攻略対象は王子様なので、とりあえず脇役卒業します。

水嶋陸

第1話 プロローグ

 高橋鈴加たかはしすずかは一見、どこにでもいる普通の女子大生だ。


 道行く人に美人かと尋ねれば、十中八九、首を傾げるだろう。

 もしかしたら運よく誰かは「愛嬌がある」と気遣いに満ちたフォローをしてくれるかもしれないが、とにかく平凡を体現したような女性である。


 そんな鈴加には悩みがあった。ひとつは就活だ。大学三年生になって情報収集を始め、関心のある企業の説明会に足を運んでは応募しているが、一向に採用されなかった。


 手帳には応募した企業の名前がびっしり書かれていて、全てが黒く塗りつぶされている。はじめは自虐ネタにして笑っていたお祈りメールも、立て続けに受信していれば神経が先細っていく。


 「え、また書類選考で落ちたの!?」

 「うん。もう数えきれないくらいエントリーシート送ってるのに、かすりもしないよ。自分で読んでもイケてない内容だと思うけど、1社くらいは面接に呼んでもらえるかなーなんて楽観してた。甘かった。千晴の言うとおり、もっと早く対策するべきだった」

 「だーかーら、事前の準備は重要だって忠告したでしょ? あんたは貴重な青春を二次元に費やしてきたんだから、いきなり三次元の人間相手に売り込むなんて無謀よ。少しは反省したかしら、就職浪人予備軍の隠れオタクさん?」

 「千晴……それマジで凹むからやめてえええ」


 机に突っ伏して白旗をあげると、呆れと同情の混ざったため息が降ってくる。目の前に座って愚痴を聞いてくれている西岡千晴にしおかちはるとは、小学校からの付き合いだ。


 千晴はいわゆる才媛で、子供の頃から成績優秀。先生のお気に入りで、男女問わず慕われる人気者だった。面倒見がよく、とある事件をきっかけに外界を遮断した鈴加のことを見捨てずにいてくれた唯一の人物だ。


 一方、鈴加には取り柄がない。実は〇〇できます! なんて、他人を唸らせる意外な特技はゼロ。学生時代にこんなことやりました! と胸を張って自慢できる人がいたら、眩しくて消え入りそうになる。


 鈴加の両親でさえ、学費がかかるから留年さえしなきゃいい、このご時世、雇ってもらえたら御の字と、ブラック企業相手でもノシをつけて贈答せんばかりの諦めモードだ。あまりに自分が情けなくて深いため息を吐く。


 「とりあえず一度自己分析してみたら? お勧めの本貸すよ?」


 コーヒーを口に運びながら勧められ、頭を抱えた。


 「うー、自己分析しろって言われても、何がしたいのか分からない。夢や目標がない人は生きてちゃいけないの? あたし、誰かに期待されたことないしどう頑張っていいか分かんないよ」

 「あのねぇ、鈴加は極端なのよ。難しく考えすぎ。それに、誰にも期待されてないってことはないじゃん」

 「千晴はあたしに期待してくれるの?」

 「もちろん。社会人になったら、半引きこもり生活から更生できるんじゃないかって大いに期待してるわ」

 「むぅ。半引きこもりだって人権あるもん」


 いじけて唇を尖らせれば、千晴の眉が吊り上がる。


 「そういう問題じゃないでしょ! 勿体ないわよ、少なくとも十代は無駄に過ごしたでしょ。若さは万能じゃないのよ、気付いたらあっという間にオバサンになっちゃうんだから。私嫌だよ、あんたが『二次元サイコー!』『三次元アレルギー!』とか訳わかんないこと叫んでる間に年とって、孤独死とか」

 「うん、そういう現実味がある痛烈な脅しはやめてくれない? ストレスで禿げそう」

 「もう……。就活で落ち込んだ時に慰めてくれる、優しい彼氏でも作ったら?」

 「リアルカレシ? ナニソレオイシイノ?」


 感情のない声で棒読みすれば、ポカッと頭を叩かれる。いつになく真剣な面持ちの千晴がいた。


 「――Y氏のこと、まだ引きずってるの?」


 鈴加はビクッと体を震わせた。Y氏、というのは二人だけの間で通じるあだ名だ。彼は一途に想い続けた初恋相手でとても親しくしていたが、小学校六年生の時にこっぴどく振られて、三次元アレルギーを発症する元凶になった人物である。もはや彼の名前を口にするだけで古傷を抉られるので、本名は禁句となったのだ。


 「あれから何年経ってると思ってるの。それとは関係なく、彼氏欲しくないって何度も言ってるじゃん。それに今、あたしは"N様"に夢中なんだから。心配されなくたって心は十分潤ってます!」

 「また"N様"? 正体不明の声優だっけ。乙女ゲームに出てくる、サブキャラばっかり担当してる人」

 「そう! さすが千晴、エピソード記憶すごいね! "N様"の声、毎回キャラに合っててすごく素敵なの。だからこそ攻略対象外っていうのが悔しくてさ~。誰とも結ばれないエンドばっかり選んじゃうんだよねー。好きな台詞再生する度に、耳が幸せすぎて死ぬ」


 脳内で再生し上半身を自分で抱き締めると、千晴の目が打ち上げられて3日は放置された魚のように曇った。


 「あんたがキラキラした瞳で語る話題が乙女ゲームだけっていうのが残念すぎるわ」

 「千晴は乙女ゲーやったことないから分かんないんだよ! 二次元の彼氏はほんっとに最高なんだからね!?」

 「ほーお。ちなみにどの辺が?」

 「顔」

 「……」


 残された僅かな目の光がすぅっと消えた。そこはかとない圧を感じて背筋が寒くなる。弁解のため、慌ててずいっとテーブルに身を乗り出した。


 「ほ、ほら! 二次元は裏切らないもん! 他に可愛い子がいたって見向きもしないし、あたしのことすっごく大事にしてくれるんだから! ピンチに絶対駆けつけてくれるヒーローなんて現実にはいないでしょ? 浮気しない一途なイケメンが、あたしみたいな負け組を相手にするわけないじゃん」


 思い切り憐憫のこもった双眸に射貫かれて、鈴加は怯んだ。だけどこれだけは譲れない。そりゃあ生物としては美しいに越したことはないが、自分の容姿を棚に上げて高望みをするほど図々しくはない。


 たいていのイケメンには同程度かそれ以上の美女が隣にいる。彼らが仲睦まじく並んでいるのを目撃するだけで神々しすぎて目が潰れそうになる。だからリアルなイケメンは鑑賞専用だ。アイドルと同じで、遠目に眺めているからこそ幸せになれる。


 うっかり迂闊に近付けば、「僕に何か用かな?(訳:キモイからこっち見んじゃねーよ、このブス!)」などと邪険にされるのがオチで、奇跡的に友人Aのポジションを得たとしても、周りの女子から抜け駆けしたとハブられてしまう。


 「あんたの大好きな"N様"だって生身の人間でしょ」


 呆れたように突っ込まれ、首を左右に振った。


 「"N様"は特別だよ。現実の男に疲れた女性を癒やすために、乙女ゲームの世界から降臨したんだと思う」

 「中二病思考もここまでくると救いようがないわね。このままじゃ喪女道まっしぐらで一生処女……ってヤダ! 何ジュース吹き出してんのよ、汚いー!」

 「だ、だ、だだだだって千晴が変な言いがかりつけるからっ!」

 「事実でしょうよ! ってか私このあと待ち合わせなのに! もうっ今日は鈴加の奢りだからねっ! でなきゃあんたの黒歴史、大学の食堂で叫んでやるわ!」

 「そ、そんなぁ! そんなことしたらあたしが隠れオタクってバレちゃうよ!」

 「知らない! 自分の趣味も正直に話せないなんて、後ろめたい証拠じゃないの。いい加減、今どきの女子大生ぶって派手な子達とつるむのやめなさいよ。その爪も髪型も全然似合ってない」


 憤然と席を立った千晴がトイレへ直行するのを見届けると、鈴加は項垂れた。本日一番のボディブローに返す言葉もない。


 鈴加は元々地味で目立たないタイプだ。休日には一日中家にこもって部屋着で過ごす。周りに気を遣わず大好きな乙女ゲームに熱中する時間が何より至福だった。それが揺らいだのは、大学の入学式だ。

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