第217話 ダニエラ編 Ⅱ

「あら、ダニーちゃん、お疲れ様ぁ。ちょうど良い所に帰って来たわねぇ。ばんご飯食べてくでしょぉ?」



 台所から、大きなおなべを持って現れたのは、美穂みほさん。


 皇子様だんなさまのおかあさま。



 次からは美穂みほさん……なんて、気軽に呼んではいけないのよね。


 これからは、『お様』って呼ばなくちゃいけないのかしら……。


 あらやだ、どうしましょ。


 まだ結婚式もあげていないのに、ちょっぴり気が早いかしら。


 あらやだ、あらやだ。


 ちょっと、どうしちゃったのかしら。私、緊張してきちゃったわ。



「あっ、はいっ……お様……」



 尻すぼみになる私の声。


 美穂さんは、私の後半の声が聞き取れなくて、ちょっと不思議そうなお顔をなされていたけれど。


 まだ大きな声でお呼びする程の勇気は無いの。


 えぇ、私にも心の準備が必要なのよ。そう、仕方の無い事なの。


 あぁ、神様、全能神様っ。


 私に……私に、美穂様の事を『お様』……と、呼ぶ勇気をお与え下さい。


 と、軽い充実感じゅうじつかんに包まれながら、神に祈りを捧げていた私は、突然、聞きなれない声を耳にしたのよ。



「あなたがダニエラさんですねっ。お帰りなさーい」



「あがっ! お帰りなさい……ってあなたっ!」



 続く言葉がでない。


 どうしてっ! どうして貴女あなたがそこに居るの?


 って言うより、どうして貴女あなたは、お様の後ろから、ベニズワイガニの乗ったお皿を持って現れるの?


 どう言う事なのっ?


 それに、そっちは台所でしょ?


 そこは、美穂様と、皇子様だんなさまのおよめさんしか入ってはいけない聖域サンクチュアリなのよっ?


 えぇ、アルちゃんは別よ。


 アル姉はとってもお料理が上手だし、彼女は『お手伝メイドいさん』枠だから良いの。


 でも、あなたは違うでしょ?


 それとも、貴女あなたも『お手伝メイドいさん』枠を狙ってるって事かしら?


 それならば、神殿のメイドとしてやとって差し上げてもよろしくってよ。



 ……あぁ、うそうそ。やっぱりウソ。前言撤回ぜんげんてっかい。今のナシ。



 やっぱり貴女あなたはダメよっ。


 えぇ、皇子様に平手打ちを食らわす様なやからは、神殿どころか、この家の敷居しきいまたぐ事すら許されないのよ。


 えぇ、神が許しても、私が許しませんからねっ!



「初めまして。わたくし大谷おおたに美沙みさと申します。こちらの慶太くんとは、させて頂いております。今後とも何卒宜しくお願い致します」



「おごっ! おおお、って、あなたっ?!」



 いけしゃあしゃあ!


 えぇ、そうよっ! いけしゃあしゃあと、言ってやがったわっ!


 って、あなたは私の策略さくりゃくで、わかれたはずでしょ?


 もう、彼女でもなんでも無いのよっ、えぇ、そうよ。あなたは今、元彼女モトカノなのよっ!


 つまり、現時点でははしていないの。分かってるのかしら? 貴女あなたは他人なのよ?


 他人のくせに、どうして我が家の神聖な台所で、ベニズワイガニを持っているの?


 どう言う事? どう言う事なのっ! もう、一体何が何やらっ!



「はい。お付き合いしてますっ!」



 うきー、もう一回、言ってやがったわっ。


 それになに? その屈託くったくの無い笑顔はっ!



「みみみ、美穂さん、これってどう言う?」



「あぁ、ダニーちゃん。どうやら、慶太のさんらしいわよぉ。可愛らしいわよねぇ。慶太も幸せ者だわぁ」



「えへへ。それほどでもぉ。あぁ、お様、そんな事、私がやりますからぁ。あっ、でも、こんなにお若くて、綺麗な方に、お様って言うのも失礼ですねぇ。……ふぅぅん。それじゃあ、美穂姉様みほねえさまで良いですかぁ?」



「あら、やだぁ! 美紗みさちゃん。分かってるわねぇ。もう、本当にカワイイわねぇ。このったら。ねぇ、ダニーちゃんも、そう思うでしょ?」



 あがっ!!


 やっ、らやれたっ!


 こっ、この、あざといっ! 正面きって、あざといっ!


 本意気ほんいきで演じ切ってるわっ。女優ねっ、女優なのねっ。


 しかも、私の分析通り、この短い時間で美穂様のを完全に見切っているわっ。



 ……恐るべし。



 恐れていた通りのおんな……大谷美紗。二十一歳。


 一体、何が彼女をそうさせたの?


 高校時代の不遇ふぐうの経験が? それとも、女子大生デビュー後のモテモテサークル活動が貴方あなた変貌へんぼうさせたとでも言うのかしらっ?


 それに、一瞬聞き逃してしまいそうだったけど、この短いワンセンテンスの中で、気付けば『お様』と言う呼び名を封じられてしまったわっ。


 あぁ、折角せっかく私が心から楽しみにしていた、『お様』と言う呼び方……。


 ここまで言われて、私から『お様』とは、とても呼ぶ事は出来ない。



 くーっ! 痛恨っ。



 さっき、もっと早くに、お様と呼んでおけばっ!


 やまれる。やまれるわぁっ!



 ……はっ! 待ちなさいっ。


 って事は、さっき、私が小さな声でお様と呼んでいたのを聞いていたのねっ! それで、その上で私の行動を封じて来た……。


 そう言う事? そう言う事なのねっ!


 こっ、これは……これは、私に対する『宣戦布告せんせんふこく



 なななっ! なんて事を!



 私に対して、頭脳戦ずのうせんを仕掛けて来るなんて。


 何て向こう見ず。何たる無謀むぼうっ!


 えぇ、分かったわ。


 そっちがその気なら、私にだって考えがあります。


 きっちり、かっちり受けて立つわよっ。


 あなたの事を正面から撃破げきはしてくれるわっ!

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