第275話 幼い日の記憶

「はっはっは! ボルドのヤツ、やるなぁ!」



 騎馬の上へと立ち上がり、片手で日差しを遮りながら、副官ボルド率いる騎馬軍団の活躍を眺めるその青年。


 なんだったら、遥か遠くで戦う騎馬隊に向けて、大きく手を振ってみせるなど、お茶目な一面も披露してみせる。



「いやぁイカン、いかん。このままでは、ボルドに良い所を全て持って行かれてしまうぞぉ! よぉぉし! 待たせたなぁ、ようやく俺達の出番だっ! ヤツらに恨みは無いが、この銀狼の旗に弓引く者は、それなりのむくいを受けねばならん。そうだろう? お前達っ!」



「「オォ!」」 「「そうだ、そうだっ!」」



 これから戦場いくさばにその身を投じようと言うのに、一様に笑顔で答える兵士達。


 彼らは、恐怖やおそれとは無縁むえんなのであろうか?


 いや、もちろんそんな事は無い。


 彼らの殆どは、二十歳前後の若者で構成され、中には今回の戦場が初陣と言う者までいる。


 恐らくその内に秘めたる思いは、複雑なものがあるに違いない。


 ただ、どうしてなのかはわからない。


 このフレルバータルと言う、特異な青年に付いてさえ行けば、それらの恐怖や畏れすらも忘れさせてくれる。そんな魅惑的な何かが感じられるのだ。


 それは、若さ故の経験不足から来る無知なのか、それとも、フレルバータルの天性の才能カリスマ性に惹かれ、その背中に見える未来に心酔している所為なのか?


 それは誰にも分らない。


 ただ一つだけ確かな事がある。


 それは、ここにいる銀狼のメンバー全員、彼の為にその命を投げ出しても惜しくない、と心底感じている点だろう。


 死を恐れぬ軍団。


 その軍団がもたらす恐怖とは、敵となった者が味わう事のできる、究極の感情に違いない。



「よし! 今日のには、昨日捕まえた女の中から、好きなヤツをくれてやるっ!」



「「ウオォォォ!」」



 軍団内に一段と高い歓声が沸き起こる。


 しかし、それに異を唱える声が。



「銀狼っ! フレルバータルッ! アタシ、女は要らないんだけど!」



「「ダハハハハハ!」」



 その突飛な発言に、軍団内は大爆笑だ。


 声の主は、まだうら若き女性。


 そう、軍団の中には、かなりの数の女性が含まれているのだ。


 かなりの数と言っても、せいぜい全体数の一割程度ではあるが。


 フレルバータルは、やる気と技能さえあれば、性別は全く頓着とんちゃくしない。


 しかも、軍団内での恋愛、性交、全て自由だ。


 軍団のおきて唯一ただひとつ、『フレルバータルの命令に従うこと』ただそれだけなのである。



「誰だ? あぁ、アマラか。なんだ、女は要らんか? それでは男の方が良いのか?」



「男の方も間に合ってるよ。見渡せば男ばっかりだからね。まぁ、フレルバータルがアタシの物になるって言うなら、それでも構わないけど!」



 フレルバータルの直轄軍に名を連ねると言う事は、それなりの実力を持った女性なのだろう。


 ただ、それでも下っ端らしい。その甲高い声は最後列の方から聞こえて来る。



「そうだなぁ、よし。お前だけ特別だ。お前がトップになったなら、一晩だけお前の男になってやろう。それに、鹵獲品の中から、お前が一番に欲しい物を選んでも良いとしよう!」



「やったー! フレルバータル、約束だからねっ、ちゃんと子種ももらうからねっ!」



「はっはっは! 子種をやるかどうかは、お前の努力次第だ」



「「ブーブー」」「フレルバータルは女に優しすぎるぞ!」「「そうだ、そうだぁ!」」



 二人の会話を聞いていた兵士達からクレームの声が。


 何しろ軍団の先頭と最後尾での会話である、軍団内の全員が聞いていたのだ。


 そんな下っ端だけが優遇されるなど、他の兵士達が黙ってはいない。


 もちろん冗談の範疇ではあるけれど。



「そうかぁ。それでは、トップには、女に加えて、アマラ同様、鹵獲品の中から一番に欲しい物を選ぶ権利を与えよう!」



「「ウォォォォ!」」 「そうこなくっちゃ、さすが銀狼っ!」



 その発言に、更にテンションの上がる兵士達。


 これは、フレルバータルが決めたルールで、略奪した鹵獲品は、一旦フレルバータルの前に全て集められ、一番最初にフレルバータルが欲しい物を取り、その後、貢献度の高い兵士から順番に宝を取って行くのである。


 ただ、それでは余りにもフレルバータルが横暴過ぎないか? と思われる人が居るかもしれない。


 しかし、兵士達は知っている。


 フレルバータルが最初に選ぶ宝は、その殆ど全てが戦死した兵士達の家族の元へ届けられていると言う事を。


 彼らはまだ若い。しかし、故郷や村には年老いた父母や、兄弟が残されているのだ。


 貴重な働き手を奪われた村落では、フレルバータルに対して、悲しみ以上の感情が芽生えるであろう事は想像に難くない。


 フレルバータルがそこまでを見通して宝を配分しているのか、それとも単に死者への慰めの気持ちなのかは定かでは無い。


 ただ、少なくとも、フレルバータルの事を畏れる村人達も、決して彼の事を悪く言う者はいないと言う事だけは付け加えておこう。



「ただーしっ!」



「……」



 歓声を遮るフレルバータルの声。


 その言葉の後には、一体どの様な条件が加えられると言うのか? 軍団内に緊張が走る。



「ビリのヤツには、一週間の『肥え汲み係り』を命じるからなっ!」



「「うえぇぇぇ、マジかぁ!」」



 本気で嫌そうな兵士達の声。


 時代はどれだけ移り変わろうとも、便所掃除だけはやりたくないのが、世の常。



「そしたら、銀狼がビリだったら、『肥え汲み係り』をヤルのか?」



「当たり前だ。俺はウソは言わん。お前達、せいぜい頑張って、俺を『肥え汲み係り』にして見せろっ!」


「それでは、無駄口はここまでだぁ、行くぞぉぉ! ハイヤァッ!」



「「ウォォォォ! ウォララララララ!」」



 満を持して躍動やくどうを開始する、死の軍団。


 フレルバータルを筆頭に、五百の精鋭たちが大地を蹴り、戦場を駆け抜ける様は、ボルド率いる騎馬軍団のそれを軽く凌駕する迫力だ。


 そんな精鋭軍が最初に目指したのは、旋回中の敵右翼軍と、中央軍の狭間はざま


 本来であれば、隙間すきまなく組み上げられる密集陣形ファランクスに、騎馬軍団は手も足も出ない所である。


 しかし、どう言う理由かは分からない。


 とにかく敵右翼が急に旋回を開始。そのおかげで、敵右翼軍と、中央軍の間に隙間が出来上がったのだ。


 もちろん、それを見逃すフレルバータルでは無い。


 単純に考えれば、先行したボルドの軍に思わず釣られ、ファランクスの方向を変えた、と考えられるのだが、本当にそんな馬鹿な事をするものだろうか?



 密集陣形ファランクスは文字通り兵士達が密集する事で、その防御力と攻撃力を最大化する陣形である。


 しかしながら、その強力な攻撃力を得る為、機動性を完全に犠牲にしているのが実情だ。


 しかも、ファランクスの攻撃範囲は前面のみ。側面及び背面に対する備えは、ほぼ皆無と言って良い。


 だからこそ、重装歩兵の特徴を知る軍団長指揮官は、相手方に回り込まれない様、ひたすら横に長い陣を引き、更には余計なすきを作らぬ様、愚直に前進するスタイルを崩そうとはしないのである。



「右側面、敵中央軍手前に集中っ! 左側面は防御に徹せよ!」



 ボルド同様、手信号により後続の部隊へ指示を出すフレルバータル。


 そのまま速度を落とさず、敵軍の中央へとその巨大な軍団を捻じ込んで行く。


 フレルバータルは知っていた。


 帝国軍の最右翼には筆頭百人隊長プリムス・ピルスと呼ばれる強者つわものが配置され、軍全体を統括していると言う事を。そして、その敵は決して侮ってはいけないと言う事も。


 高速で敵軍の前を通過するフレルバータル。


 彼は敵軍最右翼のそのまた奥。さも苦々し気な表情で、自分の事を睨み付ける男の存在を視認していた。


 その男は、正対するリヴィディア混成軍の士気が低い事を確認すると、自分の兵をまとめ、撤退の準備を始めている様に見える。


 分かる。フレルバータルには分る。


 この男は、この前線にいながら、戦場全体を把握しているに違いない。


 恐らく意にそぐわぬ命令だったのだろう。


 それでもその男は、命令に従い、一分のすきを見せる事すら無く、なんと敵全面で旋回を成し遂げて見せたのだ。


 その一事をもってしても、手強てごわい男であると思う。


 ただ、どこの馬の骨とも分からぬ間抜け上官が発した誤った命令のおかげで、中央軍と右翼軍の間に隙間すきまを作ってしまった。


 恐らくあの男は、こうなるであろう事は、既に予想していたのだろう。


 唇を噛み、あまりの悔しさに血涙を流さんばかりの視線が、それを明確に物語っている。


 だからこそ、あの男は俺達に攻撃を仕掛けては来ない。絶対に。


 なぜなら、あの男には、守らなければいけないが居るのだ。


 間違いない。あの男の行動がそれを如実にょじつに表している。


 多少の牽制けんせいは受けるだろう。


 しかし、防御を固めた我が軍の左側面であれば、無傷で通過できるはずだ。


 フレルバータルは自身の右側面へと注意を向ける。


 そこには、敵中央軍の無防備な側面が。


 恐らく中央軍を統括する百人隊長なのだろう。突然割り込んで来たフレルバータルの軍を見て、驚愕の表情を浮かべている。



「ふぅ……コイツはダメだな」



 先程の男とは比べ物にならない。どうやら、この軍団で使えるヤツは、先程の男、ただ一人だと思われる。


 フレルバータルは馬上から大きく弓を引き絞ると、その男に目掛けて矢を放った。



 ――ビシッ!



 その矢は、男の右頬に突き刺さると、そのまま左顎へと貫通。更には、鎖帷子で守られているはずの肩口へ突き刺さる事で、ようやく停止する。


 男は即死は免れたものの、果たしてそれが良かったのか、悪かったのか。



「チッ、少し外したか。逆手ではイマイチ精度が上がらん」



 フレルバータルはそう愚痴りながらも、第二、第三の矢を射込みつつ、騎馬を更に加速させて行く。


 そう、フレルバータル率いる騎馬部隊の最大の特徴。


 それは、騎馬の上からでも自在に弓を放つ事が出来る、弓騎兵であると言う点だ。


 弓は当然両手で使わねばならない。


 その為、彼らは両足の締め具合だけで、自身の意思を馬へと伝達。思い通りに馬を操る事が出来るのである。


 まさに子供の頃から馬とたわむれ、家族同然に暮らして来た、草原の民だからこその芸当と言えよう。



「……ふふっ」



 わずか三矢で敵兵三名を射殺すと言う、冷静沈着な殺人マシーンと化したフレルバータル。


 にも関わらず、思わず漏らした笑顔。



「そう言えば、いつも母上には、逆手の弓を練習しろと言われていたなぁ……」



 それは、幼い日の記憶。


 いつも、どんな時にも優しい母が、これだけは厳しくしつけられた事を思い出したのだ。


 一時の感傷に浸りつつ、彼とその軍団は次なる獲物を求め、力強く戦場を駆け抜けて行くのであった。

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