クールにしてホット
頑張ってホットコーヒーを飲んでたけれども、限界だ。
「アイスコーヒー」
「・・・アイスココア」
気にする必要なんかないのに
「暑いね」
「うん、暑い。また屋上に登る?」
「え、えと」
「足の裏で冷やしてあげるよ」
うつむいてしまった。
恵当、かわいい。
さあ、でものんびりイチャイチャと談笑してる場合じゃない。今日は何がなんでも自らに課したノルマ、赤本を3年分やらなきゃいけない。
そして恵当は他者から強制された課題を今日何がなんでもこなさなきゃならない。
そのために粘れそうな喫茶店をわざわざ選んで入ったのだ。
「
「5周目」
「うわ。じゃあ、問題覚えちゃって意味ないんじゃない?」
「ううん、そんなことない。前にも言ったかもしれないけど、繰り返している内に、『音』みたいな感覚で、この問いにはこの解答しかありえない、っていう境地に達するから。そうなったら他の問題も同じ感覚でさらっと」
「嶺紗は頭いいんだね」
「違うよ。センスがいいんだよ」
あ、いまのクールだったな。
よしよし。小説に今のやりとりも盛り込もう。
「で、恵当は? 読書感想文、書き上げられそう?」
「それが・・・書くどころか読むのもまだなんだよね」
「えー? 恵当ともあろう者が!?」
「なにそれ。『僕ともあろう者が』って」
「いや、だって。三国志・読書フリークで超速読の恵当さまがねえ」
「むずかしいんだよ、これ」
恵当がそう言って片手で表紙を示したのは彼の中学の夏休み課題図書の一冊だった。
『蒼き樹木と僕のミキ』
WEBの投稿小説でなんと5,000万PVという天文学的な数値をはじき出したものを書籍化した作品だ。こういうものも今の時代の現実として中学は課題図書に入れてきたということなのだろう。
ちなみにわたしは読んだことがない。
「恵当。これってジャンルは?」
「わからない」
「え。だって課題図書なら何か先生のコメントでもあったでしょう?」
「ううん。単に『WEB小説』って括りだった」
「なにそれ・・・ねえ、ちょっと貸して?」
「はい」
受け取ってブックカバーを外し、表紙を見る。
うーん、清涼。かわいい。いいデザイン。
中身を見てみる。
「恵当。文体もソフトだし、これのどこが難しいの?」
「嶺紗。じゃあ聞くけど。『ンソルネーャジロスンリプ』ってなに?」
「え? な、どこに書いてあるの?」
「二ページ目。解説によると、※キッスン・アウェイの中核拠点で棒状カンディの東北東134.22degreeに位置エネルギーが0からマイナスに転換する漸近値を記録」
「あ、合ってるよ。覚えてるじゃない、恵当。読んだんじゃないの」
「字面は読んだよ。で、意味わかる?」
「う・・・」
「常識らしいよ。ゲームの」
「あ。ゲームなんだ」
「ゲーム」
ゲーム。
「この世界観がすべての前提になってるからね。それが理解できてない時点で僕は読者としての資格がないってことみたい」
「じゃあなんでそんな本をわざわざ選んだの?」
「だってさ。他の課題図書は読んだことがあるか、読んでなくても内容が予想できちゃうものばっかりだったんだもん。唯一これだけは予測がつかなかった。いまも認知不能のままだよ」
じゅー、っとアイスココアのヤケ飲みをする恵当。今更、と思ったけれども訊いてみた。
「恵当はゲームってやらないの?」
「うん。一切。嶺紗は?」
「一切」
似た者同士だ。
恵当は真面目な顔をして訊いてくる。
「嶺紗。本当に小説家を目指すんだったら、ゲームの世界観がわかってないと難しいかもしんないよ? 共通の世界観が理解できないわけだから。いわば共通言語というか」
「ねえ、恵当。『世界観』ってなに?」
「え?」
「もしその『世界観』っていうのがあるんなら、その世界をわたしに見せてくれない?」
「え。なに言ってんの? たとえば戦国の世ではみんなあっさりと死んでいくから死生観というか、『覚悟』を持って世界を観てる、とかそういう『世界観』でしょ」
「うん。それならわかるよ。でもさ。ンソルネーャジロスンリプ、ってのがこの世にある?」
「い、いや・・・ないけどそれが創作、ってもんでしょ?」
「じゃあ、そもそも小説を書く時点で、ンソルネーャジロスンリプを理解してる人に向けた話の作り方しなくちゃいけないってこと?」
「いけなくはないけど、そうした方が多くの読者に伝わるってことでしょ?」
「なにを伝えるの?」
「いや、だからゲームの世界観を・・・」
「じゃあ朝から晩までゲームやってればいいんじゃない? 小説なんて読まずにさあ」
不毛だと分かってはいるし、途中からわたしは恵当に当たり散らすような喋り方になってしまっていた。
恵当は高校生のわたしなんかより遥かに大人だから冷静に相手してくれてるけど、いい加減にしとかないと愛想尽かされるかも。
だから、そこでストップした。
夜になって家に帰った。
今日の収穫として赤本3年分はなんなくクリアできた。
恵当も不本意ながら以前読んだ別の本の記憶をたどって感想文を書き上げた。
なにも問題ない。
それが当然なんだから。
バカ。
「うーーーっ! そんなわけないそんなわけないっ!」
わたしは自宅マンションのロフトに電子ピアノを持ち込んでヘッドフォンを装着し、ラ・カンパネラを弾いた。
とにかく無茶苦茶に速く弾きたかった。
「嶺紗! うるさいわよ!」
母親が階下から声をかけてきたのはヘッドフォンから漏れる音に対してじゃない。
わたしが無音で鍵盤を叩く、その音自体に対してだ。
それほどにわたしは激しい力で弾いていた。
弾き終わると同時にタブレットPCのキーボードを叩く。
『リアルな現実の血をわたしは見ている。
それは彼が作り上げてきたユートピアの崩壊を意味していた。
実際には永遠に
コミュニティ議会ですべてのことが決まり、クーポン、オモチャのお金だけですべての決済ができるという世界観はリーダーたる彼の死によって完全に崩壊した。
世界観という名の世界など最初から無く、僕らはただ単に家出してきたその家という世界に戻って行っただけの話だった』
ダン、と拳でもってエンターキーを叩きつけ、投稿した。
ラ・カンパネラを弾いた指と、PCのキーボードを叩きつけたわたしの拳は、熱く熱く猛り狂っている。
頭にも血が昇り、沸点を振り切っている。
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