第122話 ヴァンナの指示

「ヴァンナ様、が参りました」



 その女性は恭しくカーテシースタイルのお辞儀をすると、金の装飾が施された長椅子に横たわるもう一人の女性に向けて復命する。


 二人の間には隔絶した身分の違いがあるのだろう。



「ご指示の通り、御簾みすの方へと通しておきました」



 声を掛けた方の女性は決して相手の女性とは目を合わせない。少し頭を垂れ、目を伏せたままの状態で話を続けているのだ。



「えぇ、そう……。それではそちらに参りましょうか」



 長椅子に横たわる女性は、少し物憂げに上体を起こし始めた。


 恐らくその女性は声を掛けた女性の主人筋なのであろう。その横柄な態度からもその力の差が分かると言うものだ。



「ヴァンナ様……」



「なぁに? ステファナ。言いたい事があるならおっしゃい」



 女主人ヴァンナからステファナと呼ばれた女性。年の頃も主人とそう変わらない様に見える。しかも、化粧気の無いおもてながらも、その美貌は主人と負けず劣らず。


 しかし、彼女は使用人メイド用のオフホワイトのストラを身に着け、女主人の前で頭を垂れており、方や女主人ヴァンナは金の装飾が施された長椅子に横たわり、絹に金の刺繍が施されたストラにその身を包んでいる。


 一体何が彼女達にこれほどまでの格差を生むのだろう。



「はい。恐れながら申し上げます。やはり日中とは言え、男性……それも兵士を館の中に招き入れると言うのは如何いかがなものかと……」



 自分の主人に対する苦言とも取れる内容である。


 しかし、彼女は多少言いにくそうにはするものの、終始落ち着いた様子で己が主人を諫めようとする。



「ふふっ、ステファナ……。あなたにはいつも大変感謝しているのですよ。流石、大奥様より下賜頂いた侍女だけの事はあります」



「いいえ、滅相もございません」



 女主人ヴァンナいまだ長椅子に横たわったままの姿で、幾種類もの鳥の羽で出来た扇子を口元へと当てている。


 しかし、そんな主人の様子を決して見る事無く、更に頭を垂れるステファナ。



「ただ、あまりわたくしのする事に口出しするのはお止めなさい。あなたはもう私の第一侍女なのですからね……」



 侍女に対する生殺与奪の権限は、その主人のものである。


 一般的に言えば、侍女が主人に苦言を呈する事などありえるはずも無い。良くて解雇、悪くすれば拷問に近い仕打ちが待っているだけだ。


 ただ、ステファナの場合は少しだけ事情が異なる。


 元々の主人はアゲロスの第一婦人正妻であり、彼女から新に加わった妾に対しての下賜の品の一つとして、このステファナが遣わされたのである。


 新米であり、妾内でも末端に位置するヴァンナとしては、その申し出を断る事など出来ようはずも無く、今も第一侍女として手元に置いていると言う訳だ。


 ただ、このステファナ。


 侍女にしては非常にが良く、ヴァンナの意を汲んで色々と差配してくれるのだ。


 特に、貴族階級の妾には美貌以上に知識や教養、更には慣習しきたりに対する配慮が必要となる。


 本来はの血筋を持つヴァンナではあったが、南方大陸育ちと言う事もあり、宮中における諸事作法等には非常に疎い。


 そんな中でステファナは、田舎者のヴァンナを他の妾達と遜色の無い様に、上手く仕立て上げてくれると言う訳だ。


 そんな事もあり、ヴァンナが『感謝している』……と言うのは、あながち『言葉の綾』だけではないのである。



「はっ、……大変申し訳ございません、ヴァンナ様。何卒お許し下さいませ」



「えぇ、分かれば良いのですよ」



 ヴァンナは長椅子からその豊満な肢体を起こすと、淡雪の様に白い素足を大理石の床へと降ろそうとする。


 すると、長椅子の両脇に控えていた別の侍女達が、生花で彩られた華奢なサンダルを持ち寄り、彼女の御足みあしが床に付く前にその足先へと綺麗に履かせるのだ。



「確かに、日中とは言え男性をこの館に入れるのは少々問題もある事でしょう。ですから、会う時は御簾みすにしているのではありませんか。……大丈夫。この程度の事で旦那様からお叱りを頂く事はありませんよ」


「何しろ、彼は、旦那様のお命を救った一人なのですからねぇ」



 ヴァンナがサンダルの上に体重を乗せると、両脇の侍女たちは、スルスルとサンダルの組み紐を彼女の御足みあしへと結びつけて行く。



「はい。承知しております。差し出がましい事を申し上げました。何卒ご容赦下さいます様……」



 ステファナは、先ほどのカーテシースタイルから、流れる様に女主人ヴァンナの前に跪くと、最敬礼の仕草へと移行する。



「それで? 例の情報は掴んだの?」



 ヴァンナは二人の侍女から、頭全体を覆い隠す様なシースルーのヴェールを着せられていた。館の中とは言え男性の前へ出るのである。その素顔を見せる訳には行かない。



「はい、ヴァンナ様。先ほど、イリニ家政婦長様がお越しになられまして、『洗礼』の儀式は明日早朝、アレクシア神殿の方で執り行われるとの事でございます」



「あらっ、これはまた急な話ねぇ」



 侍女二人にヴェールの位置を調整させつつ、軽い驚きの声を上げるヴァンナ。



「はい。旦那様は今夜、商工ギルド会頭との夕食会へ出席されるとの事なのですが、その返礼の宴を一両日中に、本館の方で執り行う事になるとの噂でございます」


「恐らく、その宴に間に合わせる為、洗礼を急いでいるのでは無いかと……」



「それは忌々ゆゆしき問題ねぇ……」



 ステファナの話を全て聞き終える前に、言葉をかぶせる様にして話し出すヴァンナ。そんな彼女が軽く右手を左右に振ると、ステファナは最敬礼から元の姿勢へと立ち戻った。恐らくそれが彼女の合図なのだろう。



「ところで、例の物は用意出来ているのかしら?」



 ようやく準備が整ったヴァンナ。ヴェールの端を二人の侍女に持たせたまま、控えの間へと向かう扉の方へ歩き始めた様だ。



「はい。ご安心下さい。料理人の方へ依頼してございます」



「そう。分かったわ。それでは、今日の昼食ブランディウムに二人を招いてちょうだい」



「……承知いたしました」



 ヴァンナはそれだけを言い残すと、さっさと扉を通って控えの間へと行ってしまった。


 一人残されたステファナ。


 彼女は、女主人ヴァンナを見送る為、静かに扉の方へと向かってお辞儀をした姿勢のままだ。


 しかし、その無表情とも思えるクールな顔立ちにも関わらず、彼女の握り合わせた両手は、なぜか小刻みに震えている様だった。

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