光の乙女 外伝集

谷兼天慈

僕が僕であるために

「………」

 彼女は横になっていた身体を気だるげにもたげた。

「誰か、この氷の世界に入ってきた?」

 シャラリと金色に煌くピアスが、長く尖った耳で重たそうに揺れる。

 ゆっくりと立ち上がる竜神スレンダ。

 浅紅色の髪が揺れ、二本の立派な角がとても印象的だ。薄物をはおっただけの身体は誰が見ても肉感にあふれており、どんな男でも魅惑されずにいられないといった感じである。

 彼女は豊かな睫毛で飾られた、髪と同じ色の目を閉じた。何かの気配を探しているようだ。

「精霊たちが騒いでる……」




 ここは凍てつく氷に覆われた最果ての大陸コーランド。

 彼は凍れる大地に立ち、開かれた瞳に映るその白く透明な広がりを見つめ、立ちすくんでいた。

 彼────マリーである。

 左手にはフィドルを、右手には弓を携えて立っている。

 深い琥珀色の髪が冷たく吹きすさぶ風になぶられている。その色と同じ瞳は瞬きもせずに開かれ、何の感情も見せていないようだ。

 いや、そうではない。

 時々、その瞳の奥にいつか見せたことのある揺らぎが浮かんでいる。

 まるで無理矢理に感情を押し殺しているようなその揺らめき────

 その揺らめきに応じて彼の髪が瞳が、琥珀色から銀色へと代わる代わる変色を繰り返していた。

「邪神なんか愛さない、か」

 彼はボソリと呟いた。苦々しげだ。

「さすがの僕もこたえたな。全くこの僕ともあろうものが……逃げてきてしまうとは」

 彼は悔しそうに唇を噛んだ。

「彼は今頃笑っているだろうな」

 ジュークの微笑む顔が一瞬頭をよぎった。

 そして、さきほど繰り広げられた顛末を思い出す。



「まったく、あの女たち何を考えてんだろーねっ!」

 シモラーシャが憤然とした顔で息巻く。

「何を言ってんですか?」

 マリーは首を傾げて、愛しい女性の顔を見つめた。

「…………」

 そんな二人をさりげない微笑みを浮かべて見つめるジューク。

 彼ら三人はある川のほとりで今まさに食事をしようとしている最中だった。

 魔法の塔の惨劇に終止符が打たれ、皆と別れて旅立ったシモラーシャたちである。

 とりあえず、ジュークの話を聞くところによると、邪神との戦いのための切り札が今この世界へ向かっているとのこと。

 それはオムニポウテンスの孫にあたる神の子たちで、太陽、月、大地の申し子であり、それぞれがいずれは太陽神、月神、大地神となるべく存在であるという。だが、今はまだ幼すぎるために、三位一体にならなければ力を発揮できないということだ。

 しかし、その子供たちのうちの二人はすでにこの世界に存在していて、ジュークの情報によると、月の子である少女は東の砂漠のどこかにいるはずなのである。

 ということで、当面彼らの向かう先は砂漠ということになっていた。

「リリスとリリンよ」

 シモラーシャは吐き捨てるように言った。ジュークに諌められ、いったんは忘れようとした彼女だったが、どうにもおさまらないらしい。

「ああ…あの健気なお嬢さんたちですねえ?」

「健気、ですってぇ?!」

 とたんにシモラーシャの悲鳴のような叫び声が上がった。思わずびっくり顔のマリー。

「あんたねえ、健気って……そんなにあの女たちの肩持つ気?」

「え…? あ、いや、そのぉ……」

 まくし立てられてマリーはすっかりしどろもどろである。すると、シモラーシャは何かを思い出しようにさらに声を上げた。

「あー、そーいや、あんた。あいつらが邪神を愛するっつったら、さもうれしそーな顔してたじゃん? あれどーゆーことよっ!」

「ええっ?!」

(マズイっ! 気づいたか?)

 マリーは本気で真っ青になっている。

 だが、シモラーシャはマリーの答えを待つまでもなく轟くように言い放った。

「あたしは絶対に邪神なんか愛さない!」

「!!」

 マリーの心に深く言葉が刺さる。

 そして次の瞬間、彼はそこから脱兎の如く逃げだしたのだ。



 それにしても────

 寒々とした氷の世界を見つめながら思う。彼の心はその風景よりも凍てついている。

 彼女に───シモラーシャ・デイビスに自分の正体が知れてしまったら僕はどうするだろうか。そして彼女は?

 こんなに彼女のことを愛しく想うようになるとは考えもしなかった。彼女がまだ彼女でなかった頃から見つめてきているが───

 はっきり言ってシモラーシャはあまりにも人間過ぎるのだ。

「そこがまあ、深入りしすぎた原因だと思うがね……」

 マリーは深くため息をつく。

「彼女の、あの生きることに対する執念のような執着心……」

 彼の瞳が再び遠くを見やる。その目線はぼんやりとしている。

「生きることはとても辛いのに……どうして…?」

 異形なる者として全ての仲間から疎外され続けたかつての自分。

 否定されればされるほど、一体自分は何のために生まれてきたのか判らなくなって、気の狂いそうなほど精神がボロボロになった思い出したくもない遙か昔の出来事。

「銀色の世界なんて大っきらいだ! くそくらえっ!」

 マリーは怒鳴った。普段のマリーとはまったく違う表情をした男がそこにいた。

 いったい彼の過去に何があったのだろうか。恐らく、その過去のせいで、彼はこのように複雑な性格の人物となってしまったのだろう。

 すると、とたんに彼の表情が穏やかになった───いや、穏やかというよりは、まるで心をどこかに置いてきてしまったように無表情な顔つきだ。

 その彼がぽつりと呟く。

「この世界は本当に居心地がいい」

 彼はスーッと目を閉じた。そしてその場に座った。

 フィドルを構えるとゆっくり弓を横に引く。

 途端に辺りの空気が変わった。

 彼の周りの空気がキラキラと輝きながら結晶に変化していく。

 そこへ強く風が吹き荒れ、スターダストを作りだしている。

 ───サァァァァ───

 彼は弾きこめば弾きこむほど、その姿形を徐々に変化させていった。

 肩までの髪の毛がだんだんと伸びていき、それに伴って色も濃い琥珀から薄くなって輝きを見せてきだした。

 周りの氷よりも冷たいその銀の煌きに包まれた御髪は、彼を扇状に取り囲み、まるで生きているようにうねり、波うっていた。

 肌は色白であったのが、より一層の白さをまとい、赤い血管が見えてしまいそうなほどだった。

 瞳は相変わらず閉じられたままだった。

 無表情の仮面の下には一体どんな想いがめくるめいているのだろうか。

 彼の弓が静かに静かに、しかし心なしか熱を帯びて操られ、楽音が紡ぎだされていく。するとその音に引かれて集まってきだした者たちがいた。

 小さなその生物は、その身体に良く似合う透き通った羽を持っていた。


 気高く響くその楽音

 愛しき我等が友

 紡ぎだすその心

 懐かしい愛おしい

 遙か昔の栄華の極み

 闇を照らす一筋の光条

 我等は呼ぶ

 楽音の王よ

 音神マリスよ


 精霊たちの歌声である───

 囁くように歌われる精霊たちの声に、応えるかのように彼は弾き続けていた。

 しばらくの間、そこだけ春のような空気に包まれて、氷の精霊たちも心地よく彼の周りを戯れる。

 ───ビィン……

 と、彼の弓が唐突に止まった。

 精霊たちも黙ってしまい動かなくなる。

 彼は弓を持つ手を下に降ろし、ジッと待つ。目は未だ閉じられたままだ。

「お久しぶりね。マリス」

 しゅるりと───それこそそんな形容がぴったりな現れ方であった。

「驚いたわ。あなたはまだ封印されているものとばかり思っていたのに」

 竜神スレンダである。

「スレンダ……でしたか。あなたも来ていたのですね…」

 ゆっくり───本当にゆっくりと彼の、マリーの、いや音神マリスのその双眸が開かれていく。

 何もかもその色に染めてしまいそうなほど、それほどに清冽な銀の瞳。

 スレンダは思わずゴクリと喉を鳴らした。

(なんて冷たく美しい銀────)

 彼女は昔からこの美しい銀の瞳を愛しく感じる傍ら、非常な恐怖も感じていた。

 心の奥底まで見通すようなその炯々とした眼光を───

 神聖な竜族をおさめる竜神スレンダは、闇王イーヴルに身も心も捧げていないただ一人の神だった。

 彼女の魂はいつも自由で誰にも束縛されない。イーヴルがこの世界を統治していた頃は気まぐれで彼の元に身を寄せていただけだったのだ。

 だからこそ彼女は『気まぐれ王』という別名を持っているのだった。

 だが、運悪くあの戦いが起きてしまった。そのせいで永い間、不本意ながら封印されていたのだが。

「スレンダ、あなたは何を望んでいるのですか?」

 マリスはその銀の瞳でジッと見つめたまま、唐突にスレンダに問いかけた。

 彼女はフッと笑う。

「別に。私は望みなど何もない」

「そうですか?」

 身じろぎもせずにマリスは見つめ続ける。

「そうね……」

 その瞳に負けた彼女は答えようとする。だが言葉に詰まった。

 それをマリスは黙ったまま促す。

「ただ…できれば…私は知りたい。あの方の本当の望みをね」

「あの方の……」

 マリスはスッと彼女から視線を外した。

 銀の瞳がそらされて、スレンダはほっとし、さらに続ける。

「そう。あの方が五千年前戦いを仕掛けたのはなぜか」

「戦いを仕掛けてきたのは善神の方ではなかったですか?」

 彼女の言葉にマリスは静かに反論する。すると、スレンダは声を荒らげた。

「これは笑止! あなたは知っていたのでしょう、マリス?」

「何を……」

「戦う必要なんてまったくなかった!」

 彼の言葉をさえぎるスレンダ。

「善神オムニポウテンスはイーヴル様を諌めに来ただけだった。戦うつもりは全く無かった…」

「!!」

 マリスの顔が強張った。それをスレンダは見逃さない。

「あなたは知っていたのでしょう?」

 スレンダの言葉はマリスの心に深く深く突き刺さったらしい。心なしか彼の身体が震えている。

「音神マリス。私は昔からあなたを信用していなかった」

 スレンダは辛辣に告げた。

「私は竜族の神───だけどこの世界の精霊たちをも統べている。この世界の全ての生きとし生ける物に宿る精霊たち。彼らはこの世界と意識を共有するものたちよ。異質なものとそうでないものとをかぎ分けるのは、何も魂神マインドだけじゃあないの。それが何を意味するか、あなたにはわかっているでしょう?」

 ヒョォォォォ───と、スターダストが二人の周りを取り囲む。

 太陽の光も届かぬこの極寒の地、二人の神の自ら放つ光で、それらはキラキラと煌き輝いていた。

 マリスは今や、見る者をその暗然たる狂おしい境地に陥れようとするかの如く、悲痛な表情を現していた。

「イーヴル様でさえ知らない私の秘密をあなたは知っているというのか?」

 マリスの声音は恐ろしいほど感情が押し殺されていた。その表情とは全く裏腹だ。

 一瞬スレンダは怯んだ。しかし続ける。

「私たちの世界の住人ではないということだけよ、知っているのは」

「それだけ知っていれば充分だ」

 マリスの長く輝ける銀の髪がフワリと浮き上がり、同じ色のその双眸が鈍く光る。

「………」

 スレンダはその時、身の危険を感じ、瞬間、結界を張って逃げようとした。

 が、一瞬遅れた。

「ハウッ!」

 ひるがえった彼女の背中から鮮血が飛び散った。右肩から左腰にかけて、まるで剣ででも切り付けられたかのように。

 だが彼女も満身の力を込めてこの場から逃げだした。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 スレンダが消えてしまってからもマリスは肩で荒く息をしていた。

 怒りを───どうしようもないほどの迸りを何とか静めようとしている。


 辛い

 哀しい

 心が泣いてる

 おお

 可哀想な楽音の王よ


 精霊たちがそっとマリスに寄ってきて歌いはじめた。

「うっ、うううう………」

 彼はその場にどっと泣き崩れてしまった。

 そんな彼の周りを、優しく精霊たちが囁きながら手を差し伸べ歌っている。

「ああ! シモラーシャ、シモラーシャ、シモラーシャ!!」

 彼は顔を上げ、目を閉じ、渾身の力をこめて愛する人の名前を叫んだ。だが、すぐに崩れ落ちる。そして、繰り言のように呟く。

「シモラーシャ、僕を助けて。貴女の愛で僕を救い出して。僕が僕であるために……」

 彼の呟きは嗚咽とともに漏れていた。

 まるで心が血の涙を流しているかのような、それはあまりに悲痛な声だった。



 氷の宮殿の奥深く、浅紅色の髪をフワリとさせ、彼女は清潔そうですっぽり沈んでしまうベッドにうつ伏せになって苦しんでいた。

「あっつつつつ………」

 スレンダは顔をしかめて身じろいだ。


 お労しや痛ましや

 竜神よ

 我等が精霊王よ

 哀しい傷

 凍れる心の

 楽音の王よ

 傷が泣いている

 辛い辛いと


 小さな精霊たちがスレンダの周りを労るように飛び回っていた。

「きゅうーん…」

 精霊たちに囲まれて、小さな竜が心配そうに鳴いている。

 彼女は痛みで表情を歪めながらも、弱々しくその子竜に微笑みを向けた。

「心配しなくていいわ。大丈夫……」

 彼女は再び白いシーツに顔をうずめると、痛みを我慢しようと精神を集中させた。

 その苦痛の中でも彼女は考えないではいられなかった。

 この傷は恐らく自分の力では治るまい。

 彼の力をこの身に受けた時、それと一緒に狂おしいほどに切ない彼の心の叫びを彼女は垣間見た。

 彼女は愕然とした。あのいつも憎らしいほど泰然とし、悠揚に構えていた美貌の貴公子が、その冷厳な仮面の下にあのような熱く滾る想いを秘めていたとは。

 氷神バイスの凍てついた魂よりも冷たく、炎神ディーズの燃え盛る情熱よりも熱いこの傷は彼の心のそれと同じだ。

 彼の心が救われない限り、この傷は治らない。

「せっかく復活したのに思い通りにいかないものね」

 彼女は辛そうに寝返ると仰向けになった。

 そこへわらわらと精霊たちが寄ってきた。子竜も悲しそうな顔を向けている。


 王よ

 我等が美しき王よ

 我等の友を

 許したまえ

 王よ


 スレンダは仕方ないわねと言いたげに可愛い子供たちに目を向けた。

 手を弱々しく差し出す。精霊たちがその手にまぶわりつく。

「お前たちはマリスが好きなのね」

 判っていた。得体の知れない存在ではあるが、嫌な感じはしなかったから。

「あなたの真実の姿も知りたいわね」

 彼女は憂いを帯びた紅色の瞳をそっと閉じる。

「私はあなたのその可哀想な心が救われるまで眠りにつくことにするわ。全く…私の玉のような背中に傷を付けるなんて。この次目覚めた時、覚えてなさいよ」

 彼女は次の瞬間、凍りついたように動かなくなってしまった。


 おやすみなさい

 我等の王よ

 安らかに

 深く優しく

 まどろみの夢の中


 透き通った羽のような薄布を、精霊たちは何枚も何枚もスレンダの上に重ねていった。

 これより彼女はマリスにつけられた傷が癒えるその時まで、自らをこの氷の世界に封印することになったのだった。

 外界ではブリザードが吹き荒れている。

 すでに精霊たちは跡形も消えていなくなり、自分たちの王の眠りを守るかの如く、スレンダの傍に集まっていた。

「きゅうーん、きゅうーん……」

 死んだように眠る麗しの竜神の傍らで、子竜はいつまでも悲しそうに鳴いていた。




 一方マリーはというと────

 すっかり意気消沈した恰好でとぼとぼ歩いていた。

 すでに彼は元の姿に戻っており、空間移動でもといた川のほとりの近くまで来ていた。彼は徒歩で帰ろうとしていたのだ。

 空には星が輝き始めていた。彼の周りをうっそうとした森はどこまでも続き、それほど夜半というわけでもないのに暗闇がねっとりと周囲を取り巻いている。

 風はまったくなく、今夜は少しムシムシとしそうな様子を呈していた。

「はぁ……」

 たまらなく───といった感じでマリーはため息をつく。すると───

「マリィィィィィ─────!!」

 その暗闇を、まるでこうこうと照らすような明るい声が響きわたる。はっとして顔を上げるマリー。

 ───ダダダダダダダァァァ──────!!

 ものすごい勢いで駆けてくる人あり。言わずと知れた美貌の女剣士シモラーシャ・デイビスである。

「……………」

 愛しいはずのその声に、少し怯えたような表情を浮かべるマリー。だが、あっと言う間にシモラーシャは彼の前にたどり着いた。

「マリー」

 相変わらず汗一つかいていない。星明りの下、頬を紅潮させているのは気恥ずかしさからだろうか。

「シモラーシャ……」

「ばかっ!」

 とたんに怒鳴るシモラーシャにマリーはしゅんとした顔をする。

「え……?」

 しかし、すぐに彼は吃驚し、目を白黒させた。

「シ、シモラーシャ?」

 彼の胸に愛しい人の身体が飛び込んできたのだ。

 シモラーシャはひしとマリーの胴体を抱きしめていた。それはおよそ色気のない抱擁であったが、マリーにとってこの上ないほどの幸福感を与えてくれた。

「なんで急にいなくなっちゃうのよ」

 彼女はマリーの胸に顔を押しつけている恰好のため、声は妙にもごもごしている。しかし、その声はとても弱々しく、まるで普段のシモラーシャらしくない。

「シモラーシャ」

 マリーはもう一度ささやく。自分にとってこの世でもっとも大切なその名前を。それから彼はしっかりと愛する人の身体を抱きしめようと両腕に力をこめようとした。

「あたしが悪かった!」

 すると、ガバッと彼女はマリーから身体を引き離し、多少ふてくされたような顔で謝った。

「シモラーシャ?」

 きょとんとした表情のマリー。抱きしめようとした両手が変な恰好で固まってしまっている。

「ジュークにね、言われたの」

 彼女の言葉にそのままの恰好でぴくりと肩を動かすマリー。だが、彼女はそんな彼には気づかず続ける。

「もし仮にあんたが邪神だったらどうかって。それでもあんたを殺すことをためらわないかって」

 心がだんだんと冷たくなっていく───マリーはひしひしとそれを感じていた。

「で…あなたはなんと答えたのですか?」

 おそるおそる聞き返す。祈るような気持ちで。

「そりゃ、邪神は悪いヤツだから問答無用だわよ」

(やはり……)

 マリーは目を閉じた。心が凍りついていく。

 知られてしまったら───自分が邪神であることを知られてしまったら───その時はまた───

「あんたはそりゃーヤなやつよ」

 シモラーシャは続けて喋る。

「お調子もんだし、すけべだし、いやみタラタラだし……まったく、こーんなヤなやつ今まで出会ったこともないわ」

 思わず苦笑するマリー。

「だけど……」

「?」

 マリーは「おや?」といった感じでシモラーシャに顔を向けた。彼女の声がずいぶんとやわらかくなったような───

「シモラーシャ……」

 意外なものを見たといった目で、マリーは目の前の彼女の顔を見つめた。

「あんたはほんっとヤな奴だけど……だけど、あたしは知ってる。あんたがどんなにあたしを第一に考えてくれてるか。そして、どんなにあたしのことを守ってくれてるか。あたしだってそんなにバカじゃない。あんたがほんとはどんなヤツかくらいわかってるつもりよ」

 シモラーシャが今までに見せたことのない表情で微笑んでいる。星明りにほのかに照らされた彼女の微笑みは、マリーにとって手に入れたいと永い間願いつづけたものであった。

(ああ……)

 冷たく凍った心が、春のような暖かさで溶かされていく。

(僕を…本当の僕を受け入れてくれる……)

 それだけでもう彼には充分すぎるくらいであった。

 己の居場所を探し続け、狂ったように何かを追い求める者にとって、あるがままの自分を受け入れてくれる存在は何にもまさるほど手に入れたいものなのである。

 それほど彼は居場所を───愛し、愛されるものを追い求めていたのだ。それがなぜ彼女であったのか───自分なりに答えは見いだしているつもりであるが、実のところ彼には自信がなかった。

 気の遠くなる時の流れの中で、数えきれぬほどの愛も場所も経験してきた彼である。これがまさに『真実』と思えた時も確かにあったのだ。

 だが、今この時、彼は気づいたのである。

(これこそ真実の愛───)

 なぜそう思えるのかわからない。だからこそかもしれない。だからこそこれは己を根底から救ってくれる存在なのだ───と。

(今度こそ信じれる)

 ゆっくり───ゆっくりとシモラーシャに近づいていくマリー。それを微笑んだまま見つめるシモラーシャ。そっと寄り添うように抱き合うふたり。

 言葉はいらない。今度はシモラーシャも押し黙ったままされるままである。マリーは幸せな気分に浸りながらしっかりと愛しい人の身体を抱きしめた。

「!」

 その彼の目が何かをとらえた。

 ジュークである。自分たちを微笑みながらそっと木の陰から見つめている。

 とたんにマリーは顔をしかめた。

(まったく、なんと無粋な人だろう。光輝神官というやからはまるっきり人間味に欠けるんじゃないか?)

 それでもマリーはもう放さないぞといった感じでシモラーシャを抱きしめ続け、挑戦的にジュークをにらみつけるのを忘れなかった。



 それからしばらくして夜もずいぶんと更け、星明りのもと、マリーとジュークの寝床の間でスヤスヤと眠るシモラーシャあり。

 その寝顔を満足そうに見つめたのち、マリーは彼女をはさんだ向こう側に座るジュークに声をかけた。

「一応お礼をいっとくよ」

「いえいえ、私は何もしていません」

 間髪をいれずジュークは答えた。それが妙にマリーの癇に触った。

(やっぱり好きになれない、こいつ)

「だが、君が彼女を説得してくれたんだろ?」

 心ではイヤな奴と思いながらも、それでも殊勝に言う。いつになく素直なマリーであった。

「たとえ私が何も言わなかったとしても、やはり彼女はあなたを殺そうなどと思わないのではないでしょうか。おそらくきっと、あなたが邪神であると告白してもね」

「!!」

 びっくりしてマリーは、傍らで横になっている彼女に顔を向けた。

 しかし、シモラーシャは身じろぎもせずにぐっすりと眠っている。すーすーと気持ち良さそうに寝息を立てながら。マリーはほっと胸をなで下ろす。

「そうだとしても……」

 マリーは愛しい人の寝顔を見つめながら口を開いた。

「僕にはまだそれを告げる勇気がでない」

「…………」

 ジュークはもう何も言わなかった。ただ微笑みを浮かべているだけだ。その顔からは一体彼が何を思っているのかわからない。

 だが、マリーはもうすでにジュークのことなど考えてはいなかった。

 ただ一心に愛するシモラーシャだけを見つめていた。

(僕はやっと手に入れたんだ。僕の居場所。僕の大切な───僕が僕であるためになくてはならない大切な人を───)



 そして、夜は更けていく────

 マリーもシモラーシャもジュークでさえ、すでに深い眠りの中。彼らの前に立ちはだかる数々の困難も今はまだ少し先のこと。

「うう~ん、シモラーシャァ……愛してるぅ~」

 幸せな夢でも見ているのか、マリーのくちもとがほころぶ。

 そんな彼の上には満点の星空が───まるで彼の未来を照らしだしているようにいつまでもきらめいていた。


              初出 2000年6月7日

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