第123話 下賜された組み紐

「ヴァンナ様、入室されます。その場で控える様に」



 先触さきぶれとして現れた侍女が、部屋の中で佇む二人の兵士へとそう告げる。


 すると、二人の兵士は慌てた様に、上座に向かって最敬礼の姿勢を取り始めたのだ。



 ここは、妾専用館の一階にある御簾みす


 上座側は、白いレースのダブルカーテンで遮られており、薄っすらとしたシルエットではあるが、その向こう側には玉座とも思しき豪華な椅子が見える。



 兵士達は、無人の上座に向かって無言のまま跪く。


 やがて、上座の更にその奥。


 貴人のみが通る事を許される豪奢な扉が開くと、純白の絹のストラを纏いつつ、頭からはシースルーのヴェールを羽織った女性が表れたのだ。


 その女性は、二人の侍女に傅かれながら上座の中央へ歩み出ると、侍女二人に促されるままに玉座の方へと腰を下ろした。



「苦しゅうない。面を上げよ」



 兵士達は一般的な宮廷儀礼に従い、貴人からの言葉に対して体を左右に震わせる。どうやら礼儀作法を知る程度には学のある二人の様だ。



「よいよい。お前達の忠義は分っておる。今日は無礼を許そう」



 玉座に座る女性がそう告げると、ようやく二人は敬礼の姿勢を維持したままで面を上げる。



「吹きぬける風に、初夏のすがすがしさを感じる今日この頃でございます。ヴァンナにはご機嫌うるわしゅう」



 二人の兵士の内、小柄な方の兵士がまず貴人に向けて時候の挨拶を言上する。



「いいえ、バウル。私はまだではありません」



 と言われたその女性。


 その声はまんざらでも無さそうではあるのだけれど、そこは譲れない点なのであろう。キッパリと否定する。



「大変失礼致しました、ヴァンナ様。その風格に、漂う色香。マロネイア様の側室の中でも、とびぬけた美貌をお持ちでございますれば、側室……いやいや、場合によっては……」



「これこれ、バウル……」



 調子に乗って話を続けようとするバウル。ヴァンナはそんな彼の話に、己の言葉を被せる事で話の腰を折る。



「口が回り過ぎるのも考え物じゃ。妾は今の生活に十分満足しておる。これ以上の想いなどあろうはずもない」



 この場に居るのは全て身内の様な者達とは言え、この館には多くの人が働いている。どこに他人の目や耳があるやもしれず。用心するに越した事は無いのだ。


 もちろん、女主人となってからの日も浅いヴァンナである。その侍女たちですらどこまで信用出来るものなのか……。



「これはこれは、大変失礼致しました。多少軽口が過ぎました。このバウル、しばらく口を噤む事と致しましょう」



 バウルは、そう告げると、頭を垂れ、もう一度最敬礼の姿勢へと移行する。



「ふふっ」



 その様子をレースのカーテン越しに眺めるヴァンナ。ただ、その視線は隣に控える大柄な兵士へと向けられている。



「して、ヨルゴス。十人隊長にはもう慣れたかえ?」



「いいいっ、いえっ。まま、まだ、慣れておらず……くくく、苦労の連続でございます」



 その場に控えるもう一人の兵士。


 身長二メートル十八センチの堂々たる体躯。しかし、吃音の気があり、更には体格から来る野太い声で、その話す内容が非常に聞き取り辛いその男。



「そうか、そうか。それは難儀じゃのぉ……」



「はははっ、はい。あぁ、いいえ、ヴァヴァヴァ、ヴァンナ様のお力添えで、じゅじゅじゅ、十人隊長の職を、拝領致しました事、ほほほ、本当に、ああ、ありがとうございます。たたた、大変感謝しております」



 レースのカーテン越しではあるが、二メートルを超える巨体がこれでもかと小さく、恐縮している様子が見て取れる。



「ふふふっ。何を申すか。そなたが、アゲロス様をお救いしたのは、紛れもない事実。妾の推奨など、どれほどの力があろうか」


「ただ、そなたは、私の命の恩人でもある。悪い様にはせぬ故、今後も気兼ねなく面会に来て欲しいものじゃ」



 そう、、アゲロスに右腕を切り落とされたヴァンナは、丁度玄関先に居合わせたヨルゴスに担がれ、そのまま本館の専属魔導士の所まで運んでもらっていたのだ。


 そのまま治療が遅れていれば、失血死しかねない状況のヴァンナ。


 結局は、ヨルゴスの迅速な行動により、一命を取り留める事が出来たと言う訳だ。


 ヴァンナにしてみれば、ヨルゴスを命の恩人と思い定めても致し方の無い事だろう。


 その後、ヨルゴスはアゲロスの危機を救う等の活躍もあり、結果的に欠員となった十人隊の隊長職を拝命する事となったのである。もちろん、それには新たにアゲロスの妾の一人となった、ヴァンナの意向が強く働いていた事は言うまでもない。



「はははっ、あああ、ありがたき、幸せっ!」



 そんなヨルゴスの様子を満足そうに眺めるヴァンナ。



「ところで、バウル。そなたも副長になったそうじゃな?」



「ははっ! それも、これも全てヴァンナ様のおかげでございます」



 ヨルゴスと同じく、最敬礼のまま、更に頭を垂れるバウル。


 バウルも、同じ十人隊の隊員であったのだが、サロス、タロスの推薦により、副長の任を授かっていたのである。魔獣グレーハウンドとの闘いの最中、いまにも崩れそうになる隊を臨時のリーダとして支えた事が高く評価されたのだろう。



「ふふっ……。さてさて、あまり遅くなっては、第一侍女ステファナに叱られてしまう。早速、用向きを申してみよ」



「「ははっ」」



 ヴァンナからの下命に対し、元気よく返答するバウル。


 話すのがどうも苦手なヨルゴスに代わり、副長として代弁する様な役割分担が取り決められているのだろう。それ故か、そんなバウルの行動に対してヨルゴスの方にも不満は無い様だ。



「実は今朝、の少年が施し物スポルトゥラを受け取りに参りまして、その際、ご指示通りに、敷地の中へ入れる様便宜を図った次第です」



「……」



「小一時間ほど、庭園外周の森の中をウロウロした後で、北門の方から帰って行った由にございます」



 バウルは、ヴァンナの予想した通りの少年が本当に館を訪れた事に多少の驚きを感じつつも、自分たちがヴァンナの指示に従った行動を取った事について強くアピール。



「それは上々……ただ、少し遅かったな……」



 バウルの復命に返答するヴァンナ。


 しかし、その言葉の後半は、殆ど独り言の様な呟きとなり、侍女はおろか、バウル達にも聞こえない程度のものでしかなかった。



「はっ?」



「いいえ、こちらの事よ」



 ヴァンナの消え入る様な呟きに、思わず聞き返すバウル。しかし、ヴァンナはそんな彼からの確認の言葉を軽く受け流す。



「二人とも、よく働いてくれました。それでは、褒美を取らせねばならんのぉ」


「……ではヨルゴス。進み出るが良い」



 ヴァンナは、そうヨルゴスに告げたあと、右手に持った扇子を軽く左右へと振った。


 すると、二人の侍女が、上座を仕切るダブルカーテンの紐を、ゆっくりと引き上げたのだ。


 上座を仕切るレースのダブルカーテンは、中央下部だけが少しだけ左右に開かれ、部屋の中央で最敬礼の状態である二人の兵士からはヴァンナの透き通る様に白い御足みあしだけが見える恰好に。



「……ふふふっ」



 そんなヴァンナは扇子で口元を隠しながら少しだけ微笑むと、いままで組んでいた足をゆっくりと組み替えたのだ。



「ヴァヴァヴァ、ヴァンナ様……」



 その様子を跪いたままで眺めるヨルゴスとバウル。彼女ヴァンナが足を組み替える瞬間、露わになるその最深部に思わず生唾を飲み込む。



「ヨルゴス。このサンダルを結ぶ『組み紐』をそなたに与えよう」



「おっ、おぉぉぉぉ……」



 ヴァンナの驚きの言葉に、思わず野太い感嘆のため息が漏れるヨルゴス。


 ただ、その話を聞いていた侍女の一人が思わず自らの女主人へと声を掛けた。



「ヴァンナ様……それは……」



 しかし、ヴァンナはそんな侍女の諫める言葉を扇子を開く事で制してしまう。



「良いのじゃ。今、私が彼らの忠誠に報いる事が出来るのはこの程度の事」


「ただし、ヨルゴス。そなた、手を使こうてはならぬぞ。我が身は既にアゲロス様のもの、そなたが私に触れる事は許さぬ」



 ヴァンナはヨルゴスへそう告げると、自らの右足を、レースのカーテンの隙間から、そっとヨルゴスの方へと差し向けた。



「……ああっ、ヴァヴァヴァ、ヴァンナ様っ!」



 あまりの事に躊躇するヨルゴス。



「ふふふっ……何をしておる。早く持って行かぬか?」



「いいいっ、いえっ! あっ! ははは、はいっ!」



 ついに意を決したヨルゴス。


 彼は跪いた状態のままで、レースのカーテン近くまでにじり寄ると、両手は使わず、その自らの口をもってヴァンナのサンダルを結ぶ『組み紐』をほどこうとする。


 結果的にレースのカーテンの下から覗き込む形となったヨルゴスは、色とりどりの羽で作られた扇子で口元を隠しつつ、優しくも妖しげな眼差しを向けるヴァンナと目が合う事に。



「はぁぁぁっ、ヴァンナ様っ!」



 ……なぜだかわからない。


 この無様な状態の自分を見つめる、蔑む様な彼女のその瞳を覗き込んだ瞬間、彼の背筋に恍惚とも、いや、悦楽とも受け取れる様な快感が走り抜けていた。



「あっあっあっ、ありがたき、幸せっ!」



 ようやく自身の口で『組み紐』を解きほぐす事に成功すると、それを咥えたままで、元の位置へと後退るヨルゴス。彼の興奮は未だ冷めやらない。




「ふっ……もう良い、ね」



「「ははぁっ!」」



 ヴァンナは、そんな二人から急に興味を失うと、キツイ口調で、直ぐに部屋から出る様にと命じたのだ。二人の兵士は、返事もそこそこに、半ば逃げ去る様な体で、その部屋を退出して行った。


 そして、残されたヴァンナ。



「さて、昼食ブランディウムまでは、まだ間があるわね。少し汗をかいたわ。湯あみでもしましょうか」



「「はい。畏まりまりました」」



 いつもの口調に戻ったヴァンナは、ゆっくりと侍女に向けて話しかける。侍女たちも慣れたものだ。そんなヴァンナの豹変ぶりに驚く事も無く、女主人の意向を素直に受け入れる。



「ふふっ……残念ね。もう少し早ければねぇ」



 彼女はそう呟くと、純白のストラを翻しながら、自分の部屋へと足早に帰って行った。

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