稲原夕海とS&Gコントロール

皆さんは『デュナミスフォース』という漫画をご存じでしょうか? 2020年代に漫画雑誌『少年グラビティ』で連載されていた中田シンタロウによる作品で、未完のまま打ち切りとなりましたが、13巻まで単行本化されています。


デュナミスフォースと呼ばれる超能力に目覚めた人々が、あらゆる願いを叶える力を持った「皇玉おうぎょく」を巡り争いを繰り広げるというストーリーです。


あらすじだけを見ればよくある少年漫画という印象ですが、この作品の特徴は登場する超能力がどれも風変わりである点です。


たとえば、中ボス級の悪役であるローナルト・ローゼンシュタインのデュナミスフォース〈エンペドクレス〉は周囲の物質を火、水、土、風の四属性に強制的に分類し、火は水に、水は土に、土は風に、風は火に強いという優劣関係を作り出すものです。 ローナルト自身は四属性全てに対して無敵の「愛」という属性になります。


ローナルトの手下であるアントニオ・アダーニのデュナミスフォース〈パーフェクト・イノセンス〉は人を殺傷しても悪とみなされない刀物を造り出します。彼の掌から生み出される武器で殺傷行為を行えば、誰もがそれを悪と認識できないだけでなく、本人も罪悪感を感じないのです。


このように、デュナミスフォースの力はどれも個性的です。


主人公である十四歳の少女 稲原いなはら 夕海ゆうみ のデュナミスフォースは〈S&Gコントロール〉と呼ばれています。S&Gとは「セックスとジェンダー」のことで、名称の通り彼女は生物学的な性別や「男性はこうあるべき」「女性はこうあるべき」といった社会規範を操作できるのです。


物語の序盤において、彼女は虫を操るデュナミスフォースの使い手と対峙します。虫使いはスズメバチの軍団を差し向けるのですが、雄のスズメバチが針を持たないことを知っていた夕海は、蜂を全て雄に変えることで攻撃を防ぎます。そして最後は、肉体を極限まで男性化して筋力で圧倒し敵を倒しました。


夕海には 白河しらかわ 憲蔵けんぞう という四十七歳の男性の「友人」が居ます。 十四歳の少女と中年男性が友人関係というと違和感がありますが、ここも設定が練られていて、夕海の〈S&Gコントロール〉の力は常に微弱に流出しており、彼女の周囲三百メートルの範囲では性別や年齢を問わず全ての人間が対等な関係を築くことのできる力場が形成されるのです。


夕海は年齢に関する規範そのものは操れないものの、憲蔵との関係において女性が上位という規範を形成することで年齢による上下関係を相殺しています。この力場のおかげで夕海は憲蔵にタメ語で話しますし、夕海と憲蔵が同じ部屋に泊まるシーンも度々登場します。勿論、憲蔵が夕海に劣情を催したりすることはありません。


夕海の能力が面白いのは幅広い応用が効くことです。


男性になって女人禁制の地域に入る、性的魅力を上昇させて男性を誘惑する、性欲を喪失させて乱暴を阻止する、敵の組織で性的逸脱を発生させて混乱を招くなどのスタンダードなものは勿論、かなりユニークな能力の使い方をしたエピソードがあります。


夕海の前に〈ダークスフィア〉というデュナミスフォースの使い手が現れます。この能力により生み出された黒い球の周囲では、球と反対方向に人体を含む物体を移動させることが出来なくなるのです。


その強力な力の前に夕海は圧倒され、ボロボロの状態まで追い詰められてしまいます。〈ダークスフィア〉の使い手は衰弱した彼女を前にトドメを刺そうとするものの、こう言って攻撃を中断するのです。


「すまんが、オレは女に手を上げるようなタチじゃネェんだ」


ここまでなら、よくある少年漫画の展開かもしれません。しかし、『デュナミスフォース』の世界はそう一筋縄ではありません。


なんと夕海が〈S&Gコントロール〉の力で周囲の「男性は女性を殴ってはいけない」という規範を二十倍に強化することで、敵の攻撃を封じていたのです。夕海はこの隙を付いて反撃に転じ、見事勝利を収めました。


他にも「女性はおしととやかでなくてはならない」という規範を強化して女性からの攻撃を防ぐ場面もあります。前述の男性から女性への攻撃を封じる技には〈勘違い騎士道の鎧フォルス・ナイト・ボンデイジ〉、女性による攻撃を封じる技には〈力強き乙女の檻メイデンズ・ケイジ〉というもっともらしい名前が付いています。


極めて付きは彼女の必殺技です。名前は〈レプトストリーム〉。その内容はナント「レイプを具現化した光線を発射する」です。


主人公(しかも女の子ですよ)の必殺技がレイプなどという少年漫画がかつてあったでしょうか。


ちなみにデュナミスフォース能力者は強力な必殺技を使用する時「祝詞のりと」という呪文を唱えなくてはいけません。夕海のレプトストリームの祝詞は次のようなものです。


世に於いて

愛と騙られしものの

真なる姿

刃となりて

降り注げ

レプトストリーム!!


創作において「性」というものは物語の枠外にあるものとして扱われがちです。


読者ウケするためにヒロインをセクシーなデザインにしたり、ご都合主義的な恋愛関係を描いたりしなくてはいけないことがあります。また、ヒーローは敵を殺しても犯すことはできませんし、女性の悪役を殴ると見栄えが悪いという問題もあります。


中田シンタロウさんによれば、そうした漫画創作のメタ的な部分を能力という物語の枠内に落とし込みたいという思いが、稲原夕海というキャラクターの造形に繋がったとのことです。


なお、レプトストリームの祝詞には、セックスという行為は合意という例外的な状況下では愛となるとしても、それ以外の全ての局面において悲惨な事態を生み出すものであるのだから、本質は暴力に過ぎないという作者の考えが込められているそうです。


色んな意味で男性らしいペンネームの中田シンタロウさんですが、今まで性別を明かしたことはありません。ネットでは女性説も囁かれていますが、本当のところどうなんでしょうか。

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