第267話 開戦前の儀式
『まだお待ちになるのですか? オデッセアス閣下』
馬首を近づけながら、そう話し掛けて来たのは副官のランブロスだ。
一触即発の緊張感が漂う、オルガニ平原の会戦場。
太陽は既に中天へと差し掛かり、初夏とは思えぬ強い日差しが照り付ける中、兵士達は頬を伝う汗をぬぐいもせず、ただひたすら、突撃の号令が下るのを待ちわびていた。
そんな戦場の中央付近。
帝国軍側から少し突出する形で
その中でもひと際大きな白馬に
その右隣には、軍艦であるグラフコス准将が、更に左隣には、副官であるランブロス少佐が控えていた。
『あぁ構わぬ。エルヴァインとは過去にも何度か会った事があるが、下手な小細工をする様な男では無かったはずだ』
古来より会戦と言うものは、まず
この時代、戦争とは言っても正式な会戦の場合は、大人数で行う
当然、軍団を代表する者たちが
相手に対して失礼であるのはもちろんの事、自身の
ただ、最近ではこれらの儀礼・儀式を行わず、いきなり戦争が始まる例も少なく無い。
それは、戦う相手が帝国領の近辺から、遠い異国を相手にした戦争へと拡大して行くに伴い、それぞれの国の風習や、信奉する神が異なる事で、これまでの常識が通用しなくなっていると言うのが正直な所なのだろう。
中には開戦前にも関わらず、いきなり代表者に対して弓を射かけて来た、と言う事件も実際に起きている。
特に今回、表立った体裁としては会戦の形式を
元々心配性のランブロス少佐としては、既に開戦の時刻が過ぎているにも関わらず、姿を見せぬベルガモン代表者に対しての怒り以上に、
……更にそこから十五分が経過。
オデッセアス達がこの場所に到着してから、既に三十分近くの
ようやく敵軍の前衛に動きが。
後方から来た誰かに道を譲るべく、居並ぶ兵士達が左右へ展開を始めると、その兵士達の隙間から二頭の馬が飛び出して来たのだ。
一人は鈍色に輝く鎖帷子を身に着け、南国風の馬の毛があしらわれた兜をかぶる偉丈夫。
そしてもう一人は、鎧や兜は身に付けず、膝丈ほどもある明るい橙色のチュニックを身に纏う小柄な老人であった。
『待たせたな、帝国のオデッセアス』
偉丈夫が話し掛ける。
『あぁそうだなっ、ベルガモンのエルヴァイン。余りにも遅いので、我が軍勢に畏れをなし、早々に帰り支度を始めているのだと思っていたぞ』
オデッセアスは口角を上げ、半ば呆れた様に両手を広げて見せた。
『ふっ、言わせておくさ』
『ははっ。そうだな。さて、既に時間も無い事だ。早速、名乗りを上げさせてもらおうか』
『あぁ、構わん。始めてくれ』
オデッセアスは優雅に一つ頷くと、今度は戦場にいる兵士全員に届けとばかりに、大声を張り上げ始めた。
『我は、グラヴィア帝国中将、オデッセアス。
白馬の上から、敵兵全体を睥睨するオデッセアス。
その
『知らぬならば教えてやろうっ、俺はベルガモン王国大将のエルヴァイン。ベルガモン無敵軍団を率いる、総大将のエルヴァインである。横に控えるは、我が国の副宰相ゲオルグ。お前達に引導を渡す男の名だ、良く覚えておくが良いっ!』
オデッセアスに負けず劣らずの大音声だ。
通常最初に名乗りを上げるのは、
もちろん、作法としては、これで正しい。
ただ、この『代表者』と言うものは、双方同数の人数を立てる事が多い。しかし、今回三名の帝国側に対してベルガモン側は二名と一人少ない。単に会戦の受け手側として、『俺はお前達を見くびっているぞ!』と言うパフォーマンスであるとも受け取れなくは無いが……はたして。
『我が会戦の申し出に対し、逃げもせず、我が神軍の面前に集うとは、敵ながら
ここで一旦、息を整えるオデッセアス。
『それでは、改めて問おう、ベルガモンのエルヴァイン。なぜお前達は、無謀にも我が帝国へと矛を向ける。愚かにもその軽率な行動が、お前の祖国を破滅へと向かわせる第一歩になると、どうして気付かぬのか?』
『『『『ウォォォ!』』』』
オデッセアスの言葉を後押しする様に、帝国軍兵士達から地響きの様な歓声が沸き起こる。
そんな外野の声など全く意に介さず、少し芝居がかった様子で両手を広げ、困惑の表情を浮かべるエルヴァイン。
『仕方あるまい、分らぬのであれば教えてやろう。無知盲目である帝国のオデッセアス。沿海の小国が
『『『『ウォォォ!』』』』
今度は、ベルガモン軍の方から、先程の歓声を
そんな敵軍の兵士達を冷たい目で睨み付けるオデッセアス。
『笑止っ! 己が小さな野望達成の為に、農民たちが丹精込めた畑を荒し、無垢の民を傷つけ、ましてや神の名前を
『
『『ハイヤアッ!』』
エルヴァインの捨て台詞を切っ掛けに、両者、まるでタイミングを合わせたかの様に馬腹を蹴り、全速力で自陣に向かって駆け戻って行く。
――パカラッ、パカラッ、パカラッ、ヒヒィィン!
自陣の手前で突然手綱を引き、馬を急停止させるオデッセアス。
暴れる馬をいなしながらも、彼は再び大声を上げた。
『聞けぃ、我が帝国が誇る勇敢なる兵士たちよっ! 同胞たちが血をすすり、骨身を削りし築き上げたこの土地、この神聖なる領土を、東方未開の蛮族どもが土足で踏みにじろうとしている。今こそ諸君らの力と、信仰心が試される時であるっ! 立ち上がれっ、我が親愛なる兵士達よ。我らが土地を奪い返すのだっ! 身の程知らずの蛮族に、今こそ我が帝国の恐ろしさを思い知らせてくれようぞぉ!』
『『『『『ウォォォ!!』』』』』
オデッセアスの激励に、嵐の様な歓声が巻き起こる。
槍を突き上げ、盾を打ち鳴らし、兵士達の踏みしめる大地は、地鳴りの様な音を立てて揺れ動く。
『アレクシア神は我らと共にっ!』
『『『『我らと共にっ!』』』』
『神の御加護をっ!』
『『『『神の御加護をっ!』』』』
『進めぇぇぇぇ!』
――パォォォォ! パォォォォ! パォォォォ!
高らかと吹き鳴らされる重奏ホルンの響き。
『『『『『ウォォ、ウォォ、ウォォォ!!』』』』』
更にその響きを掻き消さんばかりの雄叫びが、兵士達の内臓を
正に
兵士達は自らの発する怒声と地響きに酔いしれ、半ば盲目的に敵陣へと進み始めた。
『……ランブロス』
『はっ』
ようやく本陣となる地点に到着し、改めて自軍の兵士達を見つめるオデッセアス。
彼は戦場へと目を向けたまま、
『リヴィディアが帝国に組み込まれたのは何年前だ?』
『第二次東部大遠征の頃ですから……およそ十年ほど前かと』
『十年か……』
自身の顎に手をやり、暫く思案に耽るオデッセアス。
それでも彼の思考はまとまらない。
『やはり腑に落ちんな、ランブロス。エルヴァインは、どうしてそんな古い話を持ち出してまで、帝国へ弓を引くのか?』
『さて、積年の恨みと言うヤツでしょうか』
『いや、あのエルヴァインが、そんな事で動くとは思えん。うぅぅむ。現在のベルガモン王は暗愚だとは聞いていたが……これほどとは思わなんだ。エルヴァインがあまりにも哀れ……』
何か特別な事情があるに違いない。そう思い定めたオデッセアス。
『よし、ランブロス。エルヴァインを生け捕りにせよ。その上で翻意させ、我が帝国に組み入れるのも一興』
『はっ、畏まりまして御座います』
『うむっ、任せたぞ』
即答するランブロスに対し、満足そうに頷くオデッセアス。
彼は、整然と前進を続ける二千の重装歩兵を見つめながら、自身の揺るぎない勝利を信じて疑わなかった。
……歴史上類を見ない会戦と言われる「オルガニ平原の戦い」。
こうして、その激戦の幕が切って落とされたのである。
◆◇◆◇◆◇
『遅かったな、エルヴァイン。待ちくたびれたぞ』
草原の民が好む
『遅かったとは何事だっ! お前がどうしても出て行かぬと駄々をこねるから、こんな事になったのでは無いかっ!』
怒りに任せて地団駄を踏むエルヴァイン。
青年は、そんな彼の様子をただ、ニヤニヤとした笑みを浮かべて見つめているだけで、未だ起き上がろうと言う
考えても見て欲しい。一国の大将軍を前にして、肘枕の状態で寝そべっているとは何たる不敬。
ただ、エルヴァインの方も今ではすっかり慣れて、怒るどころか、注意すらしなくなっている始末だ。
『よろしいでしょうか、
そんな二人の前に一人の若者が割り込んで来た。
『どうだ? 捕まえたか?』
『はっ。全部で八騎、内、二騎は生け捕りに致しました』
『そうか。数は合っていたか?』
『はい。生け捕りにした二騎に
そんな二人のやり取りを横で聞いていたエルヴァイン。
『フレルバータル、どう言う事だ?』
『いやなに、俺の
『ん?
『ははっ、気にするなエルヴァイン。お前は精々、俺の期待を裏切らない事だな』
青年はそう言いながら、もう一度敷物の上に寝そべると、大きな
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