第206話 アレクシア神殿での密約

 ――カツーン……カツーン……カツーン



 大理石で造られた壮大な神殿にひびく靴音。


 既に日は傾き、天窓てんまどからのぞく空には、気の早い星々が、その美しさを競い合うかの様に光りかがやき始めた頃。


 神殿の中では、次第にその勢力を伸ばそうとするやみを打ち払うべく、幾多の篝火かがりび煌々こうこうかれ、そのたたずまいは、あるしゅ幻想的げんそうてき雰囲気ふんいきかもし出していた。


 やがて……。


 神殿の最奥にある重厚な扉が押し開かれると、そこからは、幾多の神官達にかしずかれた、一人のが現れる。


 彼は金糸銀糸きんしぎんしいろどられたシルクのトガを身にまとい、その頭上には神族を表す黄金の王冠ディアデーマが光り輝いていた。



 ――ダン、ダン、ジャキッ!



 彼が神殿の正面にしつらえられた玉座ぎょくざに到着すると、巨大な列柱横に整然せいぜん居並いなら衛士えいし達が皆、一斉にその手に持つやりを二回、地面に打ち付けた後で、高々と掲げて見せる。


 恐らくそれが、彼らの忠誠の証なのだろう。


 青年はその様子を横目で見ながらゆっくりと玉座に腰かける。そして、満足そうに一度だけ頷くと、右手を軽く水平に動かしたのだ。



 ――ジャキン!



 すると、衛士達は再び待機の姿勢に。


 やがてその青年は、椅子のひじ掛けに左手を乗せ、頬杖ほおづえをついたままの格好で話始めた。



「ようやく考え直してくれたのか?」



 整列する衛士達の中央。


 玉座の遥か手前で臣下の礼を取る一人の老人。


 しかし、彼はその問いに答える事無く、体を左右にすっている。



「ふふっ。其方そちの仲では無いか。片苦かたぐるしい儀礼などは不要だ。おもてを上げよ」



 そう優しく語りかける青年。


 しかし、その目には、ひと欠片かけらの笑みも含まれていない。


 一瞬の沈黙の後、ようやく話し始める老人。



「……様。お約束の件、たがき様にお願い申し上げまする」



 ただ、青年に促されたにも関わらず、いまうつむいたまま。



「ふん、分かっておるわ。例のエルフ娘の事であろう? 私の手に掛かれば造作ぞうさも無い事。それに……」



「いやいや、その件もさることながら、の件の方も何卒……」



 がまだ話している途中にも関わらず、彼の言葉をさえぎる様に話し始める老人。


 その、あまりにも不敬ふけいな態度に、神官達の間からも驚きの声が漏れる。


 しかし、その意図を理解した青年は、何やらあやしい笑みを浮かべてみせた。



「おぉ、そうであったな。心配するな。隷従れいじゅうを誓いさえすれば、お前の望むちからを授けよう」



 どうやらの方は、この老人の狼藉ろうぜきを全く気にしていない様だ。



「ははっ、ありがたき幸せ」



 老人は、更に深くこうべれる。



「剣聖ヴァシリオス殿が皇子様の旗下きかさんじたとあれば、既に目的は成就じょうじゅしたも同然でございますなぁ」



 玉座の横に居並ぶ神官の一人が、いやらしい笑みを浮かべながら、青年へと耳打ちする。



「アゲロスよ。其方そちの言う通りだ。もはや、わがさえぎるものは何もない。急ぎ手筈てはずを整えよ」



「ははっ。かしこまりましてございます。それでは早速領国りょうごくへ戻り、を進めさせて頂きます」



 神官アゲロスは深々と一礼をすると、再び他の神官達が居並いならぶ位置へ。


 そのは、未だ頬杖ほおずえをいついたままで、視線を老人ヴァシリオスへと向けた。



「それでは、ヴァシリオス。其方そちはこれからアゲロスと良く相談の上、遅滞ちたいなくを進めよ」



「御意。……それでは、マロネイア卿。以後、良しなにお引き回し下され」



 まずは玉座に座るに深くこうべれるヴァシリオス。


 次にその横に居並いならぶ神官達の方へ向きを変え、再び深々と頭を垂れた。



「ホッホッホ。何を申される、剣聖殿。同じ神を信奉しんぽうするもの同士、手を取り合おうでは御座ござらぬか」



「格別のご配慮、痛み入り申す」



「いやいや何の。今後、私の事は『アゲロス』とお呼び下され、剣聖殿」



 その優しげな微笑みには、聖職者としての人徳じんとくがこれでもかとあふれ出している。


 恐らくそれこそがアゲロスの武器なのであろう。


 この気性きしょうはげしいの元。


 何のかりなく、その地位を維持し続ける事のなんと難しい事か。



「いやいや、いくら剣聖と威張ってみても、所詮しょせんは一代限りの下級貴族。アゲロス殿と同列に語られては逆に肩身がせもうございます。それであれば、私の事は、ただヴァシリオスと呼び捨て下され」



「うむうむ、承知したぞ、承知した。それではヴァシリオス。共に、皇子様の為に働きましょうぞ」



「はっ、かしこまりましてございます」



 上辺うわべだけ。


 まさに三者三葉さんしゃさんよう思惑おもわくを持つ者達。


 たまたま、お互いの目的と方向性が合致しただけの集団ではある。


 がしかし、そんな事はみな、百も承知。


 逆に言えば、その目的と方向性が合致する限り、これ以上強い結びつきは無いのかもしれない。


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