第31話 港町へ

「……うぅぅん。……おねぇちゃん」



 私の鼻をくすぐる、お姉ちゃんの優しい香り。


 次に私が目覚めたのは、大好きなお姉ちゃんの膝の上でした。


 お姉ちゃんの膝まくらは、とっても柔らかくって気持ちいい……。



 私がゆっくりと目を開けると、にっこりと笑うお姉ちゃんの顔が見えました。


 なんだか、すごく怖い目にあった様な気がするんだけど……良く思い出せない。



「……」


「おねえちゃん聞いて。私、とっても怖い夢を見たの」



 私は膝まくらをしてもらったまま、お姉ちゃんに話しかけます。



 ゴト……ギィィ……ゴト、ゴト……



 急に荷車の車輪が軋む様な音が聞こえ、路肩の石にでも乗り上げたのか、小さな振動が私の背中にも伝わって来ました。



 んん? 私達は荷車に乗って、どこかに移動しているのでしょうか。 



「おねえちゃん……。ここは……何処?」



 私はお姉ちゃんの膝から頭を上げると、ゆっくりと辺りの様子を見渡します。


 やっぱり私たちは、小さな荷車の上に座っている様です。


 しかも、私たちの周りには、同じ年ぐらいの女の子がたくさん乗っていて、不安な表情でお互いを抱きかかえる様に寄り添っていました。



「あぁミランダ、起きたのね。ちょっと心配しちゃった」


「でも大丈夫。ミランダにはお姉ちゃんが付いているからね」



 お姉ちゃんは私を元気づける様に笑いかけてくれました。だけど、その笑顔の裏には、何かを隠しているような……。



「……」



 私はゆっくりと自分の記憶を紐解いて行きました……そして。



「おねえちゃん……お父さんとお母さんは?」



 私は、私の見たあの悪夢が現実ほんとうでは無いよ……と言って欲しくて。



「……大丈夫。大丈夫よ。ミランダには私が付いてる。そう、大丈夫……」



 お姉ちゃんは少し困った表情で、まるで自分自身を励ましてでもいる様に「大丈夫」と繰り返します。


 そんなお姉ちゃんの両目は赤く充血し、瞳から頬にかけて涙が伝ったであろう跡が白く浮かんでいるのです。



「……私たち、何処に行くの?」



 ようやく、自分の置かれている状況をおぼろげながらも理解した私は、思わずお姉ちゃんに聞いてしまいました。


 もちろん、そんな事を聞いてもお姉ちゃんが答えられるとは思えません。でも、どうしても聞かずにはいられなかったのです。



「……そうねぇ」


「この道は前に父さんと通った事があるから……多分ザパスの港町の方に向かっているんだと思う」



 お姉ちゃんは、周りの風景を見回しながら、私にそう教えてくれました。


 そう言えば、周辺に見える丘の形も、なんだか見覚えがあります。


 ザパスは、私たちの村から歩いて1日程度の距離にある港町です。


 ただ、ゆっくり移動するこの荷馬車であれば、到着するのはどうしても明日になるでしょう。



「おねえちゃん。私たち捕まっちゃったの?」



 またもや、聞いても仕方の無い事を聞いてしまう。それが姉に対してどれだけの負担を強いているのかなど、この時の私に分かるはずもありません。



「……どうも、そうみたいね」



 最近、帝国がザパスの港町を包囲して、激しい戦いが行われたと言う話を聞きました。


 父さんや村の人たちが「早々に森の奥へ逃げなければ」と話していたのを盗み聞きしたことがあります。



 ……戦争の理由なんて……知らない。



 お父さん達は一方的に帝国が攻めて来たと言っていたけど。


 きっと帝国は悪い奴らなんだ。


 そして戦争で捕まった人たちは、奴隷として連れて行かれる……と言っていました。


 と言う事は、捕まった私たちは奴隷として連れられて行く事になるのでしょう。



「……でも、御者台に座っているのはトマスおじさんみたいだから、ちょっと聞いてみようか?」



 お姉ちゃんは、御者台に座る男性を指さして、私に小声で話しかけて来ます。


 周りに座っている女の子たちは全然見知らぬ娘達だから、きっと近くの村から集められて来たのでしょう。


 ただ、御者台に座っているのは、間違いなく同じ村に住んでいたトマスおじさんです。



 トマスおじさんはこの荷馬車を使って定期的にサパスの町との間を往復し、色々な品物を村に運ぶ商売をしていたはずです。



「トマスさん、トマスおじさん」



 お姉ちゃんは、ゆっくりと御者台の方に近づくと、トマスおじさんに小声で話しかけます。


 私は荷台の端の方に座っていたので、お姉ちゃんとトマスおじさんとの話は聞こえません。


 でも、トマスおじさんはとっても申し訳無さそうに、お姉ちゃんに何度も謝っている様子でした。


 トマスおじさんと暫く話しをしたお姉ちゃんは、何か小さな端切れの包みと動物の内臓で作られた水筒を持ってきてくれました。



「はい、これ。食べて」



 お姉ちゃんが包みを開くと、中からは小さな黒パンの切れ端が出て来ました。



「えっこれ……食べて良いの?」 



 そう言えば昨日から何も食べていません。実はお腹が空きすぎて、もう頭がくらくらしていたのです。



「どうぞ。私はさっき食べたばかりだから」



 お姉ちゃんは私に黒パンを渡すと、私の髪をゆっくりと撫でてくれます。


 私はお姉ちゃんに言われた通り、黒パンの切れ端を口の中に放り込み、水筒の水で無理やり流し込みました。


 黒パンは驚くほど固いパンだけど、とっても日持ちがするから家でも良く食べていました。


 普段はお母さんが作ってくれるスープと一緒に食べるんだけど、さすがにそんな贅沢は言っていられません。



「えへへ、ちょっと食べると、余計にお腹が空いて来ちゃうね」


 私は硬い黒パンを一飲みにすると、ちょっと照れ臭そうに笑いながらお姉ちゃんに話かけました。



「そうだねぇ。でもごめんね。ちょっとしか残ってなくて」



 お姉ちゃんはとっても申し訳無さそうに私に謝ります。



「ううん。大丈夫。ちょっと食べたら元気出たし」


 私はお姉ちゃんににっこり笑いかけながら、水筒の水をもう一度飲みました。



 ◆◇◆◇◆◇



 やがて日が暮れ、田舎道を少し外れた草原の中で馬車がゆっくりと停止しました。


 トマスおじさんは馬を荷馬車から外すと、草原の中央に立つ大きな木に繋ぎます。


 自由になった馬は、ゆっくりと近くの草をんでいるのでしょう。


 荷馬車の方に戻って来たトマスおじさんは、荷馬車に乗っている少女達に決して荷馬車から降りない様に指示をすると、荷車の傍で火を起こし、自分が食べる為の夕食の準備を始めました。


 そう言えば、周りの女の子達も含めて、朝から何も口にしていません。


 すでに娘達の何人かは空腹の為か、荷馬車の中で力なく横たわっている様な状態です。


 トマスおじさんが火にかざすベーコンの香りが漂って来ると、私のお腹の虫が騒ぎ出しました。



「ぐーぐるるる」


「……おねえちゃん。お腹すいたね」



 思わず、私はお姉ちゃんに話しかけてしまいました。



「そうだねぇ。お腹空いたねぇ……」



 お姉ちゃんは、トマスおじさんの方を向いたまま、小声で返事をしてくれます。


 するとお姉ちゃんは、おもむろに立ち上がり荷馬車を飛び降りると、トマスおじさんの所に駆け寄って行きました。


 最初は困惑していた様なトマスおじさんでしたが、暫く二人で話をしたあと、二人で馬が繋がれている大きな木の向こう側に行ってしまいました。


 ……どのくらいの時間がたったのでしょう。


 私は何とか空腹に耐える為、体を「く」の字に曲げたまま、荷馬車の上に横たわっていました。



「ミランダ! ミランダ、起きて。そこから降りておいで……」



 荷馬車の端の方からお姉ちゃんの声が聞こえて来ます


 私は他の女の子達に気付かれない様、ゆっくりと荷馬車の端から外に降りてみました。


 そこでは、荷車の車輪と車輪の間に、お姉ちゃんがにっこりと笑って座っていたのです。



「ミランダ。はい。これ食べて良いよ」



 お姉ちゃんは、さっきトマスおじさんが食べようとしていたベーコンの切れ端を一つ渡してくれました。



「あー! おねえちゃんどうしたの? これ!」



 私は思わず大きな声を上げてしまいます。



「あっシーっ。静かに!」


「他の女の子にばれちゃうでしょ?」



 私はお姉ちゃんに窘められつつも、手渡されたベーコンの肉片をキラキラした目で見つめていました。



「ちょっとトーマスさんにお願いして貰って来たんだ」



 お姉ちゃんはちょっと自慢げに話しをしてくれます。



「それにね。ほら。銅貨3枚もくれたんだよ」



 お姉ちゃんの小さな手の平には、少し大振りの銅貨が3枚乗せられていました。



「えーっ、おねえちゃんすごいね。やっぱりおねえちゃんは凄いよ!」



 私は興奮した面持ちで、お姉ちゃんをたくさん褒めてあげました。



「でしょう。だから言ったでしょ。お姉ちゃんに任せておけば大丈夫だって」



 食べ物をくれるだけでも凄い事なのに、銅貨を3枚もくれるとは尋常な事とは思えません。



「でも、おねえちゃん。本当に大丈夫。盗ってきちゃったんじゃないの?」



 お姉ちゃんに食べさせてもらっているにも関わらず、そんな事を聞いてしまう私。



「何言ってるの、大丈夫。ちょっとお父さんとお母さんにものと交換して来ただけだから」


「だから、全然大丈夫だよ」


「また、お腹が空いたら言ってね。その時はまたトマスおじさんに交換してもらうから」



 お姉ちゃんは本当に自信満々です。



 お父さんもお母さんもいなくなり、本当に、本当に心細かった私ですが、私にはお姉ちゃんがいてくれます。



「へっ、へへ。おねえちゃん ……ありがと……ぐすっつ……本当にありがと」



 これからの不安と、お姉ちゃんのいる安心がないまぜになって、どうして良いかわからずに涙がとめどなく溢れて来ます。


 小さな小さな荷車の下。


 そんな涙が止まらない私を、お姉ちゃんは優しくしっかりと抱きしめてくれました。

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