第132話 プリムス・ピルスからの命令

「コラコラコラ、ちょっと待ちなさい! 待ちなさいって! これ、テオちゃん、テオドロスちゃんってば!」



 いきなり席を立とうとするテオドロス。


 そんな彼を何とか行かせまいと、その逞しい腕を絡めとる様にして離さないデメトリオス。


 その仕草は、殆ど情婦のそれである。



「知らねぇ、知らねぇよっ! 俺の知り合いにこんなバカいねぇもん。俺に話しかけんなよ! 本当にしつけぇなぁ」



「んだよぉ、折角面白そうなヤマぁ紹介してやろうって言うのによぉ」



 足蹴にしてでもその手を振り払おうとするテオドロス。しかし、デメトリオスは体全体で彼の腕にしな垂れかかったままその手を離さない。



「おいお前デメトリオス、本当に自分の言ってる事が分かってんのか?」



「もちろん、わかってるよ。あそこから盗むとなると、かなり厳しいわなぁ」



「いやいや、そう言う事じゃねーだろぉ。このエレトリアでマロネイア家に『弓引く』って事が、どういう事かって話だよっ!」



 なかなか自分の本意が伝わらないテオドロスは、子供の様にその場で地団駄を踏み始める。


 しかし、そんな彼の醜態を面白そうに眺めていたデメトリオス。


 更に輪をかけて彼を挑発に掛かったのだ。



かてぇ、かてぇなぁ。どうしてテオドロス君はこんなシャバ僧になっちまったんだろぅ……」


「昔はもっとギラギラしてて、ギトギトしてて、しかも、モサモサしてても、女達からキャーキャー言われて……あぁ、あの格好良かったテオドロス君は、一体どこに行ってしまったんだろうなぁ……」



 遠い昔を懐かしむ様に、自らの胸に手を当て、静かに瞳を閉じるデメトリオス。



「ギトギトのくだりは要らねぇし、モサモサでモテモテは今も変わらねぇよっ!」



 デメトリオスの三文芝居には興味も無いし、付き合う気も無い。



「ほら、すぐそうやって大人みたいに、分かった様な事を言う!」



「たりめーだろ。俺達もう三十路の良い大人だぞ! いつまでも、あの時のまんまじゃ居られねぇんだよ。それに、俺には沢山の部下とその家族の面倒も見なきゃならねぇ。手前てめえの悪ふざけに付き合ってる暇はねぇし、そんな危険な橋もう渡れねぇんだよっ!」



 テオドロスは肩で息をしながらも、心の内に秘めていた思いを全て吐露してしまった。


 そんな彼の様子を面白く無さげに見つめるデメトリオス。



「んだよぉ。ノリわりぃなぁ……。って事はよぉ、お前ぇ、俺の頼みは聞けねぇって言うのかよぉ」



 子供みたいに唇を尖らせるデメトリオス。



「あぁ、聞けねぇなぁ」



「……絶対に?」



 なおも食い下がる。



「絶対に駄目っ!」



「……絶対に絶対?」



 それでももう一度確認。



「絶対に絶対に駄目。無理むり、本当に無理」



 宝石屋の店先で情婦が自分のいろにプレゼントをせがむかの様に、あの手この手で駄々をこねてはみたものの、一向に受け入れてもらえない様子のデメトリオス。ついにはその説得を諦めて開き直った様だ。



「はぁぁあっ! そうですかってんだ。それじゃあこれが最後だっ! お前、エレトリアの一番槍プリムス・ピルスの言葉でも駄目だって言うんだなっ!」



 半ばヤケになった格好で言い放った最後の言葉。


 それを聞いたテオドロスは、今さら何を言うのかと少しあきれ顔だ。



「はぁぁ。……おいっ! 勘違いすんなよ。……俺ぁ、いくら金積まれても気乗りのしねぇ仕事はやらねぇし、例えそれが皇帝だろうが、太陽神様だろうが関係ねぇ」


「つまり! 俺に命令出来るヤツはこの世に一人も居ねぇんだよっ! ただ一人、エレトリアの一番槍プリムス・ピルスを除いてはなっ!」



 テオドロスのその言葉を聞いて、ゆっくりと不敵な笑いを浮かべるデメトリオス。



「へへっ、そう来なくっちゃなぁ、兄弟っ!」



「畜生っ! もう、分かったよ。やるよっ! やりゃあ良いんだろぉ、兄弟! かぁぁーっ! 最初に『一本』って聞いた時から、何か嫌な予感はしてたんだよなぁ」



 それだけを叫ぶと、おとなしく元の席に戻るテオドロス。


 そのままテーブルの上で少し不満げに頬杖を付くと、デメトリオスの後ろで不安な表情を見せている少年を見据えて一言。



「……おい、ガキンチョっ! どうせお前が持ち込んで来たヤマなんだろぅ? 今から見聞きした事ぁ、死んでも他所よそで喋んじゃねぇぞ! もし、情報が漏れる様な事があったら、真っ先にお前と、お前の大事な彼女、その他一族郎党全員プロピュライアに送ってやるからなっ!」



「はっ、はいっ!」



 直立不動のまま、かすれる様な声で返事をするルーカス少年。


 何しろ、自分の恩人とも言うべき大人二人が、自分の無茶な願いの為に一時は大喧嘩に発展するかもしれない事態にまで陥ったのである。緊張するなと言う方が無理だ。



 丁度その時、テルマリウムの入り口の方からテオドロスの元へと小走りで駆け寄って来る男が一人。



「……頭領オヤジっ!」



「あぁ、何だよ。どうした?」



 デメトリオスにまんまと嵌められた感のあるテオドロスは、少し物憂げに返事をする。



「ちょっとお耳に入れたい事が……」



 走り込んで来た男は同じテーブルに座るデメトリオスと、その後ろで緊張した面持で立ち尽くすルーカスの事を訝しそうな目で睨み付けた。



「ん?……あぁ、このまま話しても大丈夫だ。ここにいるのは皆、俺の兄弟だからな」



 テオドロスの許可を得たその男は、渋々ながらも小声で話始める。



「へい。……それじゃあ」


「実は、今ほどスラムの方で、暴行まわされた女の死体ブツが見つかりまして……」



「ほぉ、珍しいなぁ……」



 意外に思われるかも知れないが、同規模の大きさの街と比較して、エレトリアの街は驚くほど治安が保たれていた。それはスラム街と言えども例外では無い。


 それでは、エレトリアの衛兵が十分な犯罪の抑止力となっているのであろうか?



 答えは『否』だ。



 実際の所、衛兵の主な任務は外敵からエレトリア領を守る事であり、残念ながら治安の維持を目的とした物では無い。


 この場合の外敵とは、他領からの不意の侵攻や魔獣の乱入等を指す。


 それでは、街の治安を維持しているのは誰か?


 実は、その役目をまかされているのは、街の中のそれぞれの区画毎に組織された自警団や、所属するギルド職員達なのである。


 しかも、その中にはテオドロスの率いる黒猫ギルドマヴリ ガータの様な、アンダーグラウンドの組織も含まれているのだ。


 逆に言うと、スラム街の様な場所では、こういった闇組織の方がよほど犯罪抑止力としての効果は高いのである。



「で、女の名前はカリヤって娘らしいんですが、ヨルギオスからの依頼で、犯人をしてくれって事でして……」



「んん? 何で、参議なんかが関係するんだよ?」



 急にエレトリア評議員の名前が出て来た事から、怪訝な表情を見せるテオドロス。


 しかも、犯人をでは無く、しろとは穏やかではない。



「どうも、犯人はヨルギオスん所の奴隷三人らしいんっすよ。まぁヨルギオスの野郎も、身内の不祥事を表に出したく無かったんすかねぇ……」



「まぁ、そう言う事ならなぁ……。それじゃあ、なおの事若頭エニアスに言って、ちゃっちゃと始末しちまえば良いじゃねぇか? 何でわざわざ俺に話持って来んだよ」



 未だにこの男の話が腑に落ちないテオドロス。



「いやぁ、それが、頭領オヤジへお声がけしろってのは若頭からの指示でして……。そんで、犯人の三人は直ぐに捕まったんですが、一人だけちょっと変な事言い出しまして……」



「ほぉぉ、何て?」



「へぇ、そいつが言うには、『俺は鮮血帝の話を聞いたから殺されるのか?』とか何とか……」



 ――ガタッ!



「おいっ! テオドロス!」



 『鮮血帝』の名前を聞いた途端、半分腰を浮かせたデメトリオス。


 そして、それに呼応する様に、周囲を警戒するテオドロス。



「あぁ、こいつはやべぇな」



 テオドロスの方もデメトリオスと同じ意見の様だ。



「で? その男は今どこにいるんだ?」



「へぇ、今はアジトで監禁してまさぁ」



 テオドロスは自分の顎髭を撫でながらしばらく思案した後、デメトリオスの方へと向き直った。



「デメトリオス、お前達これからどうする?」



 そう問いかけられたデメトリオスは、一応確認の意味を込めて後ろのルーカスへと振り返る。しかし、ルーカスの方はとにかくデメトリオスに向かって頷く事しか出来ない。



「へへっ、ルーカスも来るみてぇだな。乗りかかった船だ。俺達も行かせろよ!」



 そう言うと、デメトリオスは子供の様にキラキラした瞳をテオドロスへと向けた。



「よし、わかった! まずはその男に会おう」



 そんなテオドロスの言葉を合図に、その場にいた男たちは足早に賭博場を後にするのであった。

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