第184話 TKO

「はあんっ! はっ、はっ、はっ、あぁっ!」



 俺が両腕に力を込めたその途端。


 彼女は軽く悲鳴の様な声を上げたかと思うと、小刻みにガクガクと震えだし、その痙攣は、足元から腰、背中、そして体全体へと広がって行く。



 はうはうはう! どうしたの? 何が起きたの? えぇ、俺、何かヤバい事した? えぇ、痛かったの? マジで痛かったの?



 次第に痙攣けいれんが激しくなる彼女。その後、今度は全身が硬直したかと思うと、る様に後ろへと倒れ始めてしまう。



 ダメダメダメッ! そんなにエビっちゃ! はわわわわっ!



 とにかく俺はちからずくで彼女を支える事しかできない。


 たまらず現場監督ディレクターの方へと視線を向ける俺。



 だけど、頼りの現場監督ディレクターすら、半ば茫然ぼうぜんと口を開いた状態のままで、固まっているじゃないか。



 あらららら。



 しかし、そこはプロフェッショナルな敏腕びんわん現場監督ディレクター


 俺の視線に気付いた途端、急に我に返って何やらスケッチブックに走り書きっ!



 『そのまま! そのまま!』



 って、何っ? 本当にこのままで良いの?!



 しかし、敏腕びんわん現場監督ディレクターの言う事は絶対だ。


 何しろ事の発端は、俺が『年長さんD』のカンペを無視し、アドリブでダニエラさんをきつく抱き締めてしまった点にある。



 本当にごめんなさい。もうアドリブはやりません。現場監督ディレクターの言う通りにしますっ!



 今更ながらに自分の未熟さを反省しつつ、心の中はダニエラさんと『年長さんD』への申し訳ない気持ちでいっぱいの俺。



「はあっ、はっはっはっあぁっ……!」



 そんなやり取りをしている間にも、ダニエラさんの呼吸は更に荒く激しくなって行く。



 はわはわはわっ! ダニエラさん、大丈夫? 本当に大丈夫?



 俺が心配のあまり、なおも痙攣するダニエラさんの顔を覗き込もうとしたその瞬間!



 ……



 ダニエラさんの痙攣がうその様に止まったんだ。



 急に静まり返る寝室。



 はわわわわ、きゅ、急に動きが止まったっ! けど、ダニエラさん生きてる? 大丈夫?! って言うか、ダニエラさん、顔まっ赤じゃん! 生きてはいそうだけど、本当に顔まっ赤じゃん!



 焦点の合わない瞳に、口元はなぜかパクパクと動いてる。


 しかも、金縛りに近い全身の硬直は未だに解けていない状態だ。



 ……あぁ、これはヤバい。


 何だかヤバい感じがする。嵐の前の静けさ……ってヤツ? なんだろう? 力を貯めこんでいるって言うか、噴火直前の火山みたいな? って、噴火直前の火山なんて見た事無いけど……。



 などと、言い知れぬ不安に俺自身がさいなまれ始めたその時っ!



「アッ! アァッ! ……アァァァ……」



 はうはうはう! ダニエラさんの絶叫が来るっ!



 全身に力を込めて、来るべき『絶叫』に身構える俺。



「……」



 ……って思ったら、あれ? 急に聞こえない。


 いやいやいや、ダニエラさんめっちゃ目の前で叫んでるよ? しかも、めっちゃ暴れてるよぉ! えぇ? 何ナニ? どういう事っ!



 確かに俺の腕の中で髪を振り乱し、何やら叫んでいる様子のダニエラさん。


 でもその声は全く聞こえて来ない。



 ……んんっ!? あぁっ!


 あまりの出来事に気が動転どうてんして気付かなかったけど、誰か俺の耳に指突っ込んでるぞっ!



 ダニエラさんはいまだ、何やら叫びながら激しく痙攣を繰り返している。


 そんな彼女を抱き締めながら、ゆっくり左後方を振り返って見る俺。


 するとそこには案の定、『年中さんAD』が、無表情のままにも関わらず頬を赤く染め、しっかりと俺の耳を塞いでいるじゃないか。



 ちょっと、ちょっとぉ! 聞こえないじゃん! ダニエラさん、何って言ってるか全然聞こえないじゃん!



 俺は最大限の不満な表情を作ってはみるものの、『年中さんAD』には全く効果なし。



「……」



 ――ピクン……ピクン



 そうこうしている内に、ダニエラさんの方も落ち着き始めた様だ。


 俺の腕の中で、小さく震えてはいるものの、既に力無く俺にしな垂れかかる彼女。



「はぁぁ、良かった。ダニエラさん大丈夫? 何かの発作が起きたのかと思って心配したよぉ」



 俺はそう言いながら、もう一度軽く抱き寄せてみる。


 すると。



 ――ビクンッ!



 特別大きな痙攣を一つ。



 はうはうはう! どうしたの? また始まるのぉ!



 俺は身構える様に、もう一度自分の腕に力を籠める。


 すると、俺の視界の端に何やら白い物が。



 えぇ? それって……



 俺は咄嗟に現場監督ディレクターへと視線を向けたんだ。


 すると、何処から持ち出したのか、彼女は白いタオルを俺に向かって投げつけようとしていたのさ。



「うっぷ!」



 しっかり顔面でそのタオルを受け止める俺。



 その後の手際てぎわは、鮮やかで速かった。


 どこからともなく伸びて来た四本の腕に全身を掴まれ、あれよあれよと言う間にダニエラさんから引き離されると、そのまま部屋の外へと運ばれて行く。



「なになに? どう言う事? えぇ? どう言う事?」



 俺を軽々と担ぐのはダニエラ親衛隊の一人だ。


 あぁ、もう一人いたなぁ、ダニエラさんよりデッカイ娘。この娘の名前も思い出せないから、『年少さんAD』でっか。


 そんな『年少さんAD』に軽々と担がれた俺は、『控えの間』にある長ソファーの上に、ゆっくりと降ろされたんだ。



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