第264話 侵略者側の思惑
「エミルハン様、早馬が到着致しました」
男は部屋の手前で
部屋の入り口にドアは無く、麻で作られたカーテンで仕切られているだけ。
麻で作られたカーテンと言っても、決して粗末な物では無い。
色とりどりの装飾が施された、手の込んだ一品である。
「うむ。入れ」
建物を構成する壁や床は、全て切り出した
そんな部屋の中央に置かれた机には、
「で、今度は何事だ。まさか悪い知らせではあるまいな?」
エミルハンと呼ばれた彼が、この部屋の主人なのだろう。
彼は部屋に入って来た男を一瞥すると、再び羊皮紙へと視線を戻す。
「残念ながら、私にはその判断はつきかねます。詳細はこちらに……」
その男は、
「うぅぅむ。ゲオルグからか。使者は何と申しておった?」
「はっ、どうも、帝国側から会戦の申し入れがあった
「何? 会戦とな。して、もちろん断ったのであろうな」
彼は、静かに
「なんとっ! またもやフレルバータルかっ。……あヤツめぇ……エルヴァインは一体何をしておる。あんな若造一人抑え込めんとは……」
一通り手紙を読み終えた彼は、羊皮紙を握りしめたまま、椅子の背もたれに全体重を預けると、苦々しげな表情で天を仰いだ。
「宰相閣下、如何致しましょう?」
その軽薄な質問に、ただでさえ不機嫌そうな彼の表情は、更に厳しさを増して行く。
「チッ! 今からでは早馬を飛ばしても、もう間に合わんっ。後はエルヴァインとゲオルグに任せるしかあるまいがっ!」
つい感情的になり、
「ふぅぅ。……もう良い、下がれ」
「はっ」
男が退出した後、エミルハンは頬杖を付きながら、窓の外に広がる平和な街並みへと目を向けた。
美しく豊かな国、ベルガモン王国。
北方大陸の高度な文明と、南方大陸の独特の文化が交わるこの国は、古来より交易の一大拠点として栄えて来た。
しかし、沿海地方の国々で構成された共和国が帝国を宣言して以降、強国であったエレトリアが帝国に併呑され、更には帝国とベルガモンとの間に広がる穀倉地帯、そこに古くから根付く豪族たちが、こぞって帝国へ恭順の意を示したことから、事態は一変する。
緩衝地帯を失ったベルガモンは、帝国の脅威を直接受ける立場へと
ベルガモンの宮廷内では、帝国に臣従し国の安定を図るべきであると主張する、宰相エミルハンを中心とした『宰相派』と呼ばれるグループと、ベルガモンの自主独立を主張する王妃ファディメとその取り巻きを中核とした『王妃派』と呼ばれるグループが、国の主導権を巡って、いつ終わるとも知れぬ政争を続けているのである。
彼は思う。
諸悪の根源は、王妃であるファディメだ。
彼女は、大国であるアウエルの姫であった。
いやいや、アウエルの王セメルケトは、後宮に星の数程の妾を抱えていると言うでは無いか。
その子供が一体何人いるのか想像すらできない。
大体、ファディメ自身がセメルケトの娘であると言う事すら、怪しいものである。
しかし、国の平和を願う先代のベルガモン王は、皇太子との結婚を強引に決めてしまったのである。
そして嫁いで来たのが、空恐ろしい程の美貌を持つ女、ファディメであった。
案の定、とでも言うべきだろうか……。
彼女の類まれなる美貌の
やがて、先代王が崩御され、その傾向はさらに拍車をかける事となる。
元々皇太子は人が良いだけの人物で、自分を含む家臣団がしっかりと王を支えさえすれば、特筆すべき事の無い凡庸な王の一人として、幸せな生涯を送る事が出来たはずだ。
しかし、今のベルガモンは、大国アウエルの
彼が
ベルガモンの男達は総じて堂々たる口髭を蓄えているのだが、最近その中に白い物が混じっているのを見つけ、驚愕した事が思い出される。
先代王には、ひとかたならぬ温情を掛けていただいた彼である。
この御恩は、この国を少しでも豊にする事でお返しを……いや、そうでは無い。
一日でも長くこの国を生きながらえさせ、先代王の血を引く次の皇太子へとお渡しする事こそが、彼に課せられた使命であると思い定めていた。
「……いや、これ以上愚痴をこぼしても
彼はそう独り言ちると、戦いの行方について思いを馳せる。
この戦いは、帝国側との同盟を模索している最中、エレトリアの重臣であるマロネイア伯爵から持ち掛けられた話であった。
日々
ベルガモンがリヴィディア領侵攻の口火を切る事で、マロネイア家のリヴィディア介入の口実を作る。その代償として、ベルガモン王国体勢の維持と、内戦発生時においては、『宰相派』支援の約束を取り付ける事に成功したのだ。
更に彼は二重、三重の謀略を施した。
まず手始めに、リヴィディア派兵の原案を、ファディメ王妃の一党へとリークしたのである。
元々ベルガモンの自主独立を主張するファディメ王妃は、仮想敵国である帝国への侵攻を大いに喜び、
流石のエミルハンもこれには驚いた。
民の事を思っての法案は、
これにより、もしリヴィディア侵攻自体が頓挫したとしても、ファディメ王妃を含む『王妃派』の一党に責任をなすりつければ良い。
また、成功した暁には、多少『王妃派』に塩を送る事にはなるが、それを上回る強い後ろ盾を彼は手に入れる事が出来るのだ。
どちらに転ぼうとも、エミルハンに損は無い。
次に手を付けたのが、兵の確保であった。
将来的な内戦を想定し、虎の子の私兵を投入する訳には行かない。
しかも、あれだけ積極的であったファディメ王妃すら、自身の手勢派遣を渋る有様であった。
そこで考え出したのが、蛮族であるラタニア人を仲間に引き込み、リヴィディア領へ攻め込ませると言う戦術である。
実は今年、リヴィディア領以東の地域は、干ばつの被害を受け作物が不作となっていた。
その結果、穀物相場が高騰し、十分な穀物を買い入れる事が出来なかったラタニア人
そんな中、宰相のエミルハンは、ラタニア人がベルガモン領内で略奪しない事を条件に、国内の通過を認める、と言う話を持ち掛けたのだ。
ラタニアは国では無く、ベルガモン王国より東に広がる草原地帯に、古くから住む民族の総称で、彼らはいくつかの部族に分かれ遊牧を
エミルハンが声を掛けたのは、数ある部族の中でも一、二を争う規模を持つ部族の族長であった。
当初族長は戦への参加を拒否していたのだが、そんな中、族長の息子であるフレルバータルが、『自分が行く』と名乗りを上げたのである。
このフレルバータル。
実はかなりの厄介者で、父親であるはずの族長すら、そのあまりの乱暴振りに嫌気が差し、二つ返事で彼の事を送り出す始末であった。
何はともあれ、ラタニア人の参戦を取り付けたエミルハン。
そして翌日……。
いざ部族の集落を出立しようとした際に、彼が目にしたものは、フレルバータル率いる
そのあまりの人数の少なさに、彼は大変失望したものである。
しかし、である。
集落からベルガモンへと戻る道すがら、フレルバータルは時折姿を消したかと思うと、またひょっこりと姿を現す事が何度もあった。
しかも、その度にどこからともなく、新たな騎馬兵が戦列に参集して来るのだ。
やがて草原を抜け、ベルガモンの国境に差し掛かる頃には、気付けばエミルハンの背後に、およそ一千を超える騎馬軍団が付き従っていたのである。
そんな彼らは、フレルバータルの事を
しかもその集団には、
それは、フレルバータルに従う兵士の殆どが、彼と同年代の若者たちであると言う事である。
後から聞いた話ではあるが、フレルバータルは、ラタニア人だけではなく、草原地帯に住む多くの遊牧民族の若者たちにカリスマ的な人気があり、数々の逸話を持つ伝説の人物であると言う事だ。
たしか、年齢は十八……であると聞いている。
まぁ、遊牧民の年齢ほどあてにならない物は無いのであるが、それにしてもこの若さで、伝説の人物とは、大きく出たものである。
フレルバータルを
しかし、リヴィディア侵攻後、約一週間。
彼は自身の認識の誤りを、大きく嘆く事となるのである。
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