君と別れたら、缶コーヒーを飲む

位月 傘


 砂糖をぼとぼと、ミルクもどばどば。もはや珈琲と言えるのかもわからない、アプリコット色の液体がなみなみと注がれたマグカップを両手で口元に運ぶ。

「愛って、なんなんだろう」

 ジュースのような液体を生み出した男は、ぽつりと呟く。一般的には整っていると言われる容姿だが、刻みこまれたような深い眉間の皺と、不機嫌そうに山を描く口元が陰気な雰囲気を漂わせる。墨汁みたいな珈琲をおいしくなさそうに啜ってることも相まって。

「うーん、今日は随分と哲学的だね」

 マグカップに入れっぱなしのスプーンをくるくるとかき回しながら、思考にふける。時々かちり、とスプーンがガラスにぶつかる音が心地いい。

 愛、あい、難しい質問だ。いったん恋人に対してそんなことを聞くその無関心さには目を瞑るとして。

 口頭で説明するのは酷く難しい事のように思える。しかもこの男のわかるようにとなると、余計にむずかしい。うんうんと唸ってもこれといった言葉は出てこない。

「独り言みたいなもんだから、あんまり深く考えるなよ」

「えぇー。そんなの、わたしが理解してないみたいでやだよ」

 愛が何かなんて、君じゃないんだから分かっているに決まってる。ただちょっと、うまく説明できないだけで。 

 というか、独り言でそんな言葉がでてくるなんて哲学者か。実際そういう気質があるんだろうということは、ずぅっと前から知ってはいたけれど。

 要するに、彼は難しく考えすぎるのだ。すべての物事はもっと単純だ、なんていったら馬鹿にされてしまうだろうか、それとも呆れられるだろうか。意外と感心させられたりしないだろうか。

「じゃあ、明日のデート中にでも教えてあげるから、それまで待っててね」

「はいはい、楽しみに待ってるよ」

 適当な相槌を打つ男に、あ、こいつ明日になったら忘れるな、なんて思いながら残りのアプリコットを胃に流し込む。まるで砂糖をそのままざらざらと飲み込んでいるような、しかし慣れた感覚を味わって、空になったカップを台所にもっていく。

 彼はわたしが飲み干したのを見届けてから、視線を読みかけの本へ落とした。


 

 とはいっても、今日のデートだって、特別なことをするわけじゃあない。水族館に行って、ちょっとお洒落な喫茶店に入って、二人でぶらぶらとしたら、そのまま二人の家に二人で帰る。

 こんなにずっと一緒にいるというのに、愛がわからないなんて、とんだ薄情者だ。わたしは、わたしの受け取っている愛を分かっているから許せているのだと、この幼馴染はきちんと理解できているのだろうか。

 お昼が少し過ぎて、人気のあまりなくなった喫茶店で紅茶をティースプーンでくるくるとかきまわす。まだ溶け切っていない砂糖の粉が渦を巻くさまをぼうっと見つめていたところで、あっと声を上げる。

 響くとまではいかないが、近くの店員さんに声をかけられてしまった。なんでもないです、と言いながら苦笑いを零すと、目の前の男が不機嫌そうに目を細めているのが視界に入る。不機嫌そうに見えるけれど、本人としては咎める意味合いのほうが強いのだろう。

「やっとわかった、珈琲みたいなものなんだよ」

「……初めから、順を追って話してくれるか」

「だからさ、愛って君の淹れる珈琲みたいなものなんだよ」

 そうだ、わたしと彼との間に限定するならば、少なくともわたしにとってはそれが一番正しい例え方だ。愛、という単語に昨日の事を思い出したらしい男に、やっぱり忘れている、なんて思ったが怒ってはいない。ただちょっとむっとする気持ちがない訳じゃあない。

 だからこれは愛そのものというよりは、彼へのちょっとした意趣返しになってしまうけれど、まぁ構わないだろう。やけに機嫌の良いわたしへ怪訝そうな顔を向ける、なんとも不敬な男に、しかし上機嫌で続ける。

「わたしがメニューを開いただけであんなに止めてきたのに、わからないなんてことはないでしょう?」

 いつまでたっても変わらない珈琲の味。うんとわたしたちが幼い頃にわたしが好きだと喜んだ、彼が淹れたものと全く同じ。

 私の味覚も、少しは成長した。彼だって、お店に行けば自分が淹れるより美味しい珈琲を飲めることを知った。それでも私は、いつだって紅茶を飲む。彼はいつだって、お前はいつまでたっても甘党だと言う。

 私の言いたいことを理解したのか、罰が悪そうに顔をしかめて、彼にしては珍しく弱った声を出す。

「……そういうのは、独占欲というんだ」

 予想していた彼の羞恥が存外に可愛らしいものだったから、つい声を出して笑ってしまいそうになるが。機嫌を損ねたいわけではないので微笑みを浮かべるだけに留める。

「ひとりだったらそうかもしれないけど、わたしが受け入れているなら、これは愛なんだよ」

 わたしが彼の所有欲を理解していた事への照れ隠しか、はたまた脱力感なのか、かれは片手で顔を隠してしまう。あんなにあからさまなのに、幼馴染なのに気づかれていないとでも思っていたのだろうか。やがて溜め息の様に疲れた言葉に今度こそわたしは小さく声をあげて笑ってしまった。

「そんなの、へりくつだ」

「愛なんて、そんなものだよ」

 わたしと、きみとに限ってだけれど、なんて言葉は必要ないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君と別れたら、缶コーヒーを飲む 位月 傘 @sa__ra1258

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ