第133話 主人の匙加減

「で? もう一回聞かせてもらおうか?」



 ランプの炎がゆらめき、部屋中に質の悪い魚油の臭いが充満する。


 ここは地下室なのだろうか?


 ほぼ『牢』と表現しても差し支えの無いその部屋では、椅子に縛り付けられた一人の男を屈強な数人の男達が取り囲んでいた。



「いや、だからよぉ、俺ぁ旦那ヨルギオス様から、あの女を好きにして良いから、その後でしろって言われただけなんだよぉ……」



 椅子に縛り付けられたその男のまぶたは赤黒く腫れ上がり、口元からは一条の血が流れているようだ。その所為だろうか、男のしゃべる言葉は非常に聞き取り辛い。



「それじゃぁ『殺し』の首謀者はヨルギオスだって言うんだな?」


「あぁ、そうだよ。俺ぁ、言われたからただけなんだ……だから……だから見逃してくれよぉ……」



 この状態に至る迄に、いったいどれだけ心を折られる様な仕打ちを受けていたのだろう。


 彼の言葉は助命を哀願する意図を通り越し、既に諦観の域に達している様にも見受けられた。



「そうかい。まぁ、事と次第によっちゃあ悪い様にはしねぇよ……で、おぇは例の鮮血帝あの人を見たってぇ訳じゃあ無いんだな?」



 毛むくじゃらの男が言う「悪い様にはしない……」と言う言葉の中に、僅かながら生存への希望を見出したのだろう。その男は痛む口内をも顧みず、急に早口で話始めたのだ。



「あぁ、俺が直接見た訳じゃねぇ。そのちまった女の話によるとよぉ、侯爵様の執務室の前に十年ぶりぐらいにふらりと現れたらしいぜ」


「でも、俺ぁ思ったね。こりゃあ、遂に『南征』が始まるんじゃねぇかってね」


「だって、考えても見ろよぉ。最近マロネイア様んトコじゃぁ、かなりの数の傭兵を抱え込んでるって話じゃねぇか。しかもだ、そこに来て帝国軍は南方大陸の港町ザパスに橋頭保を築いたって話だろ。こりゃ絶対に何かあるぜ!」


「『血の七年』といい、先の大戦といい。デカいいくさがある時は、必ず鮮血帝が現れて、このエレトリアを大勝利に導いてくれるんだっ!」



 喜々した表情で語るその男は、エレトリアの栄光と勝利を信じて疑わない。


 実際、これが一般市民の大方の意見なのだろう。


 確かに鮮血帝はエレトリアの民にこれまで見た事の無い様な『勝利』と、莫大な『富』をもたらしてくれた。



 しかし、しかしだ。その勝利と富の代償とは、一体何なのだろうか。



 その昔、エレトリアの街からは成人男性が消え、老人と女だけが残る街へと変貌した事がある。街中の活気は失われ、暗く重たい厭戦の気運が街を支配していた。


 更には、そこに残された戦争孤児たち……。


 女達は生きる為に体を売り、子供たちはストリートチルドレンとして徒党を組み、限られた食料を奪う為に殺し合う。……完全なる負の連鎖。



「おいっ、首筋を見せてみろ」



 毛むくじゃらの男は、無造作にその男の髪を掴むと、男の首ごと一気に背もたれの方へと押し倒した。



「あぁぁ、まだヨルギオスの奴隷痕が残ってやがんなぁ……」



 男の首筋に残る奴隷痕。そこにはしっかりとヨルギオスの名前が彫り込まれていた。



「ところでお前、一万クラン持ってるか?」



 毛むくじゃらの男は、その男の髪の毛を掴んだまま離さない。



「きゅっ! 急に何言い出すんだよ。俺がそんな金持ってる訳ねぇだろ? そんな金がありゃあ、奴隷になんてなってねぇって」



「まぁ、そうだわなぁ……」



 テオドロス毛むくじゃらの男は、ようやくその男の髪の毛から手を離すと、後ろで静かにその様子を見ていた男の方へと振り返った。



「おい、デメトリオス。もう良いか?」



「……あぁ、良いぜ」



 デメトリオスは隣に控えていたルーカスに向かって、部屋の外へと出る様に目配せする。


 そして、若頭エニアスが開けてくれた扉の横を通り抜けるルーカスとデメトリオス。


 最後に部屋を出るテオドロスは、扉の傍に立つ若頭エニアスへと言伝ことづてる。



「おい若頭エニアス、後は任せた。色々しゃべってくれたんだ。精々苦しくねぇ様に始末してやんな」



「へいっ」



 若頭エニアスと呼ばれた男は、深々とお辞儀をしたままの姿勢で、三人が退出して行くのを最後まで見送ってくれた。



「おおお、おいっ! 待てよっ! さっきは『悪い様にはしねぇ』って言ってたじゃねぇか。おいっ! 行くなよ! おい、話を聞けよっ!」



 ――ギィィィ……



 古く建付けの悪い扉が、もの悲しい響きを残したまま閉じる。


 ただその扉には、何らかの細工が施されているのだろうか、扉が閉まった後では、あんなにうるさかったはずの男の叫び声が全く聞こえて来ない。元々、目的の為に作られた扉なのだろう。



「あのぉ、テオドロスさん。俺が言うのも何だけど、あの人って助けてあげられないのかな?」



「……まぁ、ガキンチョには分らねぇだろうなぁ」



 そう前置きしつつも、ほの暗い廊下を歩きながら、テオドロスは少年の肩に手を添える。



「あいつの首には、まだ奴隷痕が残ってた。って事ぁ、居場所までは分らねぇにしても、ある程度の『金』を積めば、ヤツが生きているかどうかは、主人ヨルギオスには筒抜けってこった」


「しかも、そのまま神官に正規の金さえ渡せば、即座にヤツの命は『隷従の誓約』により奪われる事になる……どちらにせよヤツに未来はねぇ。だったら、苦しまずに逝かせてやるのが親切ってもんだ」



「そっ、そうだね……」



 普通、善意をはき違えた偽善者は、こういう時に取り乱す事が多い。しかし、冷静にその事実を受け止めるルーカスを見て、少し意外に思うテオドロス。



「へぇ、おぇ、『隷従の誓約』の事分かってんのか?」



「あっあぁ、ちょっとね。でも、それなら最初から頭領に頼まなくったって、『隷従の誓約』使ってあの男を始末すれば良かったんじゃ無いかな?」



 すぐ隣の部屋で、一人の男の人生が終わりを告げようとしているその時でも、自分の中に浮かんだ疑問を冷静に解決しようとするルーカス少年。先週のあの事件以降、なぜか大概の事で心乱される事が少なくなった様にも感じられる。



「まぁな。でも、それだと一人当たり少なくとも一万。三人だと、三、四万クランは、神殿にお布施しなきゃならねぇ。まぁ、俺達に頼めば、三人始末しても三千クランぐれぇなもんだ。しかも、『隷従の誓約』使って下手な所で死なれでもしてみろ。場合によっちゃ、ヨルギオス家の名前に泥を塗る事になるかもしれねぇ」


「スラムに追い込んだ後で、俺達に小金掴ませて始末させれば、絶対に情報は外に漏れねえしな。まぁ、何て言っても俺たちゃっすいからなぁ……って言うか、神殿のヤツらがボッタくり過ぎてんだけどなぁ」


 そうは言っても、神殿側が『隷従の誓約』を盾に安価でポンポンと奴隷の命を奪っていては、余りにも奴隷の命が軽くなってしまう。神殿側もその事が分かった上での『命の値段』と言う事なのだろう。



「まぁ、仕方がねぇな。奴隷の命なんざ、主人の匙加減なんだからよぉ」



 奴隷の命は主人の匙加減……その言葉の意味を憂えば憂うほど、ミランダの顔が頭の中を過るルーカス少年。



『どうしよう……どうしよう、ルーカスゥ……助けて……』

 


 なぜだかこの時、ルーカスの耳には、聞こえるはずの無いミランダの声が聞こえている様な気がした。

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