第76話 皆の者大義である
「まいったのぉ」
「大司教様にはワシが戻るまで、暫く時間をつぶしておいてもらう手筈になっておったにのぉ」
気を失ったダニエラをそっと侍女に引き渡しながら、困った様に独り言ちるダモン老。
「大司教様は気を失っておられるが大事は無い」
「しばらくすればお気づきになられるはずじゃ。それまでは向こうのテラスにある、大きなソファーの方でお休み頂くのがよろしかろ」
そう言うと、ダニエラの専属侍女数名にゆっくりと彼女を抱えさせ、少し離れたターフの張られてあるテラス席の方へと運ぶ様に指示をする。
そして、完全にへたり込んでしまっているマリレナの様子を見ようと、その傍へ近寄るダモン。
「ひぃっ!」
気が動転しているマリレナは、ダモン老が近づいて来ただけで悲鳴を上げてしまった様だ。
蹲ったまま、恐怖のあまり震えの止まらないマリレナ。
「ほっほっほっ。わしじゃ、わしじゃ。ダモンじーさんじゃよ。毎朝挨拶しとるじゃろ?」
ダモン老は、マリレナの前で屈みこみ、しっかりと皺くちゃの顔を見せてやる。
「恐ろしい目に合うたのぉ。しかし、もう大丈夫じゃ」
ダモン老は優しい声で話しかけながら、自身の右手をそっと彼女の額に近づけた。
しばらくして、彼女の額部分が薄く輝いたかと思うと、潮が引く様に彼女の震えが止まったのだ。
「……はぁ……ダモンさん。ありがとうございます。何んだかとっても楽になりました」
先程まで恐怖に引きつっていた顔からは険しさが消え、本来の柔和な「ほほ笑み」が戻りつつある。
「後で一緒に大司教様の所に行ってあげるから、その時にもう一度正直にお話すれば良いじゃろぉ」
「大司教様も、何も本気でお怒りになった訳ではないぞぉ。そこの所は十分に理解しておかんとイカンのぉ。マリレナの為を思っての所業じゃぞぉ」
ダモン老は諭す様にマリレナへと話しかける。
そこで
「そうそう、水を一杯飲むと良いじゃろ」
「おぉ、そこにおるのはミルカか? ワシにその水差しとコップを取ってくれんかのぉ」
今回の原因を引き起こしたミルカを目ざとく見つけて指示を出すダモン老。
「はっはい!」
突然声を掛けられて驚いたのか、彼女は半分飛び上がりながら、テーブルに向かって駆け出して行く。
そして、テーブルの上の水差しとコップを銀のトレーに乗せ換えると、震える手でダモン老の方へ運んで行った。
「ほいほいほいっと……」
「はぇ?!」
――ガッシャン!
ダモン老が何やら小声でつぶやくと、たどたどしい足取りで水差しを運んできたミルカが、案の定マリレナの手前で
マリレナは頭の上から水をかぶってずぶぬれである。
「はぅぁ! ……せせせ、先輩! すすすすっころんでしまいましたぁ!」
見たら分かる事を大声で報告するミルカ。
本人には謝罪の気持ちがあるのかもしれないが、すくなくとも言葉には含まれていない。
「おっとっと……」
ダモン老はその老体には見合わない俊敏さで、ミルカのこぼした水だけを避けると、水差しとコップが地面に落ちる直前に二つとも両手で受け止めてしまう。
「おりょりょ、ミルカよぉ。まだまだ修行が足りんのぉ。先輩がびしょぬれじゃ」
「仕方が無いのぉ、誰か急いでテーブルの横にある予備のテーブルクロスと、布を寄越してくれ」
周りで待機していた侍女たちが、いそいそと言われた通りに真っ白のテーブルクロスと、複数の布をダモン老に手渡している。
「マリレナ、災難じゃったのぉ。ほれほれ、これで顔を拭いて、一度部屋の方で着替えて来ると良いじゃろ」
ダモン老はそう言って、ずぶ濡れの彼女の肩に大きなテーブルクロスを掛けてあげる。
「ほれ、ミルカ。大切な先輩じゃ。今度はすっころばない様、十分注意して部屋まで運んでやるとよかろう」
ダモン老は、水差しをひっくり返して半泣き状態のミルカを見ながら指示を与える。
「はっはいっ! 分かりました。今度こそ先輩をひっくり返さない様、注意してお部屋に運びます」
ミルカは何が何だか良く分からない宣言をした後、マリレナを抱えながら彼女の部屋へと歩いて行った。
「……さて、問題はこちらの方じゃな」
ダモン老は残された三人の方へ向き直ると、しわくちゃの顔に温和な笑顔を浮かべながら話しかける。
「シルビアさんにソフィさん、とにかく皇子様にお会いしないと納得できんじゃろぉ」
そう話しかけながら、神殿奥の方を目を細めて見やると、遠くの方から若い門番が緊張の面持ちで、一人の若者を先導して来る様子が見えた。
更に反対方向を見ると、いつの間にやら複数の侍女達に案内された大勢の村人たちが、庭園中央の広場の方に集められているでは無いか。
「ほっほっほ。丁度良い頃合いじゃのぉ」
「ほれ、ほれ、シルビアさんにソフィさん、それからリーティア司教も一緒に参りましょうか」
そう言うと、三人を促す様に庭園中央へと歩き出すのであった。
◆◇◆◇◆◇
神殿横の庭園には、多くの村人たちが思い思いの『お祝いの品』を持って集まっていた。
取れたての野菜を持った者、色とりどりの美しい布地を抱えている者。そして子供たちは野原で集めたキレイな花々を手に持って、にこやかに笑っている。
中には、ちゃっかり自分たちも皇子様にアピールしようと、美しいパーティ用のドレスを着こんだ娘達が何人もいる様だ。
そんな村人達の前に、ウエディングドレスに身を包んだ二人が現れると、村人達からは大きなどよめきと拍手が巻き起こり、口々に祝福の言葉を投げかけてくれるのだ。
「あらあらあら、大変な事になっているわねぇ」
シルビアは村人にゆっくりと手を振りながら、呑気な事を言っている。
「何言っているの、お母様が家の前で大声で言いふらすからこんな事になったんでしょう!」
ソフィは少し刺のある言い方をしてはいるものの、シルビアと同じ様にまんざらでも無い様子で村人達へと手を振っている。
「皆の衆、静粛にー、静粛にー!」
「これから皆の衆に伝えねばならぬ事がある! 静かに聞いてほしい」
ダモン老は小柄な体に似合わない大音声で村人たちに静かにする様伝えるが、なかなか村人達の興奮は冷めやらない。
何度目かのお願いの末、ようやく村人たちも落ち着いて来た様だ。
「うおっほん!……」
「えー……。先ほど、シルビアさんとソフィさんが神殿の方に来られ、皇子様からの神託により、皇子様の嫁になるとのお話があった!」
村人達からは、ウエディングドレスの二人を囃し立てる様な拍手が巻き起こる。
ダモン老はしばらく頷きながら村人の拍手が落ち着くのを待つ。
「そこでじゃ。折角皆の衆もお祝いの為に集まっていただいたと言う事で、本当の所を、当の本人である皇子様に伺おうを思う!」
「おぉぉ……わぁぁぁぁ……!!!」
最初はあまりの話に驚き、戸惑う様子も見受けられたが、総じて皇子様にお会いできるとの喜びが、村人全体を歓喜の状態へと変えて行く。
「よし、よし、よし。静かに、静かにぃ!」
「丁度、皇子様がお出ましなされた様じゃ。皆の者、一様に平伏せよ! 平伏せよっ!」
ダモン老の掛け声とともに、老若男女、村人全員がその場で跪き頭を垂れる。
「……ダモンさん、皇子様をお連れ致しました」
神殿の奥から皇子様を案内して来た若手の門番は、そっとダモン老に耳打ちをする。
「おぉご苦労、ご苦労。今日は走らせてばかりじゃったのぉ。また今度おごってやるから許してくれい」
ダモン老は茶目っ気のある笑顔で若者にねぎらいの言葉を掛ける。
若者の方も慣れた様子で、サムズアップしながら皇子様の方へ駆け戻ると、皇子様を広場の中でも一段高いテラスの方へ上る様促している様だ。
「……ダッ!ダモンさんっ! 私、皇子様のお傍に行ってもよろしいでしょうか?」
リーティアが『おろおろ』しながらダモン老に話しかける。
これまで何度も話しかけるチャンスはあったのだが、次々と段取りを進めて行くダモン老を前に、あっけにとられて、なすがままの状態だったのである。
「ほっほっほ」
「第一奴隷の身としては、こんな時に皇子様のお傍にいないと言うのは痛恨かもしれんが、ここは皇子様の、いや男としての一世一代の大舞台じゃ。そこは暖かい目で見守ってやるのが正解じゃろうなぁ」
自信満々なダモン老の言葉を受け、心配しつつもテラスの上の皇子様を見つめるリーティア。
舞台中央で一人残された皇子様は、かなり緊張した面持ちで村人達を見回している。
「えーっ……」
「えーーっ……」
「えーーーっ……」
緊張の余り、三回も「えー」と言ってしまう皇子様。
「はわわわわ、皇子様っ! しっかり!、しっかりぃぃ! もう『えー』って、三回も言ってますよぉっ!」
余りの皇子様の惨状に、両手で目を覆いつつ、指の間から皇子様を見つめるリーティア。
「えー……皆の者っ! 大儀である!……」
やっとの事で絞り出したその一言は、静まり返った広場に物悲し気にこだまする。
しかも、村人達は一様に跪いたまま、微動だにしていない。
……あれ?! ……やべぇ、俺、スベった?
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