第32話 死の淵
沼の周りには小動物の死体が数多く散乱し、中には腐敗していたり白骨化しているのもあり、一行は思わず息を飲んだ。
「そ、村長、このありさまは?」
一行を代表してザムが村長に尋ねた。
「……おそらく水を飲みに来た動物たちを襲って血を吸っていたのじゃろう……。ヴァンパイア・バグが現れてからこの沼には近づくなと皆に命令しておいてよかったわい……」
リハーサル時とはあまりにも違う沼周辺の気色悪さに
“うっ!”
ゴンベーはリアルで吐き気をもよおした。
「ゴン、大丈夫か?」
表向き心配する村長の言葉だが、その裏ではここまできて後には引けない圧をゴンベーは感じていた。
「で、でぇじょうぶだ。ち、ちょっと食べすぎただ……えへへへ……」
「ではいくぞ。覚悟はできているか?」
「い、いつでも……いいだ」
(さあいくぜ! 火だるまになったり崖から海に落ちるスタントマンさんには及ばねえが、俺の役者魂を魅せてやる!)
ゴンベーが恐竜から降りると、その後を治療役のラピスが、そしてザムとジルが道を塞ぐように恐竜二頭を横に座らせた。
これは盾の役割と、血を吸われ暴れるゴンを遮る役目を担っていた。
その後ろにはもしかしたら他の魔物がいるかもしれないと、腰の剣に手を掛けたザムとジル、弓矢をつがえたミルがメテアと村長、そして男三人を取り囲んでいた。
ゴンベーは沼へ近づくとマントを地面に落とし、二枚の布の切れ端を取り出した。
一枚はまつげの位置で巻き、もう一枚で鼻から口に掛けてマスクのように巻いた。
これは
”眼を刺されたらいくら私でも治療できないかも。あと口から体の中に入ったらそれこそ
とラピスが言った事への対策であった。
そして針を取り出し人差し指に刺すと豆粒のように血を絞り出して、人差し指ごと沼へと沈めた。
一秒……五秒……十秒とゴンベーの体内時計が進んでいく。
『いきますよ』
世界珠の声がゴンベーに届けられた。
(はい)
短く答えた瞬間!
”ザッバァアア~~!”
三メートル四方はあろう黒い風呂敷のような霧がゴンベーの目の前に現れた。
”!!”
「えええっ!?、アレすべてがヴァンパイア・バグなのぉ~!?」
メテアの叫びに村長以下村人、そしてラピスすら軽く眼を見開いていた。
……まるで、世界珠の説明と若干食い違いがあるかのように。
ゴンベーは慌てて目隠しをすると、黒い煙と化したヴァンパイア・バグはすぐさまゴンベーを包み込んだ。
(がはぁ!)
最後の抵抗にと、村を襲ったときのように暴れてやろうと考えていたが、無数の注射針が全身に刺さる痛みで脳がパニックになり、悲鳴を上げることもできずまるで彫像のようにその場で固まっていた。
それをラピスは黙って見つめていた。
その眼は村人ゴンではなく、イレギュラーな出来事と、ゴンを演じている役者ゴンベーを見定めるように……。
「おお……ゴンや……」
弱々しく村長が言葉を紡ぎ出すと、倒れたゴンベーの代わりに血を吸われる役の男三人も、あまりの惨状に半分リアルで体が震えていた。
長いようで短い、短いようで長い時が進むと、
”ポン、チャポン、チャチャポポン”
腹が膨れたヴァンパイヤ・バグが一匹、また一匹と沼へ潜っていき、ゴンを覆う黒い霧も徐々に晴れていった。
それでも皆は、最後の一匹が沼に潜るまで固唾を呑んで見守っていた。
“チャポン"
そして最後の一匹が沼に潜ったのと同時に、ゴンは固まったポーズのまま、ゆっくり後ろへと倒れていった。
その体は血を吸われシワだらけになり、皮膚の色もドス黒くなっていた。
慌ててラピスが支えながらゆっくりと地面に寝かせると、風を貫くように叫ぶ。
「メテア! 今よ!!」
「よっしゃああぁぁ!」
両手に魔力を溜めたメテアは恐竜を飛び越えると、一気に沼へと駆けだした。
「ゴン!」
村長が恐竜をよじ登ると、あとの村人も次々と恐竜を飛び越えてゴンの元へ走って行った。
「ゴンさん! アナタの死は無駄にはしねぇぜ!」
“いやいや、生きていますよ”
メテアの言葉に村長を始め村人達が心の中でツッコんでいたが、ラピスだけはゴンベーの体を見て再び眼を見開いた。
メテアは両の手の平を沼に向けると
「はああぁぁぁぁ! 【冷却】!!」
術を唱えた瞬間、炎すら凍らせるような冷気が水面に向かって一気に吹き出し、それと同時に両膝をついたラピスが、ゴンベーの胸板に両の手の平を当てると
『命の精霊よ。この者に
手の平から命の炎が燃え上がり、ゴンベーの体全体を包み込んでいた。
やがて
”ピキ……ピキ! ピキピキピキピキ!”
と沼の水が徐々に凍っていくと
”おおぉぉ!!”
村長達から歓声が上がった。
しかし、ゴンベーに【治癒】の術を掛けているラピスの顔からは、冷たい汗が浮かび上がっていた。
(なにこれ……私の魔法が効いていない!? なぜ!? このままでは本当に彼は!!)
一方、ゴンベーの意識は虚空の中をさまよっていた。
(ここは……そうかぁ……なんか虫に刺されてぇ……痛えめにあってぇ……。あぁ、このまま……死ぬのかなぁ……。でも、それも……いいかもなぁ……。万年……エキストラ……芸の中で……死ねりゃ……本望……。どうせ……なんの……未練も……ね……え……し……)
しかしマッチの火にも満たない熱い想いがゴンベーの魂に灯された。
(そ……うだ……オーディ……ション……金太郎……奉行の……熊……五郎……役……)
やがてそれは虚空すら燃やす尽くす巨大な炎へと燃え上がっていった。
(死ねねえ……俺は……まだ……富士……歳三郎先生との……共演! せっかく掴んだ……チャンスだぁ! まだ……死なねぇぞ! たとえ……悪魔の野郎が……俺を……地獄へと……引きずり込もうともなぁ! そして……そして! “あの人に”……認めて……もら)
”ドックン!”
(!!)
ラピスの両手に伝わる生の鼓動。
やがてゴンベーの体から徐々に血の気が浮かび上がり、乾燥ワカメにお湯を注いだように、体が膨らみシワが消えていった。
「うう……あ……れ? 真っ暗……だ」
ゴンの声にラピスは目隠しを外した。
「ああ……ラピス……さま」
「もう大丈夫ですよ。ゴンさん」
ゴンベーが頭を傾けると、見る者すべてに温かみを与えるラピスの笑顔が眼に入った。
そしてわずかに視線を落とすと二つの膨らみが、さらに視線を落とすと
(!!)
偶然なのか、体を張ったゴンベーの芸に対するご褒美なのか、両膝から片膝に体制を変えたラピスのスカートは楕円形に広がり、やわらかい太ももの間から白い下着が垣間見えていた。
慌てて視線を、首を動かそうとするが
「まだおとなしくしていてくださいね」
ラピスはこのまま自分の股間を眺めてもいい許可証をゴンベーに与えていた。
「ふぅ……こんなもんかな」
メテアは軽く息を吐き出し、スケートリンクのようにすべてが凍った沼を見た村人達は
”いやったああぁぁ!”
と歓声を上げた。
「そうじゃ! ゴンは!?」
素で忘れていたかのように、村長はラピスの方へ振り向いた。
「ご安心を。一時はどうなるかと思いましたが、もう大丈夫です」
ラピスは首だけ村長の方へ向けて答えていた。
スカートの中、太ももの間から漂う甘い少女の香りが、ゴンベーの体に命とは別の炎が燃え上がってきた。
(やべえな……俺はロリコンじゃないんだが……でもエルフって人間より遙かに長寿だし……もしかしたらこのエルフさんも実際は何百歳……。超熟女ってことか?)
「ありがとうございますメテア様。これで村は救われ……」
村長がメテアに向かってお辞儀をしようとした瞬間!
「はああぁぁぁ!」
メテアは再び両手を蒼く光らせると
「【浮遊】!!」
の術を唱えた。すると
”ミシ! ビキッ! グアガガガガガ!!”
と地を揺らすような轟音を立てながら、氷の沼が激しく振動すると
”ボコッ!”
と氷は地面から離れゆっくりと浮き上がっていった。
「メ、メテア様! な、なにをなさるおつもりで!」
村長の問いに答えるようにメテアは大きく両腕を持ち上げると、それに釣られて沼の氷も天高く浮上し、そして……。
「そお~れ! 飛んでいけぇ~~~!!」
大きく腕を振ると、
”グオオオオォォ!”
巨大な氷の固まりは超高速で空へと吸い込まれ、やがて見えなくなっていった。
「……」
開いた口が塞がらない村人達。
エキストラとして長年経験を積んだ村長ですら、あまりの出来事に表情と体が硬直していた。
慌ててラピスは立ち上がるとメテアに詰め寄った。
「アンタ! なに考えているのよ! ヴァンパイア・バグを閉じ込めた氷をぶん投げるなんてぇ~~!!」
ラピスのすさまじい剣幕は凍った場を打ち砕いたが、メテアはあっけらかんと答える。
「だってさぁ~もしポコペン大魔王の部下が【冷却】の魔法を解いたらさぁ~、またヴァンパイア・バグが村を襲うだろ? だから氷のままあさっての方へ放り投げたんだよ」
「そのあさっての方角に街や村があったらどうするのよ! 氷が割れたらヴァンパイア・バグがその街や村を襲うでしょ!? そうでなくてもあんなデカイのが町や村に落ちただけで大惨事だわ!」
「あ、そうかぁ~そこまで考えていなかったわぁ~アハハハハ!」
”ハァ~……ハァ~……ハァ~……”
とラピスは大きく呼吸しながら、怒鳴った以上の疲れを体に感じていた。
(((銀等級の方もいろいろと大変なんだな……)))
おこがましいことだが、村長から村人、そしてゴンベーまで、同じ役者としてラピスに同情していた。
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