第276話 鎧袖一触

「全く『張り合いが無い』とは、まさにこの事だなぁ」



 フレルバータルが戦場へと身を投じて、わずか十五分足らず。


 戦況は驚くべき変貌へんぼうを遂げていた。


 まずは、自ら率いる精鋭騎馬軍団を捻じ込んだ帝国軍右翼。


 通りすがりざまに、敵中央軍へ向けた集中攻撃により、敵中央軍右端の百人隊が壊滅。


 もろい。ただひたすらにもろい。


 側面及び後背面からの攻撃に対し、帝国軍の誇る重装歩兵は、なす術も無く打ち取られて行く。


 確かに、五百頭の騎馬上から射かける弓は、途轍とてつもない破壊力を秘めている事だろう。


 しかし、自身の前面の敵に気を取られるあまり、後背からの攻撃に対して何の手立ても無いと言うのは、ひとえに指揮官の怠慢であると言わざるを得ない。


 もし有能な指揮官であれば、経験値豊富なファランクス後方に控える兵士達に対し、反転防御の指示を出す事で、およそ、その被害を半減させる事も出来たはずだ。


 半ば狂乱状態となり、盲目的に前進を繰り返す兵士達。


 確かにこの状態の兵士達は強い。


 己が身に受けた傷も忘れ、狂戦士バーサーカーとして敵に襲い掛かるのだ。


 前面でその攻撃を受ける敵兵士達の恐怖の程が伺える。


 しかし……。


 それは、勝っている状態であればこそ。


 やはり、今の様に大きく流動する戦場においては、兵士達をこの様な状態に追いやる事の危険さについて指揮官は十分に理解し、いついかなる時にでも、即応体制が取れる様、兵士達を完全に掌握しょうあくしておく事が重要なのだ。


 見て見るが良い。


 先程横を通過した筆頭百人隊長プリムス・ピルス率いる敵軍最右翼を。


 彼はこの混沌とした戦場にも関わらず冷静沈着。


 フレルバータルに対する爆発的な憎悪を内に秘めたまま、手近な軽装歩兵もろとも、本陣の方へと撤退を始めている。


 彼には二つの選択肢があった。


 一つは、このまま前進を続け、前面に展開するリヴィディア豪族達を鎧袖一触がいしゅういっしょくの内に粉砕。その後反転し、ベルガモン軍の側面より攻撃を仕掛ける事。


 そして、もう一つは、掌握できるだけの兵を集め、本陣に急行し指揮官を守る事。


 指揮系統が乱れ、上位者からの命令が届かぬ中、彼はその決断を迫られたのだ。


 彼の率いる精鋭兵五百第一大隊。その戦力があれば、間違い無く全面の敵を粉砕する事が出来ただろう。彼にはその自信も自負もあったに違いない。


 しかし、彼は見てしまった。ボルド率いる騎馬軍団の攻撃力を、そして、フレルバータル率いる軍団の恐ろしさを。


 彼はその時点で決断したのだ。


 敵を一人でも多く道連れにする戦いでは無く、味方を一人でも多く生還させる為の戦いに。


 そう、この段階で彼は、既に『撤退戦』を開始していたのである。


 無能な指揮官ほど『一人でも多くの敵を道連れに』と言う判断をしがちだ。


 いや、それは判断したのでは無く、途中何度もあった判断ポイントを全て見過ごし、最終的にそれ以外の選択肢が無くなってから気付くと言う、指揮官の怠惰に帰結する結果論でしか無い。


 有能な指揮官であればこそ、自軍にまだ余裕のある段階で、己が闘争への欲求と誇りプライドを抑え込み、『勇気ある撤退』の判断を下す事が出来るのであろう。


 そんな有能な指揮官も無く、指揮命令系統の乱れた帝国軍中央部隊。


 フレルバータルは、いっそこのまま敵中央部隊の後方に居座り、ベルガモン軍と挟撃する事で、敵中央軍を殲滅してしまおうかとも考えた。


 しかし、フレルバータルにも不安要素があったのである。


 一つは、リヴィディア伯の軍勢。


 先程は『こけおどしの軍』と切り捨ててはみたものの、何と言っても五百の兵である。


 場合によっては、戦況を覆す切っ掛けとなる可能性もある。


 もう一つは、帝国軍の後詰めである一個大隊。


 この軍も侮れない。フレルバータルの放ったを全滅させ、いまだの目にも触れぬまま、どこかに潜んでいると思われる。


 不気味だ。不気味すぎる。


 フレルバータルは、自身は遊軍として戦場を駆け巡り、即応体制を維持する事が得策であると判断。


 そのまま帝国軍左翼の方へと軍団を移動させたのである。


 そして、ベルガモン軍右翼。


 そこでは、帝国軍の第四大隊との間で、不毛な睨み合いが続いていたのである。


 元々参戦に消極的なリヴィディア豪族達。しかも敵の第四大隊の方も、新たに加わって来るリヴィディア城兵との挟撃を考慮し、タイミングを合わせていたのであろう。


 ちょうど時を同じくして、戦場で邂逅する結果となった四軍団。


 それは偶然による運命の悪戯いたずらか、それとも必然の成せる技か。


 そこで彼らは驚くべき事象を目にする事となる。


 それは、リヴィディア城側から来た兵士達が、フレルバータルの黒い旗を見た途端、俄然速度を上げて突撃を開始したのである。


 しかも、あろうことか、その矛先にあるのは、帝国軍第四大隊。


 帝国軍は完全に無防備な左側面を急襲され、瞬く間に近接する百人隊が崩壊。


 そればかりか、パニックに追い言った兵士達が、隣の部隊へと乱入した事により、一瞬の内に軍団全体が制御不能の状態へと陥ったのだ。


 こうなってしまっては、組織的な反撃など望むべくも無い。


 後は、リヴィディア豪族混成軍、リヴィディア城兵、フレルバータルの弓騎兵、三者による徹底した殲滅戦となってしまったのである。


 しかも、勝ち戦とは何と人を惑わす物なのだろうか。


 あれだけ戦闘に消極的であったリヴィディア豪族混成軍は、第四軍団を粉砕した勢いをそのままに、敵中央軍の左翼へと攻撃を開始したのである。


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 こうなってしまっては、早くもフレルバータルの出番は無い。


 完全な包囲網が完成した敵中央軍。


 引き網の中で暴れる魚等しく、後はただ、ひたすら打ち取られて行くのを待つばかりの状態だ。


 ただ、パニックに陥った敵軍の凄惨せいさんな事と言ったらこの上無い。


 軍の中央付近では逃げ惑う兵達により、圧死するもの数知れず。中には上官を殺してその首を掲げ、降伏を願い出る者まで現れる始末。


 後は、歩兵を統括するエルヴァインに任せればよい。


 フレルバータルはそう判断し、その目標を敵本陣へと向けたのである。


 馬防柵に囲まれた帝国軍本陣。


 そこには、案の定とでも言うべきだろうか。


 いつの間にか、先程撤退を始めていた敵軍歩兵が中心となり、確固たる防御陣地が築かれていたのである。


 円陣を組み、ハリネズミの様に長い槍を突き出した形で構える、帝国軍の真骨頂とも言うべきファランクス。


 この短い間によくもここまで組み上げたものである。


 残念ながら、こうなってしまっては、騎馬隊であるフレルバータルに出来る事は殆ど無い。


 試しに少し仕掛けては見たものの、騎馬隊が放つ矢は全て重厚な帝国軍の盾に阻まれ、全く効果を発揮しない。逆に敵方の軽装歩兵の放つ投槍ピルムが軍団兵に命中。巻き添えを食らった兵が何人か落馬するなど、これでは全く割に合わない。


 フレルバータルはこれ以上近付くのを諦め、遠巻きで本陣を周回する事に。


 やがて、帝国軍騎馬部隊の残存兵が集結したかと思うと、タイミングを見計らい、北西の方角へと離脱を開始したのである。


 恐らく指揮官を逃がしに掛かったのであろう。


 ようやくその時点で、ボルドの方も合流して来た。



「銀狼、申し訳ございません。思いのほか敵軽装歩兵がやっかいでして、馬防柵を突破するのに時間が掛かってしまいました。残念ながら四十騎程被害が出ています。ただ、死者では無く殆どが負傷による戦線離脱です」



 申し訳無さそうに、そう復命するボルド。



「気にするなボルド。俺もあの歩兵にひと当て入れてみたが、手痛いしっぺ返しを食らった所だ。やはり騎馬では重装歩兵を崩す事は難しい。今後何か方策を考えねばならんな。まぁ、そう言う意味では、今回は良い経験になった。父上の申される通り、帝国の重装歩兵を侮ってはならんと言う事だな。はっはっはっは」



 未だ戦闘は継続しているにも関わらず、フレルバータルは一人可笑しそうに高笑いをして見せる。



「見よ、ボルド。敵本陣の歩兵どもがハリネズミの状態で撤退しようとしておる。恐らく先に戦線を離脱した騎馬隊の中に、敵の指揮官が混じっていたのであろう。折角だ、ボルド。追撃してその首を持ち帰って来い。但し……分かっているな?」



 そう言いつつ、ボルドの目を見つめるフレルバータル。



「承知しております。深追いは決して。兵の損耗は最小限とし、敵軍の逃走先を確認できれば、早々に帰還致します」



「うむ。分かっているなら問題無い。行け、ボルド。俺はこれから行かねばならん。帰参する場合は、城の方へ戻って来い」



「はっ、承知致しました!」



 ボルドはそう返事をすると、軍団兵を引き連れて追撃戦へと向かって行った。


 その姿を目で追うフレルバータル。


 やがて彼は、背後に控える軍団に向けて指示を出した。



「俺達の戦はここまでだっ! まずは負傷者の手当、及び死者の捜索と埋葬を優先せよっ! その後は日没まで自由だ。鹵獲品は全てリヴィディア城へと運び込め。それから、あまり重たい物は持ってくるなよぉ!国へ持ち帰るのが面倒だからなぁっ!」



「「ウォォォ!」」



 兵士達は勝鬨かちどきとも、承諾の返事とも取れる叫び声を上げながら、四方へと散って行った。


 兵士達の戦闘は終わった。


 しかし、フレルバータルの戦いは、まだ残されていたのである。


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