第101話 ミックス・フレッシュジュース
先頭を行くドメニコス。後続の兵士に向かって音をたてぬ様指示を出すと、腰をかがめ、魔獣に見つからない様にゆっくりと近づいて行く。
魔獣は植木の間に隠れる様に蹲っている様だ。もちろん頭を含めた体高が五メートル近い巨体である。隠れると言っても限度はある。
そんな蹲っている魔獣の後方から忍び足でゆっくり近づいて行くと、その左前足へとそっと手を伸ばすドメニコス。
「だぁーっはっはぁぁ。掴んだぞっ。もうこれで逃げられん!」
「おいっ『犬』っ! いつまでこの様な所で寝そべっておるのだ? さっさと不審者を探しに行かぬかっ?」
ドメニコスは魔獣の左前足の体毛を掴むと、勝ち誇った様に声を上げた。
「……グルゥロロロロ……
魔獣は体は伏せた状態のまま、億劫そうに、その首を持ち上げると、己が前足の体毛を掴む小さな人間を見据え、
「まだ覚えねぇのかっ? 困った犬っころだぜぇ、お前のご主人様だゾッ!」
ドメニコスは未だ、魔獣の体毛を掴んだまま、魔獣の前足に思い切り蹴りを入れた。
「……グロゥルルルル」
魔獣はそんな不遜な行動を取る人間に不満を覚えたのか、低い声で威嚇する様な唸り声を上げる。
しかし、そんな魔獣の威嚇など、全く気にも留めないドメニコス。
「まずはお座りだっ! ほら、さっさとやれよっ!」
ドメニコスが尚も命令を下しながら、前足へ蹴りを加えると、魔獣はゆっくりと立ち上がった後で、やおら後ろ足を綺麗に畳んでお座りのポーズに。
「たっ隊長! すすすっ、凄いですねぇ! 本当に言う事聞くんだぁ!」
「なんだよお前っ! 俺を信じて無かったのかぁ?」
「ほらっ! 次はお手っ! お手だよっ!」
尚も、調子に乗って次々と命令を下すドメニコス。但し、もう命令と言うよりは芸だ。
「……グルゥロロロロ」
魔獣は不満げな声を上げつつもお座りをした状態で、右前足だけを胸の高さへと持ち上げる。
「うわぁぁ。なんだよこれぇぇ。あっ! 俺、急に怖く無くなって来ましたぁ」
さっきまでの怯えた表情がまるで嘘の様に、満面の笑みを浮かべて、隊長の影から顔を覗かせる若い兵士。そして、素朴な疑問を隊長へと投げかけてみる。
「でも、隊長。ずーっと
「あぁ、まぁそうだなぁ。この魔道の術ってのは、あんまり離れるといっぺんに効きが悪くなるんだよ。……俺ぐらいの凄い力の持ち主なら、十センチぐらい離れてても大丈夫だけど……、まぁ一応なっ!」
ドメニコスの方は、ちょっと痛い所を突かれたのか、最初は少し苦い顔をしていたのだが、後半に行くにつれ、自身の『力』自慢になったあたりから鼻高々の様相だ。
「へぇぇ。そう言うモノなんですねぇ」
「隊長っ、ちょっと俺、触ってみても良いですか?」
結局、そんな事はどうでも良い若い兵士は、早くも次の話題へと切り替える。どちらかと言うと、こちらの方がメインなのだろう。
「あぁ、全然構わねぇよ」
「ほら、こっちの持ち上げてる足、触ってみろよっ!」
ドメニコスは、魔獣の左前脚の体毛を握ったまま、現在『お手』の状態で持ち上げられている魔獣の右前足を指さしてみる。
そう促された若い兵士は、自分の頭より高い位置にある魔獣の右足に向かって、背伸びする様にして手を触れてみた。
「うぇぇぇ。見た目フワフワなのに、結構ゴワゴワしてるんですねぇ。あぁ、硬っ! こりゃ、剣で切ってもダメそうっすね」
「どうだ、すげえだろう? 皮膚も硬ぇし、普通じゃ槍も通らねぇ。まぁ、クロスボウの矢ぐらいだったら突き刺さるかも知れねぇけどなぁ」
ドメニコスは、まるで魔獣が自分のペットであるかの様に、満面の笑みで自慢を続ける。
「へぇぇ、ところで隊長、コイツ……グァゲボキョッ」
ドメニコスが、その若い兵士から視線を離した、僅か一瞬の出来事だった。
兵士の頭上にあった魔獣の右足が、音も無く振り下ろされる。
「えっ!」
小さく叫ぶドメニコス。
――ミシミシミシッ……ゴキバキッ……バキッ。
若い兵士が魔獣の右足の下へと吸い込まれるまで、数秒もかからない。
魔獣の右足は、元々何も無かったかの様に元の位置へと戻ってしまった。
しかし、その右前足の下からは、大量の血液が溢れ、大きな『血たまり』を形成する。
「おっ! おいっ! 止めろっ! コイツッ! 手を上げろってっ!」
今さらながらに、事の重大さに気付いたドメニコス。右手で握った魔獣の体毛を引っ張りながら次々と命令を繰り出す。
「手を上げろって! 何してるんだよっ! この
魔獣は真っすぐ前を向いたままの姿勢で、微動だにしない。
「あぁ、あぁ、あぁぁぁ! ちくしょう! コイツッ、ちくしょう!」
何度も何度も、魔獣に蹴りを入れるのだが、それでも魔獣は動かない。
業を煮やしたドメニコスは、ついに自らの右手に意識を集中すると、己の力を発動させた。
薄く、そう、薄っすらと、
「苦しめっ!
通常は、これらの力を発動させる事で、魔獣は悶え苦しみ、しまいには、従順となり、自分の足下にひれ伏す事になるのである。……そう、普通ならば。
しかし、彼も魔道の端くれであった。己が力が全く魔獣へ伝わっていないと言う、得も言われぬ感覚を否が応にも感じ取れてしまう。
「はぁっ、あぁぁっ! ダメだっ! ダメだっぁぁ! ……うぇぇぇぇ」
魔獣はドメニコスをぶら下げたまま、左足を高々と持ち上げると、重力に逆らう事無く、そのまま真っ直ぐに振り下ろした。
――バキバキバキ……ゴキゴキッ……グジュッ。
魔獣の足元には、もう一つの血だまりが作られた。
二つの血だまりは、しばらくして融合し、一つの大きな血だまりとなって広がって行く。
その光景を、すこし離れた中庭の手前で見ていたサロス。
「期待はして無かったがな……酷いなっ」
自身がアゲロスの元へと駆け戻るまでの時間稼ぎになれば、程度には思っていたのだが、その役目すら果たせずに、魔獣の餌食となった二人。
そんな彼らに失望しつつも、サロスは急ぎ足で中庭の方へと駆けこんで行くのであった。
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