第266話 帝国軍布陣
『壮観ですなぁ、
リヴィディア領の中央に位置するオルガニ平原。
本来であれば、一面に麦畑が広がる牧歌的な場所のはずなのだが、今日ばかりは勝手が違う。
冬小麦が刈り取られたばかりの肥沃な大地は、厳つい兵士達の軍靴に踏みにじられ、場所によっては無骨な馬防柵が延々と建てられている始末。
もし農民たちがこの光景を目の当たりにしたならば、来年の収穫は、ほぼ絶望的であると、大いに
そんな農民たちの気持ちなど、露ほども気に掛ける事無く、自身の率いる兵士達の隊列を、ただ『壮観』の一言で片付けられるこの男。
果たして大局を
『グラフコス准将。貴殿は軍艦としての
歳の頃は二十代半ば、壮年と言うには少し
自然と
彼こそが、この二個連隊を統括する
メリシア伯爵家の
父親だけでなく、自身も子爵の位を持つ正真正銘の貴族で、帝国軍にも所属する彼は、この歳で帝国軍中将を任じられているのである。
『あぁいや、今回が二度目ではありますが、以前は確か……ベルヘルムとの国境沿いでの小競り合いでしたからなぁ。そう言う意味ですと、連隊規模の会戦は、これが初めてとなりますかな』
一方、オデッセアスに話し掛けて来たこの男。
グラフコス子爵。帝国軍の中での位は准将で、今回の遠征に際し、軍監としての役割を与えられていた。
彼は、伯爵位を持つ帝国元老院議員の息子で、彼自身は儀礼称号として子爵を名乗っているのである。
実は、このオデッセアスとグラフコス。
二人とも、帝国士官学校の同窓であり、アエティオスとも顔見知りの
これまで主だった軍歴は無いものの、父親の元老院議員のゴリ押しで、気付けば准将の位を手に入れていた、と言ういわくつきの人物である。
兵士達の間では、今回の軍監の地位も、父親が金で買って与えた役職なのでは? との噂が飛び交っていた。
『そうか。連隊規模は初めてか』
八名から十名で構成される縦一列の十人隊。
それを十列並べる事で、百人小隊の方陣を形成。
彼らの正面には、この方陣が実に二十個、横一列に展開されているのである。
その横幅はおよそ三百メートル。
重装歩兵と軽装歩兵の混合ではあるものの、およそ二千の正規軍が整列する姿は、確かに一言で言い表すとするならば、『壮観』であると言えるだろう。
その後方、彼らと前衛の間には、予備兵力として二個中隊四百名の軽装歩兵が布陣。
両翼には
ちなみに
『はっ。それ故、お恥ずかしい話、多少緊張していると言うのが本音でしてな。はっはっはっ。それでは
『うむ。許可しよう。ただ、貴殿には参謀として、本陣にて助言いただかなくてはならぬからな。早々、戻られる様に』
『はっ、承知しております。それでは、後ほど』
グラフコスはそれだけを言い残すと、馬腹を蹴り、前衛の一団へと向かって走り去って行った。
その様子を見送っていたオデッセアスの元へ、静かに馬首を寄せて来る者が。
『閣下。今回はグラフコス准将の助言を取り入れ、会戦の運びとなりましたが、いま少しアエティオス准将の到着を待ち合わせた方が良かったのでは?』
そう話すのは、彼の副官であるランブロス少佐である。
『うむ。確かに今回の件はアエティオスに悪い事をした。この埋め合わせは何か考えてやらねばなるまいな』
『閣下、その事も重要ではございますが、何やら、嫌な予感が致します。元々、功を焦るグラフコス准将が、早期会戦を望んだと言うのが事の始まり。准将の口車に乗ったが為に、閣下の輝かしい軍歴に傷を付ける事にならないかと……』
遠くに見えるグラフコス准将の背中を、
『まぁ、そう言うな、ランブロス。それでも彼は士官学校時代の旧友だ。彼には彼なりの考えもあろう。しかもだ。准将の助言を取り入れ、会戦の場所としてこの、このオルガニ平原を指定した所、二つ返事で了承するとの返事が返って来た。何しろここは、リヴィディア城から目と鼻の先。戦の流れによっては、城内に待機しているリヴィディア伯爵軍、五百の参戦も期待できる。間違いなく我が方に有利な場所だ』
もともと、オルガニ平原の中央に建てられた
恐らく城壁からは、この会戦の状況が手に取る様に分る事だろう。
また、元々リヴィディア伯爵の直衛兵は、およそ一千。
ただ、その半数は、領内維持の為に城外に出ており、ベルガモン軍侵攻の際、城内に居たのは凡そ五百の手勢のみだったのである。
領土の大きさからすると、この一千の手勢では少ない様にも感じられるが、本来有事の際には、リヴィディア領内に地盤を持つ豪族たちが、自ら手勢を引き連れ、馳せ参じる約束になっていたのでる。
さすがに今回は、ベルガモン側の進軍速度が想定を大幅に上回ってしまった為、手勢を参集させる事も出来ずに、早々の内に籠城となってしまったのが実情の様だ。
『まぁ、確かに会戦場所は我が方に有利では御座いますが……』
『何だ、まだ不安があるのか? 心配性だなランブロスは』
『いえ、閣下。大体、臆病風に吹かれ、一戦も交える事無く籠城を決め込むリヴィディア伯が、果して参戦致しましょうや? それに、もうすぐ太陽も中天だと言うのに、敵方のこの集まり具合。何か裏があるのでは……』
確かに、利に
戦いも終盤。既に
『まぁ、リヴィディア伯に参戦されても、かえって邪魔になるだけだろう。彼らには、せいぜい戦場の後片付けをお願いする事にしよう』
そう言いながら、ブロンドの髪を優雅にかき上げるオデッセアス。
元々天然な彼の事である。今の言葉も決して嫌みでは無く、本心からそう思っているに違いない。
まぁ、それはそれで、いかがなものか? とは思うのだが。
『ただ、確かにお前の言う通り、敵の集まりが遅いな。何か良からぬ事を企んでいるのかもしれん。ランブロス、騎兵の中から、手頃な者たちを選んで、斥候として走らせろ』
『はっ、承知致しました』
的確な指示である。
オデッセアスは決して凡庸な指揮官では無いのだ。
それでも、あえて小物であるグラフコスの助言を取り入れるのは、オデッセアスの優しさ故の行動なのだろう。
『まぁ、敵が何を考えようと、我が軍は王道の戦をするだけだ。恐れる事は無い』
そう言いつつ、自軍前衛の更にその向こう。
敵方の前衛として、ようやく集合を始めた敵兵を見つめるオデッセアス。
彼の表情には一転の曇りも見受けられない。
恐らく自軍の強さと、その手に掴むであろう輝かしい勝利を、
しかし、その晴れ晴れしい程の横顔を眺めるランブロスは、心の片隅にある一抹の不安を、どうしても拭い去る事が出来ないでいた。
幼少の頃より彼に仕えるランブロス。
聡明で、いつも公明正大な彼は、ランブロスの憧れの人物であった。
ただ、
いや、オデッセアスには、市井の民を照らす太陽であってくれればそれで良い。
彼が照らし出す事のできない『影』の部分。
その闇に
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