第280話 トレビュシェット(後編)

 距離があるので、音は良く聞こえない。


 がしかし、木樽が長槍に触れた瞬間、遠目にも分る鮮やかな閃光が。



『ああっ! 燃えやがったっ!』



 空中で四散したかと思われた木樽は、その場で爆発的に燃え広がり、その火は密集した兵士達の頭上へと無慈悲に降り注いだのである。



『こいつぁ……“アレクシアの火”ってヤツだな』



 小声でそうつぶやくパウロス。


 彼はいつの間にかゴメスの隣で、その様子を眺めていたのだ。



『あちゃぁ。ヤツら、水を持って来やがった。“アレクシアの火”に、水はヤベぇぞぉ』



 パウロスが心配した通り。


 兵士達はどこからともなく大きな水甕みずがめを運び込み、慌てて水を掛けている様子が垣間かいま見える。


 しかし、なぜかその度に火の勢いは増し、炎が更に広がって行く様だ。



「オーッホッホッホッホッホッホッ! さもしき侵略者たちよっ! 、全て灰になってしまえば良いのよぉぉぉぉ! オーッホッホッホッホッホッホッ!」



 欄干らんかんに片足を掛け、身を大きく乗り出す様にしながら、高笑いを始める大谷美紗。


 その表情はさながら、煉獄れんごくの大魔王である。



「……はっ!」



 と、そこで突然、我に返る彼女。


 勢いよく背後を振り返って見れば、顔面を引きつらせ、ドン引き状態のルーカスが。



「あっ……あぁ、ルルルッ、ルーカスッ! 勘違いしないで、これは、私達の国で有名なオペラのセリフなのよっ、えぇそうなの。私の本心じゃ無いのよ。何て言うか、そのぉ、ちょっとテンションが上がっちゃったって言うか、えぇそうよ。そうなのよ。全然、悪気は無いの、本当よ、本当なのよ。……って言うか、アンタッ、まさか通訳して無いわよねっ!」



 最初はオドオドとした言い訳からスタートしたはずが、気付けば最後、脅し文句なると言う豹変ひょうへんぶり……


 ルーカスは両目を大きく見開いたまま、とにかく首を左右に振る事しか出来ない。



『ミサ様ぁー。どうですぅ? 届きましたかぁー?』



『あぁ、ブルーノごめんなさーい。上手く行ったわよぉ。この調子で、バンバン飛ばして頂戴ちょうだーい。それから、今度は少し弱めでお願いっ。メモリで1.5ぐらいかなぁ?』



『承知しました、ミサ様ぁ。どんどん飛ばして行きますねぇ』



 依然、緊張感の欠片も感じられないブルーノ。 


 同じく微塵も緊張感の無い女奴隷たちと一緒に、キャイキャイ言いながら小樽をセット。


 それも仕方の無い事だろう。


 砦の中庭で投石機トレビュシェットを操る彼女たちは、自分達の行為により、敵陣がどれほど凄惨せいさんな状態になっているのかなど知る由も無いのである。


 その後も十名ほどでえっちらおっちら、ゆっくりとアームを引いて行くのだが、流石にそこから先は手空きの兵士達も加わって、瞬く間に予定の位置へと到達。



『はーい、もう一回撃ちますよぉ……。三、二、一! どうぞ、よろしくお願い致しまーす!』



 ――メキメキメキッ! バキッ! ヒョロヒョロヒョロヒュゥゥゥゥゥ……



 これまた緊張感の無い微妙な音を残して飛翔する小樽。



 ――ピシッ!



 今度は全く別の歩兵部隊の頭上で小樽が炸裂。


 古い機械の所為なのか、それともこの投石機トレビュシェットの特性なのか。


 良い具合に弾道が安定せず、意図せずして敵陣を広範囲にエリア爆撃してくれる。


 まぁ、どこに飛ぶかは、完全に運任せと言った所か。


 確かにこの状態だと、攻城兵器として使うには、かなり使い勝手が悪い。


 破壊したい目的の壁は常に一点であり、こうも弾道がブレていては当てたい所に当たらない。


 ただ、今回の場合に限って言えば、そのデタラメさが、良い様に転んでいるのだ。



 ――ヒョロヒョロヒョロヒュゥゥゥゥゥ……


 ――ヒョロヒョロヒョロヒュゥゥゥゥゥ……



 ものの、五、六発は放っただろうか。


 やがて敵軍は算を乱し、投石機トレビュシェットの届かない遥か後方まで撤退を始めてしまったのである。



『『ウォォォ! フェリ! フェリッ! アーラララ、ウゥラァァァ!』』


『『勝った、勝ったぞぉ! 追い返してやった!』』



 最初に歓声を上げたのは塀の上に陣取る兵士達。


 やがて、その歓喜は、砦内の全員へと伝播して行く。



『嬢ちゃん、やったなぁ。まさか、あんなが使えるたぁ思わなかったぜぇ』



 嬉しそうに微笑みながら、美紗に対して握手を求めるパウロス。



『まぁね。私も半信半疑だったけど。何とか上手く行って良かったわ。これでしばらくは大人しくなってくれ……る……と……』



『おいっ! お嬢ちゃんっ、大丈夫か? おいっ!』



 まだ会話の途中にも関わらず、彼女はゆっくりとパウロスの胸へ倒れ込んで行く。



『ゴメス隊長っ! 嬢ちゃんがっ、嬢ちゃんがまた倒れたっ!』



 その声を切っ掛けに、騒然となる砦内。


 ベルタはあんなに嬉しそうに持っていた複合弓コンポジットボウを放り投げ、即座に背後から美紗を抱き抱えた。



『%$”&%’#”!』



『あぁそうだな、ベルタ。お前に任せる。ミサ様を砦の中へ』



 そう指示を出すゴメス隊長。


 ベルタは大きくうなずくと、美紗を抱えたまま、小走りで砦の奥へと消えて行った。


 昨日に続いて、これで美紗が倒れたのは二度目。


 つい先程までは、何の異常も見られ無かった彼女である。一体何が起きたと言うのだろうか。


 まだ一度であれば疲れが……と言う事もあるだろう。しかし、こうも頻繁に倒れると言うのは尋常では無い。


 ゴメスを始め、その場に残された兵士達。


 彼らは美紗の姿が見えなくなったその後も、暫くは茫然とその場にたち尽くす事しか出来なかった。



 ◆◇◆◇◆◇



『で? どうだい。ミサ様の様子は?』



 甲斐甲斐しく働く奴隷の女から麦粥の入った木製の椀を受け取ると、ゴメスは壁際に座り込むルーカスの隣へと腰かけた。



『……』



 依然、うつむいたままのルーカス少年。隣に座るゴメスにすら何の反応も示さない。



『おっ、隊長もここに居たのか』



 そう声を掛けて来たのは頭領のパウロス。彼もルーカスを挟む様な形で壁際へと腰かける。


 美紗とブルーノが準備した投石機トレビュシェット


 その凄まじい衝撃インパクトが敵を心底震え上がらせたのであろうか。


 それ以降、敵はパッタリと攻撃の手を止めてしまった。


 そして日没。


 夜襲を警戒し、二時間交代での哨戒監視を続けてはいるものの、それ以外兵士達は砦内の思いおもいの場所で休息を取っている所だ。


 ある者は死んだ様にその場で眠りに付き、またある者は奴隷女が用意した夕食を口いっぱいに頬張っている。


 最終的に美紗達を裏切った町長ではあったが、最初に売ってくれた食料自体はまともな品であったらしく、わずか百人余りの兵士達では食べきれない程の食糧が山積みの状態である。


 しかも明日をも知れぬ兵士達である。


 せめて食事は思う存分食わせてやれ……とのゴメスの指示によるものだ。



『しかし、驚いたよなぁ。まさかこんな所で“アレクシアの火”にお目に掛かるとはなぁ』



 感慨深かんがいぶかげにそう話すパウロス。


 “アレクシアの火”は、帝国の持つ最重要機密の一つであり、そのレシピは門外不出。


 その製法を知る者は、ほんの一握りの哲学者に限られている。


 原料自体は大国アウエルから交易にて入手しているらしく、帝国固有の物では無いらしい。


 交易元のアウエルも、過去に何度か自作を試みた様なのだが、未だに成功していない。


 現時点では帝国のみが保有する究極の炎であり、その帝国が信奉するアレクシア神の名前を取り、一般的に“アレクシアの火”と呼ばれているのだ。


 元々は海戦用の兵器として作られた物の様で、海上においてもその火は消える事無く燃え続け、水を受けると、更にその火勢は強くなると言われ、常勝帝国海軍の原動力となっている兵器なのである。


 もちろん今回の様に陸戦においても活用されており、通常は塀の上からよじ登って来る敵兵に向かって浴びせかけ、火矢によって引火させたり、攻城時に敵城内に投石機トレビュシェットを使って投げ込んだりするのである。


 ただ、前述の通り“アレクシアの火”は帝国の最重要機密であり、この様な小さな砦に保管されているなど予想外の事であった。



『それはミサ様が……』



 急に面を上げ、話し始めるルーカス。



『ミサ様が、この砦に入られた時に、最初に地下の倉庫の中で見つけられたそうです。何だか変な臭いがするなあぁと思ってたら、突然ミサ様が、倉庫の一番奥にある部屋の錠を壊せって言い出して。かなり厳重な錠だったんですけど、ベルタがロングソード三本ほど駄目にした所で、ようやく開ける事が出来たって、ブルーノから聞きました』



『おいおい、俺の知らない内に、とんでもねぇ事してやがるなぁ』



 その話を聞いて、既に呆れ顔のゴメス。



『そしたら、奥の部屋の中に隠されてた樽の中から、凄い臭いのする黒い液体が出て来たそうで……』



『あぁ、それだよ、それ。“アレクシアの火”は元々、黒い液体だって聞いた事があるぞ』



 椀の粥を頬張りながら、横からパウロスも口を挟んでくる。



『ミサ様は、最初からそれが何か分かっておられた様子で、ブルーノに指示をしてワイン用の小樽に詰替えさせたみたいです』



『なぁるほどなぁ……。って言うか、ミサ様は一体何者だ? 確か、この遠征に来る前に奴隷商から買った性奴隷だって聞いてたけどなぁ』



 椀の底に残った麦粥をスプーンでさらいながら、椀から直接口の中へと流し込むパウロス。



『まぁ、何にせよ、お嬢ちゃんのお陰で、俺たちゃ、こうやって生きて飯が食えるって事だなぁ。感謝しねぇとなぁ』



 そんなパウロスの言葉に、無言で頷く二人。


 ただ、そんな美紗は、現在も士官用の寝室で、意識不明のまま深い眠りに付いているらしい。


 原因は分らない。


 もしかしたら、このまま目を覚まさない可能性も。


 どうしてもその不安が拭えないルーカス。


 ただ、こう見えても彼は、太陽神殿神官学校の卒業生である。


 彼の信奉する全能神、そして大精霊であるサクラに対し、美紗の回復を祈り続ける事こそが、彼に出来る唯一の事だった。



『全能神様、サクラ様。何卒、何卒、をお助け下さい。お願い致します……』



 少年の熱く純粋で、一途いちずな願い。


 その様子を見守る二人の大人も、なぜかしんみりとした気持ちになってしまう。


 すると突然。



 ――ガタッ!



 たった今まで、静かに祈りを捧げていたはずの少年が、その場で急に飛び起きたのだ。


 しかも、虚空を見つめたまま、何やら頷き始めたでは無いか。



『おい、ルーカス? どうした? どうしちまったんだ?』



 あまりの少年の豹変ひょうへんぶりに、不安な表情のゴメス。


 そんな彼の心配を他所に、少年はそのまま監視塔の方へと走り去ってしまったのである。



『なんだよ、ルーカス。どう言う事だぁ?』



『まぁまぁ隊長ぉ、まだ思春期のガキにはありがちな事じゃねぇかぁ。お前ぇだって、あのぐらいの頃には、突然訳も分からず走り出した事ぐらいあるだろう? まぁ、放っておいてやれよ』



 なぜだか、物知り顔で少年の心を解説するパウロス。


 確かにそう言われてみれば、ゴメスにも思い当たる節が無い訳では無い。



『ふぅん……そう言うもんかねぇ』



 彼はそうつぶやきながら、すっかり冷めてしまった麦粥をすすり始めたのであった。

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