第30話 穏やかなひととき


 土曜の夜、朱里は九条の自宅を訪れた。居候&物件探しのお礼についてリクエストを訊いたところ、以前作った肉団子鍋が食べたいと言われたのだ。大したもてなしにもならないが、休日に出かけるよりは家でゆっくり寛いでもらえた方が心身の疲れを癒やせるだろう――そう考えて快諾した。


 しかし居候していた頃と違い、客として招かれるのは初めてのことだ。朱里はやや緊張したが、玄関で出迎えた九条の温かい笑顔を見て安堵した。久しぶりに訪れた九条の家は全く変わっていなかった。スタイリッシュな内装、綺麗に片付いた部屋、そして九条の気配が心地いい。


 手洗いを済ませた朱里がキッチンに顔を出すと、九条はカウンターに食材を並べていた。


 「悪いな、わざわざ買い出しさせて。重くなかったか?」

 「大丈夫ですよこのくらい。それと、九条さんは座ってて下さい。手伝ってもらったらおもてなしにならないじゃないですか」

 「二人でやった方が早いと思うけど」

 「ぐ……っ!! それはそうですけど! 九条さんが居るとほとんど代わりに調理されちゃうからダメです! 立ち入り禁止!」

 「おい、こら押すなって」


 ぐい~っと九条の背中を押してキッチンから退散させようとしたが、思惑どおりにいかなかった。なぜか九条はリビングでなく、キッチン前のカウンターにあるスツールチェアに腰かけた。そこからは調理中の朱里の姿が丸見えである。


 「なんのつもりですか。あっちで大人しくテレビでも観てて下さい」

 「あんたが料理してるの見る方が楽しそう」

 「んな! 悪趣味にも程がありますよ!!」

 「どこに居ようが自由だろ。俺の家だし」

 「それはっそうですけど……」

 「じゃあ文句言わずに手を動かす。もたもたしてると日付変わるよ」

 「鍋に何時間かかると思ってるんですか! もうっ」


 カチーンときた朱里は憤慨しつつ食材に手を伸ばし、下ごしらえを始めた。九条の視線が落ち着かないが仕方あるまい。諦めてなるべく意識しないよう調理に集中した。一度作ったことのあるレシピなので初回よりは手際が悪くない。トントンと規則正しい音を立てながら野菜を切る朱里を眺め、九条はカウンターに頬杖をついた。


 「へぇ、成長したな」

 「おかげさまで。居候をきっかけに食生活を見直して、自炊の回数増やしたんですよ。毎日ってわけにはいきませんけどね。九条さんはご実家にいらっしゃる時から料理されてたんですか?」

 「両親共働きだったから必然的にな。兄も出かけてることが多かったし」

 「なるほど、家事スキルの高さに納得です。しかも親孝行ですね」

 「別に大したことじゃないだろ」


 平然と答える九条を横目に朱里は「耳が痛いです」と苦笑した。


 「うちは母が専業主婦で、ぬくぬく実家暮らしだったんで一人暮らし始めた時は大変でしたよ。今でもたまにキッチンが魔海化します」

 「それは想像できるな。でもあんたを甘やかしたくなる家族の気持ちはちょっと分かる。美味そうに飯食うしな。あれは反則だ」

 「人を食い意地お化けみたいに言わないで下さいよ!」

 「褒めてるんだよ。あんたは居るだけで家の中が明るくなる。『朱里あかり』って名前、ぴったりだな。漢字は違うけど」


 さらりと告げた九条の笑みが優しくて、心臓が跳ねた。ドキドキする鼓動を抑えようと鍋に食材を並べて気を紛らわせた。


 「それなら九条さんの名前の方が合ってると思います。地元に神社があるんですけど、そこ、蓮の池があって、6月頃観に行くとすごく綺麗なんですよ。大きな丸い葉が茂る中で、まっすぐ空に向かって咲く蓮の花は凜としていて、背筋が伸びるというか……」

 「ふーん。あんたは俺のことそんな風に思ってたんだ」

 「え……あっ!?」


 みるみる真っ赤になった朱里は猛烈に後悔した。ニヤニヤ笑みを浮かべる九条は完全に面白がっている! セットした鍋に蓋をして火にかけ、慌ててエプロンを外した。恥ずかしくて九条の顔を見れなかった。



* * *



 約30分後――


 テーブルセッティングを終えた朱里はクツクツ煮える鍋の蓋を開けた。途端、出汁のいい香りが白い湯気と共に立ち上り、ふんわり広がる。程よくしんなりした野菜と大きめの肉団子が崩れずに並んでおり、ホッとする。


 「雪村特製☆肉だんご鍋、完成しましたぁ!」

 「ありがと。思ったより早かったな。貸して、俺が運ぶ」

 「火傷しないで下さいね」

 「はいはい」


 九条が鍋を運び、朱里は背を追いかける。テーブルに鍋が置かれ、二人着席した。「いただきます」と両手を合わせて箸を取る。世間話をしながら半分ほど鍋の具材が減ったところで、朱里はふと疑問を投げかけた。


 「そういえば、わたしの後任っていつ頃決まるんでしょーね」

 「あんたが室長に前向きな返事をしたらすぐ検討されるだろうから、近いうちに決まるんじゃない」

 「引き継ぎの準備しなきゃですね。机のフォルダ整理しないとぶっちゃけカオスです」

 「まぁまだ時間はある。無理せず少しずつ整頓しな」


 淡々と食べ進める九条は涼しい顔をしている。きっと朱里の異動は何でもないことなんだろう。こうしてプライベートな時間を共にしてもやはり部下の枠を出ないのだ。食欲が萎えたが、せっかくの楽しい時間を台無しにしたくない。朱里は気を取り直して笑った。


 「思い返してみると色んなことがありましたね~。九条さんをギャフンと言わせる気満々だったのに、志半ばで異動なんて残念です」

 「発想は穏やかじゃないが面白そうだ。なんなら残り数ヶ月でリベンジしな。いつでも相手になるよ」

 「いやいやその顔、絶対返り討ちにするつもりですよね?」

 「刃向かわれるほど燃える」

 「ドS!!」


 警戒態勢に入った朱里がさっと身構えたので、九条は可笑しそうに肩をすくめた。その後しばらく会話が途切れ静かに食べ進めたが、九条が沈黙を破った。

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