厨房の香川
犬爪ポチ
厨房の香川
「俺は絶対、こいつの言うことは信じないぜ…!」
香川はそう口走ると、荒っぽくオレンジページを閉じた。
振動が無機質な空間を震わせる。
壁には至る所に謎のチェーンがぶら下がっていた。ここは、街の中華屋『〜最後の晩餐〜』の厨房だ。
香川龍也(たつや)はこの店の跡継ぎである。
右目には眼帯、両腕には包帯を巻いており、腰にはスタッズの付いたベルトを巻いている。位置は微妙に高い。耳にはチェーンの付いたカフスをしており、エプロンには英字プリントがビッシリ施されていた。これが彼のトレードマークなのだ。家族からは散々忠告されていたが、香川は聞き入れなかった。
香川は信じない男だった。
「俺の右手には龍が宿っているんだ…こんな雑誌に、かしずくわけにはいかないんだよっ!」
そう言うと香川は、一番近くにある中華鍋に油を流し入れた。
「まずは、ごはんだ…!」
そう言うと香川は鍋に荒っぽく米を放り込んだ。この時点でかなりの米が周囲に飛び散り、そこら中にへばりついた。
「くそぅ…!俺の右手の龍が…!暴れてやがる…!!」
そう言うと、香川は飛び散った米を一つずつ拾い集めた。そうこうしている間に、中華鍋からは小気味好い音がし始めた。
「俺は…他人に流されない男だ…!くらえ!」
そう言いながら、香川は中華鍋に大量のグリンピースを入れた。一部は鍋に弾かれ跳ね返ってきた。
「随分と生きが良いもんだな…!そうやっていられるのも今のうちだぜ…!」
香川はグリンピースにガンを飛ばした。
グリンピースは怯まない(ように感じた)
「ちっ…生意気なやつだな…」
そう言いながら米とグリンピースを炒め始めた。
あれは3日前。
店の常連の一人(三人いる)が
「チャーハン、グリンピース抜きで!」
とオーダーしたのがキッカケだった。
「グリンピースはな…!俺の魂なんだよ…!」
そう言い放ち、香川は常連を店から追い出した。それ以降、香川は追い出した常連が頭から離れないでいた。
「外、寒かったな…くそっ…」
香川は優しい男なのだ。
「なんとか美味しいグリンピースのチャーハンをあいつに食べさせてやりたい…!」
そういった経緯で、香川は新しいメニューの考案をしていたのだ。香川の努力はいつも方向を見誤りがちだった。
香川は不器用な男なのだ。
鍋に踊る米と豆。
その割合はおよそ、1対1だった。
だいぶ攻めている。
香川は試行錯誤を重ね、なんとか納得できるグリンピースチャーハンを作り上げた。
「よし!できたぜ!俺はやはり、サタンの生まれ変わりだ…!!」
そう叫ぶと、厚底のラバーソールシューズで駆け出した。右手に龍を宿し、サタンの生まれ変わり、香川は近所で有名な厨二病だった。
右手には出来上がったばかりのチャーハンを持っている。
先日追い返した常連の働く店まで全力で走った。走って、走って、走りきった。
「今の俺は、地球上で一番の瞬足…!」
そう口走りながら走りきった。
店につくと、常連はビックリした顔で香川を見た。
「ちょっと!あんた!どうしたのよ!」
常連のキャシーさんは香川を店に入れた。
キャシーさんは喫茶店のオーナーで、その存在は性別を含め全てが謎だった。香川の店には週3日通っており、好物は青椒肉絲だった。
「見てくれ、今日はあんたのために新メニューを作ってきたんだ!最高の出来だ!もうグリンピース抜きなんて言わせない…!」
そう言って、息を切らしながら手に持った器を見せた。
「それは…グリンピースチャーハン…あんた…私のために…」
キャシーさんは目に涙を溜めてグリンピースチャーハンを見つめた。
キャシーさんは、店のテーブルの1つに座りグリンピースチャーハンを食べた。完食だった。
「とっても美味しかったわ…」
「…!!当たり前だろ…!」
香川は泣いていた。
店内は感動に包まれていた。
しかし、喜びは続かなかった。
「うっ…」
急にそう呻き、キャシーさんが床に倒れたのだ。顔を見ると、見たことないくらいに腫れ上がっていた。香川は慌てて救急車を呼んだ。
キャシーさんは豆アレルギーだった。
香川は悔やんだ。
悔やんでも悔やみきれなかった。
香川は英字プリントがビッシリ入ったエプロンを脱いでこう呟いた。
「そういえば、豆アレルギーって言ってたな…」
香川はキャシーさんから豆アレルギーの話を聞いていた。
香川は信じない男だった。
それが香川だった。
「これからはちゃんと人の話を聞こう」
香川は固く心に誓った。
以降、店の名は『中華食堂 来来軒』に改名し、壁に張り巡らされていたチェーンも取り外された。
今では香川は、爽やかな短髪に上下白のシンプルな出で立ちで厨房に立っている。
香川の『厨房』からの卒業だった。
《おしまい》
厨房の香川 犬爪ポチ @dogitsume
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