幕間 師匠との再会

第197話 白銀の鎧を纏う兵士

 ――ザクッ……ザクッ……ザクッ



 寒風吹きすさぶ森の中。


 その兵士は一歩ずつ踏みしめる様に、雪道を進んで行く。


 元々温暖な地域ではあるのだけれど、この辺りは標高も高く、冬の間は雪で閉ざされている事が多い。


 ただ、今日は特別吹雪ふぶいている訳でも無く、どんよりとした厚い雲が空全体を覆っているだけで、歩く事に関して支障がある訳では無い。



 そして、兵士の後ろには大柄な馬が一頭だけ。


 荷物は全て馬が背負っているのであろう。


 兵士は何も持たず、両手でマントのフードを押えている状態だ。


 そんな兵士が唯一所持している物。


 それは、体格的にかなり不釣り合いとも思える大刀ロングソード一振ひとふりだけ。



 ――ザッ、ザッ、ザッ



 兵士の歩調が少し早くなる。


 どうやら目的の場所が見えて来た様だ。



 ◆◇◆◇◆◇



「……お師匠っ! お師匠様っ!」



 戸口の方から転げる様に駆け寄って来る少年。


 年の頃は十代半ばと言う所か。


 鼻筋の通った精悍せいかんな顔立ちに、恵まれた体格。


 それなりの衣装……そう、例えば帝国兵士の甲冑を身に着けて、『自分は十人隊長デクリオンだ』……と言えば、みなみな、信じ込んでしまう事だろう。



「……なんじゃ、騒々そうぞうしい」



 一方、少年から師匠と呼ばれたこの男。


 木製の大きな椅子に腰かけたまま、振り向く素振そぶりすら見せない。


 小さな暖炉の前に陣取り、何やら手元の羊皮紙を一心不乱に読みふけっている様子だ。



「こんな小さな『家』じゃ。大声出さんでも聞こえとるわい」



 その男は『家』……と言い張ってはいるが、実の所『小屋』と言う事すらはばかられる様なあばら家である。


 何しろ、天然石を積み上げただけの壁は、そこかしこから隙間風すきまかぜが吹き込み、暖炉に火をいているにも関わらず、外にいるよりは『マシ』と言う程度でしかない。



「……お師匠っ! 誰か来たっ! 誰か来たよっ!」



「少しは落ち着けストラトス。そう言う落ち着きの無い所がお前の……」



 ――バァンッ!



 師匠と呼ばれた男がまだ話し終わらぬ内に、突然入り口の扉が大きな音とともに開け放たれた。



 ――ビューウゥゥ!



 勢いよく寒風が部屋の中へと雪崩れ込んでくる。



 ――ジャリッ……ジャリッ



 そんな中、敷き詰められた砂を踏みしめ、フードを目深に被った兵士がゆっくりと部屋の中へ入って来たのだ。


 その兵士は開け放たれた扉を閉じようともせず、何やら引きずって来たを、いきなり部屋の中央へと放り投げた。



 ――ダァン



土産みやげだ。受け取れ……」



 呆気に取られ、空いた口がふさがらない少年。


 彼は、恐るおそる土産みやげと言われたに近付いてみると、それは大鹿の後ろ足、まるまる一本そのままであった。



「うぅぅわぁ。師匠っ! 鹿だっ! 鹿の足ですよぉこれ。久しぶりの生肉ですよぉぉ!」



 少し凍ってはいるものの、それは紛れもない鹿の生肉であった。


 春から夏、秋にかけては、森の恵みを十分に享受できる場所ではある。


 しかし、冬場はそうも行かない。


 結局は夏場に蓄えた食料をいつなぐしか方法が無いのである。


 既に冬は峠を越え、あとひと月、ふた月もすれば、春の足音が聞こえ始めるであろう季節である。


 だからこそ、蓄えた食料にも倦み、新鮮な食材に飢えている所であるとも言えた。



「表の馬の背にもう一本積んである。悪いが降ろしておいてくれ。それから、馬を小屋の方へ。できれば飼葉かいばと水も頼む」



 兵士はそれだけを少年に告げると、勝手に師匠と呼ばれる男の方へと近づいて行く。


 少年ストラトスはどうして良いかわからず、師匠と兵士、両方を交互に見つめるばかりだ。



「ふぅぅむ。珍しい事があるものよぉ……。おいっ、ストラトス。言われた通り、馬の背の荷物を降ろし、馬は馬小屋の方へと入れてやれ」



「はっ、はい。お師匠様」



 師匠にそう言われ、ようやく納得したのであろう。


 ストラトスは馬の荷物を降ろすべく、部屋の外へと駆け出して行った。


 そして、師匠と呼ばれた男の前まで来た兵士は、まるで臣下の礼をとるが如く、その男の前へとひざまずいたのである。



「お久しゅうございます。ヴァシリオス翁」



 師匠と呼ばれた男ヴァシリオスは、相好を崩しながら大きく頷いている。



「うむ、うむ。どうじゃ。息災か?」



「はい。エレトリアでは仲間にも恵まれ、無事暮らしております」



「そうか。それは良かった。どうじゃ、いい加減、その顔を見せてはくれんか」



 跪いてはいるものの、未だフードを目深に被ったままの兵士。


 本来の礼儀作法であれば、跪く前にフードなりコートなりは脱衣しておくのがマナーである。


 しかし、ヴァシリオスにそう促されたにも関わらず、一向に動こうとしない兵士。



 ヴァシリオスはゆっくり椅子から立ち上がると、兵士の方へと歩み寄る。


 そして、未だひざまずく兵士の前で片膝を付き、そっとそのフードへと手を伸ばした。



 ――パサッ



 ヴァシリオスが持ち上げたフードからは、栗色に輝く長い髪がこぼれ出す。


 そんなヴァシリオスを見上げる兵士の頬には、一条ひとすじの涙が伝っていた。



「うむ。立派になったのぉ。アルテミシア……」

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