笑った。


「あのままだと、お前の手が熱湯をかぶる気がしてな。直接熱湯をかぶったら、もっと大変なことになっていただろうから。だから、これで良かったんだ。あまり気にするな」


 王妃は必死に考えた。こういう時、どう振る舞うのが自然だろうか。自分はもっと彼の心配をしているふりをすべきではなかろうか。自分に代わって火傷をしてくれた夫のために妻がする行為とは――傷の手当てか。


「どうぞそのままお動きにならないで、傷薬を取ってまいります」


 ドレスをつまみ、早足で棚の前へ移動した。棚の抽斗ひきだしに簡易薬箱が入っているはずだ。


 薬箱を取り出してから、王妃は手を止めた。

 薬箱の中身をすり替えられていたらどうする。毒薬が紛れ込んでいるかもしれない。今時蜜蝋に混ぜて毒草の要素を仕込むことなど自分でもできる造作のないことだ。もし塗る自分もが毒に侵されてしまったら元も子もないし、自分の標的である王を自分以外の誰かに殺されてしまうというのも困る。

 そもそも、ここの薬箱は、いったいいつからあるものなのだろう。自分は王自身から何かの時のためここにあることを教えておくから使うといいと言われていたのだが、もしかしたら王自身も王妃を騙すためにあえて危険な薬物をここに入れているのかも――


「その薬箱はもう使わない方がいいかもな」


 王の声がした。やはりおのれの身の危険を感じて――


「お前を妃に貰ってから一度も点検をしていないからな。腐ったりなどして効能がなくなっているかもしれない、今度侍医が来た時にでも専門の薬師を紹介してもらって中身を入れ替えよう」


 振り向くと、王は、食事の前後に手を洗うための金盥の水に手を浸して冷やしていた。茶とともに食べるつもりで焼き菓子を用意していたのだ。


 王に言われてから気づいた。侍医を呼ぶという手があったか。

 否、侍医とて信用してはならない。むしろ侍医こそ王の身体に治療を口実としていくらでも触れられる存在だ、侍医に王を殺されてしまっては面目が立たない。

 それでも侍医をと言うべきだっただろうか。まず医者を呼ぼうと思うのが愛する夫のために取るべき行動だっただろうか。何をすべきだったのか、何をすれば自分は疑われず済むのか。

 必死に考えているうちに、王に、火傷をしている方とは違う手で、頭を撫でられた。


「だから。気にするなと言っているだろう。この程度のことでそんな顔をするな」


 自分がいったいどんな顔をしているのか、王妃には分からなかった。情けない。表情ぐらい制御せねばと、気を取り直して「はい、申し訳ございませんでした」と言いながら、少し申し訳なさを残した苦々しい笑顔を心掛けてみる。


「少し疲れているのではないか?」

「はあ……、わたくしが、でございましょうか」


 自分の机に戻りつつ、王が「そう」と頷いた。


「ずっと慣れない城暮らしで、息抜きができていないのではないか? 教育係がやたらとお前に王族らしい振る舞いを求めて厳しくしていると聞いた」

「それは――」


 まさか自分が組織に育てられた暗殺者であるとは言えない。

 彼女は郊外で育った教養で劣る下級貴族の娘のふりをしていた。妃として見初められるまでは屋敷から出たことがほとんどないという設定を守るために、世間知らずのふりもしなければならない。事実彼女は王に会うためだけに王侯貴族が本来身につけるべき教養というものを付け焼き刃で習ったのである、粗が目立つのも当然のことだろう。


 それに、もしかしたらあの教育係は気づいているのかもしれない。自分の正体を――王を弑逆しいぎゃくするために放たれた刺客であることに気づいているからこそ、厳しく当たっているのかもしれない。

 そうであればなおのこと田舎貴族の残念な娘のふりを続けなければ、万が一王に自分の氏素性を調べ直すよう訴えられたらお終いだ。


「やはり、この誘いは受けた方が良さそうだ」


 王が先ほどの書簡を手に取り、王妃の方へ振って見せた。王妃は思わず「あっ」と声を上げた。その文の内容を知りたかったのだ。

 王の方から内容について触れやすくなるよう話を振ってくるとは、いったいどういうつもりだろう。何かの罠だろうか。試されているのか。それとも女なのだから男のすることに口を出さないようしつけられているのか確認しようとしているのか。どう反応するのが正解なのだろう。

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