オデュッセウスと真眼

詩一

第1話 かじ

 それは多分6歳の頃だ。


 その日はとても寒かったのだけれど、わたしは外に裸足でいた。手首を紐で縛られていて、その紐の先は玄関のドアノブに括り付けられていた。


 父はわたしが悪いことをしたからだと言っていた。


 寒くて寒くて仕方ないけれど、泣くことは許されなかった。

 泣くと、もっと酷い仕打ちが待っていた。

 泣いたり大声を出したりすることは悪いことだからと言っていた。

 だからどれほど苦しくてもわたしは泣かなかった。


 ただ一つだけ救いだったのは、電熱ストーブがこちらに向けられていたこと。


 彼の狂った愛情なのか。気まぐれなのか。そんなことは当時のわたしにわかるわけもなく、ただ有難がってその熱に一生懸命身を寄せ居ていた。


 身を寄せるとは言っても、ドアにはチェーンが掛かっており、子供のわたしでも半身を中に入れることは叶わない。だから腕を目一杯伸ばして指先をなんとか暖めていた。


 片方が温まったらもう片方の手。


 そんなことを何千回と繰り返した。


 そうしているうち、やけに熱いなと感じ、その方を見ると、壁が燃えていた。


「おとうさん!」


 わたしは叫んだが、父は奥の方で取り込み中らしく気付いてくれない。

 何度かの呼びかけに返ってきた怒声。


「うるせえぞ! 殺されたいのか!」


 全身が引きり、声が出せなくなった。


 でもこのままでは部屋が燃えてしまう。

 アパートが燃えてしまう。

 その前にわたしが燃えてしまう。


 懸命に手首を縛っている紐を引っ張った。

 火が迫ったときに引火したのか、不意に紐が千切れて、スカを食らったわたしは尻餅を搗いた。

 そのまま玄関手前の壁で背中を打つ。


 ドアの隙間からは炎が這い出しており、とても近づける状態ではなかった。


 もう一度大声を出そうかと思った。が、怒られる。そう思った瞬間に、体は強張り声が出なくなった。


 自由になったその身で、頭で考えられたことはたった一つ。


(ここにいちゃだめだ)


 わたしは走り出した。

 階段を駆け下り、とにかく走った。

 声を上げないように。

 決して声を上げないように。

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