第2話 腹黒王子の侵略
泣こうが喚こうが、月曜の朝はやってくる。
早めに出勤した朱里はパソコンでメールチェックしていた。執務机の上にはお気に入りの観葉植物とテイクアウトしたてのアイスカフェラテ。部室の冷蔵庫には夏の間アイスコーヒーが常備されているが、この日は気分が荒れていた。ストレス緩和&胃粘膜保護のため乳成分プラスだ。
「せーんぱいっ。珍しく肌キレイじゃないですか? 何かありましたぁ?」
「ない!!」
地味に失礼な質問にカッ! と目を見開いて答えると、後輩の『うさみん』こと
無心でキーボードを連打する朱里の顔を覗き込む宇佐美。くそぅ、なんかいい匂いがして集中できん。女子力レベルの格差に朝からノックダウンされそうだ。
「あ、宇佐美さん。おはよう。今日も可愛いね」
「ありがとうございますぅ~」
愛想良くハートマークを飛ばす宇佐美を横目に、朱里はため息を吐いた。
宇佐美は男性に褒められ慣れていて、いつでも純度100%の営業スマイルを返す余裕がある。なんせ彼女は社内でも指折りの美女だ。色白で黒髪ロングがよく似合い、小柄で華奢な体(でもでるとこはちゃんと出てる)は同性でも憧れる。ただし手で掴めそうな小顔だけに、隣で写真を撮ると自分の顔がフランケンシュタインばりに膨張して写るという恐怖の特典付き。
前回の歓送迎会で撮った集合写真――もちろん位置は宇佐美の隣――で漏れなく被害に遭った朱里が呻くと、宇佐美は興奮した様子で朱里の両肩に手を置いた。
「そうそう、聞きました? 今日、
「九条王子って誰?」
「えーーー!! 先輩知らないんですかぁ? 社内1の超~~~~優良物件ですよ!? これだから干物……恋愛ネタに疎い先輩は!」
「……今さらっと『干物』扱いしたよね?」
「気のせいじゃないですか?」
しれっとあさっての方を向く宇佐美を前に頰が引き攣る。まぁ確かにね。社会人になって以来、無難な地味系OLコーデでオシャレとは無縁の生活を送ってきましたよ。でも清潔感があればOKでしょ? いちいちネイルサロンだのエステだの通ってられないっての。楽しみといえばせいぜいたまのプチ贅沢ランチか、デスクワークの大敵☆腰痛・肩こりを改善するカイロプラクティックくらいだ。
「ん? 待って。九条……って、
「なんだ知ってるじゃないですかぁ」
「九条さんは2個上の先輩で、同期の間でも名前だけは有名だったしね」
……にしても。どこぞの名門大学を卒業した期待の星、生粋のエリート様か。女子に人気ということは当然外見にも恵まれてるんだろう。こちとら人事評価の厳しい会社で首の皮一枚つなげるために社畜人生まっしぐらで女捨ててきたっつーに、世の中不公平だ。
「先輩、眉間に皺寄ってますよ?」
「え!? あ、あはははは」
はっ! いかんいかん。とあるコラム『醜い嫉妬は老化を加速させる説』を見てビビりまくりの朱里は曖昧に笑って取り繕った。
「あっ噂をすれば……」
声を潜めた宇佐美が、おそらく至上最高のアイドルスマイルを披露した。と同時に室内の空気が引き締まる。室長に連れられて入ってきた男性を迎えようと、同僚がパラパラ席を立つ。朱里もつられて腰を上げた。
彼が通り過ぎた瞬間、フワッと香る控えめなグリーンノート。ダークグレーの細身のスーツはオーダーメイドなのか完璧にフィットしている。颯爽と目の前を横切っていく眼鏡の男は静かな自信に満ち――緩やかな笑みを浮かべている。
(う、わーーー。これはうさみん興奮するよなぁ。てか期待以上の上物……!)
ピシャーンと衝撃を受けたのは朱里だけじゃなかった。普段は戦闘モードで脇目も振らず仕事一直線の女性社員も目を丸くしている。男性社員達は危機感を抱いたのか、心なしか背筋が伸びている気がしなくもない。
前に出た室長は軽く手を叩いて皆の注目を集めた。
「ちょっといいかな? 今日から是枝さんの後任として新しく配属になった九条くんだよ。実は彼を引き抜いたのは僕でね。人事課にしつこくラブコールした甲斐があったというわけだ」
室長の話を半分聞き流しながら、朱里は眼精疲労で霞みまくりの目をこれでもかと見開いて九条を見つめた。くぅ~! あんないい男と同じ空気吸ってたらそれだけで女性ホルモン分泌されるかも……! これから秋冬にかけて乾燥が厳しい季節。潤い、切実に求む。
簡単に紹介された九条は全員に向かって眩しい笑顔を浮かべた。
「ただいまご紹介に預かりました九条です。どうぞよろしくお願い致します」
ボリュームが小さくてもよく通る低い声。お辞儀をする動きは流麗で無駄がない。内心よだれ垂らしまくりで釘付けになっていた朱里はふと既視感を覚えた。
(ん? 待て待て。あの人どっかで見たことあるような……)
目玉からビームを放ちかねない勢いで凝視して、あっと息を呑む。巻き戻される忌まわしい記憶。イケメン悪魔によるキス強奪事件で脳内画面はストップした。
「あーーーーーーーーーーっ!!??」
――――コンビニの腹黒エセ王子じゃん!!
暴言をどうにか抑えたものの、朱里の野太い雄叫びは室内に響き渡った。周囲の視線が集中する中、「あれ、雪村さん知り合い?」と室長に訊かれてギクッとした。
「い、いえ! すみませんちょっと驚いてしまって」
やっべーなにやってんだわたし! 真っ赤になってしどろもどろ弁解すると、室長は少年のように悪戯っぽく笑った。
「そう? 確かに九条くんはびっくりするくらい恰好良いけど、今は落ち着いてね」
ブハッ!! 我慢できず吹き出した朱里の声は、室内でどっと起きた笑いに掻き消された。……おのれ九条! 乙女の純情を弄ぶに飽き足らず、職場での立場まで脅かすとはなんたる冷血漢!
(バーカ)
睨みをきかせる朱里に、無音声で放たれた一言。九条の微かな唇の動きを朱里は見逃さなかった。余裕綽々の笑みで応じる九条は憎らしいほど魅力的だがしかし! 我らはハブとマングース! 騙されるな~うさみん以下社内の女子諸君! 奴は王子の皮をかぶった腹黒大魔王だっ!
がるるると敵意むき出しにしたいのをなけなしの理性で押し留めると、九条はさらに口角を上げた。
「雪村さんとおっしゃるのですね。初めまして。これからよろしくお願いします」
「!!」
さらっと『俺ら初対面☆』アピールをした腹黒エセ王子に頭の中で警鐘が響いた。急速に脅かされる日常。もはや安寧の地はない。他人のパーソナルスペースにずかずか入ってくるこのド厚かましい失礼野郎になんとか一矢報いたい。
ぬぬぬ今に見ておれ九条蓮……。いつかギャフンと言わせてやる!
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