仮題:海翔(カイト) Season 1
@tachibana_y
第1話 父の死と夢見の始まり
海翔が不思議な夢を見るようになったのは、父が死んだ通夜の晩が最初だった。
その夜、海翔は母と父方の叔母二人と、父の亡骸を取り囲むように座っていた。
バイト先から駆け付けた海翔はその疲れもあり、深夜になるとさすがに眠くなってきた。その様子に気づいた母に「少し横になったら」と言われ、父の布団に半身を預け、寄り添うように横になった。父の傍を離れたくなかった。
緊張と疲れからすぐに寝入った海翔は妙な夢を見た。
そこは墓地だった。海翔は地べたに座っている。目の前には墓石が立っていた。そこへ死んだ父が現れ、地べたに胡坐をかくと、海翔に向かってこう言った。
「いいか。ここに母さんがいるのだからな」
夢に驚いた海翔は目を覚ました。時計の針は小一時間ほど回っているだけだったが、海翔には随分長く感じられた。
「もういいの?」
母に言われ、海翔は頷いた。そして、今の夢は何だったのだろうと振り返った。父が語った言葉はたった一言だったが、それがどういう意味を持つのか。海翔には全く分からなかった。ただこの時思い出したのは、生前父が言っていた、「父ちゃんがいなくなったら、母さんを守るんだぞ」という言葉だった。ここに母さんがいることを忘れるな。自分がこの先どこにいようとも、母のことを気遣いなさい。海翔は、父の言葉をそういう意味と受け取った。
葬儀は菩提寺で行うことになった。祭壇が作られ、中央に父の遺灰の入った骨壺と遺影が置かれた。参列者は叔母達夫婦と昔から親しかった友人と会社の上司、そして海翔と母だけだった。座布団の数は十枚にも満たなかった。
ところが、葬儀が始まりしばらくすると、お堂の外から何やらざわざわとした音が聞こえ始めた。後ろに座っていた父の末妹の美佳子がさすがに気になり、広縁に出て静かにお堂の扉を開けた。
美佳子は驚愕した。長い人の列が寺の表門まで繋がっている。遠くを見れば、門外にも人だかり。数十人なんてものではなかった。百人は優に超えている。誰もがそれぞれ手に花束を持ち、中には合掌し頭を垂れている者もいた。
美佳子の様子に気づいた姉の美恵子も後ろを振り返った。それにつられて母も海翔も何気に後ろを振り返ると、皆思いもよらぬ光景にただ呆然とするだけだった。
「お義姉さん、どうします?」
美恵子が尋ねた。
母は海翔と目を合わすだけで思いあぐねた。すると、お堂の隅に控えていた葬儀屋が駆け寄ってきて、二人にだけ聞こえるように言った。
「すみません。今すぐ献花台を用意しますので……」
海翔は言った。
「あの、訃報は出さないようにと……」
葬儀屋はかしこまった。
「はい、こちらでは一切言われた通り、告知の掲載はしていないのですが……」
海翔はますます合点がいかなかった。母はただただおろおろするばかり。見かねた海翔は、静かに立ち上がるとお堂の外に出た。行列を押し分けて境内の中央に立つと、人々に向かって深く一礼した。そして、葬儀の後に献花していただくことを伝え、突然のことで何も用意できなかったことを深く詫びた。
その声は、読経を続けている和尚の耳にも届いていた。和尚はその凛々しく毅然とした海翔の物言いにほくそ笑んだ。
葬儀が一通り終わると、お堂の入り口に用意された複数の長テーブルに、次から次へと花が置かれた。深く頭を下げ手を合わせていく人々に、母と海翔も深く頭を下げた。
一体、何なんだ? 繰り返し頭を下げながら、海翔は心の中で考えていた。訃報の知らせも出してない。なのに、これだけの数。どこから来たのかもわからない。オヤジとどういう関係だったのかもわからない。会社の人間でもなさそうだ。というか、そもそも大会社に勤めていたわけじゃないし、会社のお偉いさんでもないのに、こんなに人が集まるわけがない。
業を煮やした海翔は、思い切って献花し終えたばかりの年配の男性に声をかけてみた。
「あの、失礼ですが、父とはどのようなご関係だったのでしょうか?」
すると、男性は改めて帽子を脱いで一礼した。
「どのような関係も何も、お助けいただいたのですよ。今、こうして無事に生きていられるのも先生のおかげです」
先生? オヤジが? 先生って……。
「オヤ、いや、父が助けた?」
海翔の言葉を聞いた他の人達もしきりに頷いた。海翔と男性の周りを既に何人かの人達が取り囲んでいる。皆口々に助けてもらった、救われたと言うので、海翔はますます理解に苦しんだ。
「父が一体何をしたんでしょうか?」
すると、なぜか急に誰もが押し黙ってしまった。男性は皆を代表するかのように答えた。
「それは言えないことになっているのです」
しきりに頷きながら、傍にいた婦人が言った。
「先生は絶対に正体を明かしてはいけないと……」
その時、隣りにいた夫が婦人の袖をぎゅっと引っ張ったので、婦人は思わず手を口で押えた。
「正体?」
何だそれ? にしても、息子の俺にも言えないことなのか? 海翔は内心ムッとしたが、やんわりと返した。
「家族にもお教えできないことなのでしょうか?」
男性は戸惑ったが、すみませんと詫びた。周囲の人達もただ俯くだけだった。これ以上どうしようもないと判断した海翔は、最後にもう一度礼を言うと、お堂に戻った。
参列者の献花は三時間近くかかってようやく終わった。海翔は葬儀後の食事会の席で父の友人や会社の上司に先ほどの件を尋ねてみたが、友人も上司も何一つわからなかった。和尚は落ち着かない海翔を宥めながら、そんな父の人徳を称えた。そして海翔に年齢を尋ねると、立派な成人になったことを笑みを浮かべて褒めた。
会食も終わり、家に帰ると、海翔は少し疲れたから横になると言って部屋に籠った。ベッドに大の字になると、思い切り四肢を伸ばして全身の疲れをほぐした。そして、仰向けになったまま父のことを考えていた。
寡黙な父だった。家族の晩飯が終わってしばらくすると、「帰ったぞ」と仕事から帰宅。寝巻に着替えると、決まって晩酌。その後は風呂に入って寝るだけなのだが、食事の間は傍らに母が座っていても、母が一方的に話しかけるだけで、特に変わったこともなければ父がものを言うことはなかった。朝は朝で、海翔が起きる前には既に家を出ていた。
そんな毎日だったから、海翔は父と会話らしい会話をした記憶があまりない。ただ大学進学で一人暮らしを始める時に、「困ったことがあったら父ちゃんを呼べ」と何度も言われたことだけは今でも覚えていた。
オヤジが人助けか。そうかもな。海翔は思った。確かに人の好い父だった。物言わぬやさしさというのは常に感じていた。めったに怒りもしない。海翔の頬を涙が伝った。
でも、オヤジはただのしがない中年サラリーマンだ。海翔は起き上がった。後三年もすれば定年退職。出世にも興味はないし、俺から見れば退屈な毎日をありがたいと生きているような人だった。それなのに、あれだけの人が来るなんて……、しかも命を救われただの訳の分からないことを言う。海翔はいまだにこの日起きたことが信じられなかった。
オヤジは一体何を……? オヤジの正体? 海翔はバカバカしさに笑った。オヤジの正体って……、オヤジはオヤジだろ。そうだ、通夜の時に見たあの夢。あれも何だったんだろう。そのオヤジの正体とやらに何か関係でもあるのか? もはや知ることもできない父の思ってもみなかった姿に、海翔の疑念は脳裏に深く刻み込まれた。
不思議な夢見は通夜の時以来なく、海翔は何変わりなく日々を過ごしていたが、大学も夏休みに入るとアパートを引き上げ、実家暮らしに戻った。そうしてほどなく初盆となり、海翔は母と墓参りに行くことになった。
母も海翔も家族を失った悲しみはまだ深かったが、四十九日もとうに過ぎ、心は幾分穏やかになっていた。
墓前に供物と花を供えると、二人は静かに手を合わせた。
「行こうかね」
「うん」
母の目がしらが赤くなっていた。海翔は涙を堪えた。
墓地を出て、車に乗ろうとした時だった。何かに引かれたのだろうか、海翔は思わず墓地を振り返った。父の墓が遠くに見えた。すると、
「海翔か? また来いよ」
と声がした。それは明らかに父の声だった。海翔の目に俄かに涙が溢れた。海翔は心の中でうんと頷いた。
先に車に乗り込んでいた母がどうしたのと聞くと、海翔は今起きたことを話した。母もとうとう涙をこぼし、二人はそのまま悲しみを分け合った。
夢は誰しも毎日見るという。ただ覚えていないだけ。それは海翔も同じだった。
だが、この出来事を境に、海翔の夢見は普通とは違う様相を呈し始めていった。そもそも亡き父の声が聞こえてきたこと自体、普通に考えれば異常なことだった。
それまでどんな夢を見ようが気にも留めなかった海翔だったが、いつしか自然とその意味を探るようになっていた。記憶に残るように意識を集中したり、メモが必要ならそれをすぐに書き留めたりした。いろんな夢関連の情報を拾っては、その時の自分の状態と照らし合わせ、それぞれの夢を自分なりに解釈するようになり、その習慣ができてくると、海翔は感覚的に単なる夢とそうではない夢の区別ができるようになった。これは夢だとわかっていながら夢を見るという、いわゆる明晰夢もまた自然とできるようになっていった。
そんな中、偶に父が夢に出てくることがあった。明らかに単なる夢と違うことは海翔にはわかっていた。それでも最初の頃は、海翔は悲しみのあまり父の夢を見るのだろうと、自分の思いとあの世の父の思惑がたまたま一致して夢で見てしまうのだろうと思っていたのだが、そうではなく、自分の思いとは関係なく父に見せられているのだとわかったのは、ある一つの夢がきっかけだった。
父の一周忌の数か月前だった。
それは、上の叔母の美恵子の夫についての夢だった。夢の中で父の声だけがはっきりと聞こえた。
「貞吉が交通事故に遭うが、命に別状ないから心配するな」と。
翌朝、海翔は母に夢の内容を伝えた。海翔自身もあんなにはっきりと父の言葉を耳にすること自体驚きだった。交通事故に遭うとか、まるで予言そのものじゃないかと思った。話を聞いた母も、そんなことがあるのかと信じられないような顔をしたが、当たっていては一大事と思い、海翔に言われるまま美恵子に電話した。
信じられない様子なのは、電話口の美恵子も同じだった。突然そのようなことを言われても、何をどうしたらよいのかすらわからない。美恵子は一応注意はしておきますと、この話は夫にも伝えておくこととして電話を切った。
果たして、その二か月後に事故は起きたのだった。たまたま利用したバスが丁字路で横転。信号無視して入り込んできた車を避けようとしてのことだった。幸いスピードを上げる前だったので、バスはゆっくりと横転し大事故にはならなかった。その為、大きな傷を負った乗客は誰もいなかった。美恵子の夫は座席を放り出されたものの、左腕を少し強く打っただけで無傷だった。
その日の午後、病院から戻った美恵子はすぐに電話をした。
「お義姉さん、ありがとうございました。私、もう驚いちゃって……」
興奮状態で一方的に話しまくる美恵子に、母は何度も頷くばかりだった。警察から事故の知らせを受けたとき、美恵子は夢のことをすぐに思い出し、冷静に対処できたことを何より感謝した。
「でも、大変だったわね」
「でも、良かった。本当に大事なくて……」
同じような言葉を互いに何度も繰り返し、二人は漸く電話を終えた。
母は海翔が大学から帰ると、この日の出来事を伝えた。海翔は自分でも驚いたが、普通とは違う夢見の感覚は勿論、やはり父からの警告に違いないという自分の判断は正しかったのだと確信した。
父の一周忌を終えてまもなく、海翔はまた同じような夢を見た。
その夢は、どこかの神社だろうか。赤い鳥居が見えた。その境内の中なのか、鳥居を背にして一人の爺さんが重い石を持って倒れるというものだった。しかし、すぐに人に発見され、命にかかわることにはならないというものだった。
夢を見ながら、海翔はこの爺さんは誰なのかと考えていると、頭の中にすとんとその情報が入ってきた。
翌朝、海翔は母に夢の内容を伝えた。今度は母も海翔の夢を信じていたので、すぐに美佳子に電話した。
美佳子は姉の美恵子から海翔の夢見の話は聞いていたものの、いざ自分のこととなると半信半疑だった。
「一輝さんのお父様だそうだから、一応伝えておいた方がよいと思って……」
母の言葉に美佳子は礼を言い、夫に話しておくと言って電話を切った。
この夢見が現実となったのは、その年の六月、最初の真夏日のことだった。
美佳子の義父が出先で何か重いものを持って倒れたところを、そこをたまたま通りかかった通行人がすぐに見つけ、救急車で搬送されたということだった。
連絡を受けると、美佳子は夫の一輝と一緒にすぐに病院に向かった。命にかかわる大事には至らなかったものの、高齢ということもあり、検査も含めて一週間ほど入院することになったのだった。
赤い鳥居は何だったのか。それは一輝の母親が度々訪れている神社だった。夫の実家にはその神社のお札が祀られていた。
「守ってくれたんだよ」
「そうかしらね?」
「退院したらお礼参りするといい」
「夫もまずはほっとしてる。ありがとね、カイちゃん」
休日で家にいた海翔に、美佳子は電話で礼を言った。先に話をしていた母も、その様子を見て喜んだ。
こうした出来事があってから、叔母達は家に何かあると、海翔が何か夢を見ていないかと電話するのが当たり前になっていった。
海翔はそんな叔母達に、自分にはそんな霊能力みたいなものはないし、きっとオヤジが見せてくれてるんだよと言った。実際そう思い込んでいた。叔母達もそうよね、兄さんよねと、海翔の特殊な能力を認めることはなかった。
しかし、海翔には既に不思議な力が目覚め始めていたのだった。海翔は今回も父が見せてくれた夢だと疑いもしなかったが、実際のところ、夢に父の気配は何一つなかった。つまり、それは海翔自身が持つ能力そのものの現われだったのである。それを海翔自身気づいていなかったのだが。
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